新田高校の西の通りを800mも南下すると左手に高架線の鉄塔が建っているが、その少し前の交差点の角(右手)にこの銭湯はある。そばに福水神社があるので、それが屋号の由来であろうと思われる。今ではこの辺は新興住宅ばかりで、その真ん中にぽつんと時代にとり残されたようにこの銭湯が存在している。入口隠しのある古いつくりで、鉄のフレームで補強した角形の低いモルタル煙突が特徴である。
銭湯としては特別変わったところがあるわけではない。飾り一つないピンクのタイルの壁に、深緑の天井、それぞれ中央に小さな蒸気ぬきがある。手前の湯舟は深さが25cmくらいと浅い。ちょうど女湯で介護されながら風呂に入っている老女の幸せそうな声が聞こえた。おそらくこの浅い湯舟に入っているのだろう。私が入った26日は、風呂の日であった。この銭湯ではみかんを網に入れて銭湯の中に浮かべてあった。この老婆もみかん湯につかりに来たのかもしれない。
風呂から出て、着替えてぼんやりしていると、ついたてに張られている紙切れに目が止まった。あるお寺の弘雲?という和尚さんの教えた、老人の生き方を書いたものである。「…謙虚な態度で…口争いには負けてやり…若いもんに花を持たせ…お金はちゃんと握りしめて…自慢話をせず…趣味を持って…ぼけんように生きまひょ。」という関西弁のユーモアと生命力に満ちたおもしろい内容に私も見入ってしまった。そして私もそのような老人にならなければと思った。
平成11年1月、久しぶりに訪れた私が見た物は、駐車場になった跡地であった。この辺りも新しい住宅がどんどん立っている。それに反比例して、このような素朴な銭湯を利用する人々はどんどん減ってきているのであろう。青地に赤でかかれた「ゆ」の印象的な文字は、まだしばらくは多くの人の心に残るのであろう。