立派な「広見町老人保養センター清水荘」の看板を横目に「湯の癒」と書いた使い込まれたのれんをくぐって入ると、中は普通の家のような玄関になっている。効能書きなどの掲示物を見ながら靴を脱いで正面の廊下を見ると、奥がトイレ、左がのれんの掛かった2つの浴室、右が休憩室(その入口に料金所の札があり、写真のような料金箱が置いてある。)である。100円を入れると奥で座っているおじいさんが挨拶を返してくれた。老人会(運営委員会)が交代で詰めているのだそうだ。
脱衣所に入ると、大きな字で印刷された様々な注意書きが並んでいる。そして2つの現代的な洗面所もある。体重計もデジタルだ。三弾開きのドアを開くと、浴室である。写真のように白っぽいタイルが敷き詰められ、明るい雰囲気だ。なだらかな段差がついた部分があるのは、身体の不自由な人が安全に入浴できるためなのだろう。ここができて30年以上たつが、当時とすれば斬新な設計(後に大改装されたと考えるのが自然かも)である。3つのコンビカランの台は御影石でいいアクセントになっている。他ではなかなか見られない高座椅子もあってお年寄りの入浴への細かい配慮がなされている。天井の隅にはくぼみがあって小さな蒸気抜き換気扇が回っている。外はそのまま裏山だ。おそらくここは循環設備はないので、多人数の入浴は難しい様な気がする。一応冷鉱泉(清水川原田源泉 pH:9.15)であるが特別な温泉の感じはしない。
休憩室は畳敷きで20畳ほどもあり、ちょっとした会合もできそうだ。当番のお年寄りは座椅子に座りテレビを観ながら、入湯客が来るたびに元気よく挨拶を交わし日誌のようなものに客数をチェックしている。お年寄りの中には器用な人が居るのだろう。木造の棚や事務デスクなどが造られている。そういえば入金箱も手作りだ。またこの広い空間に様々な備品がある。三種三様のマッサージチェアと自転車こぎ健康器(写真ではタオル掛けになっているが)、エアコンと、電気ストーブ、扇風機、ビデオもあるが、書物やカラオケはないようだ。小物では千羽鶴、四国八十八ヶ所地図、国会議員の書、ミッキーの塗るぐるみなど共通性のないものが散在している。健康ランドなんかにあるようなけっこう新しいマッサージチェアもあるので試してみた。一人15分までの使用にするように張り紙がある。動力は正常なのだが残念なことにエアもれがあってエア圧縮はできない。かなりの人の体をこりをほぐしたのだろう。
休憩室の外には築山風の庭がある。背景がいまいちだが樹木の選定や石の配置など相当の造園の心得のある方の作だろうと思われる。しかし、苔むした岩などいい感じになっているのだが、今では木々の誘引や管理ができていたいためか枝振りや状態は悪くなりつつあるようだ。その奥に石碑のようなものがあるので見に行く。それはここが愛治中学校跡地であること、霜村静夫氏(歯医者さん?)の500万円を筆頭に100万以上の寄付者五名の名が記され1980春にこの温泉保養施設ができたことが見て取れる。そして霜村(氏が中心となって造った)温泉と刻んだ大きな石碑がある。
霜村氏たちの志を受け継いで福祉施設としてお年寄りが運営(電話は愛治公民館)しているそうであるが、100円の入湯料で燃料費をはじめとする光熱費はどうしているのか心配になる。隣にある公民館(ちなみに連絡先の電話番号はここになる)の事業の一つとして鬼北町が寛容と敬老の行政で運営しているのかもしれない。まあ、安価な入湯料によって被害を被る公衆浴場も近くにはないようであるが。だが、本来の施湯の心を現実にしているという意味で、鬼北町の人々の心根の良さが実感できる驚くべき施設である。そもそも他から来る多人数の客のために造られている施設ではないためキャパは小さい。町外から入湯する者は有り難い気持ちで謙虚に利用しよう。この施設を利用させていただいて、私でも運営に全面的に協力し施設周りの整備にでも力を尽くしたくなるような気持ちになった。私の町にもこのような施設ができると良い(以前の亀ヶ池温泉はそれに近い?)のだが..。帰りには卯之町当たりの安価なGSに寄ろうと思っていたが、少しでもこの地域に貢献できたらと、小学校下のGSで給油して帰宅した。