銭湯の名前の由来は、昔のこの辺りの町名から来ている。主人の息子がやっている隣接した歯科医院の向こうの路地を入っていくと、小さな社(写真左:主人の話だと女の神を祭ったものだということである。中には風化した小さな五輪の塔がおさまっている)がある。その後ろにあるエノキが2代目の神之木であると主人は言っていた。山田歯科が、この神之木を見下ろすようなビルとなっているのが宗教的には気にかかるが、この社も地味ながら今も信仰を集めている様子が見て取れる。
この銭湯の特徴は何と言っても写真の玄関周辺であろう。まずは前庭を説明しよう。正面には大きな山石で囲み、こんもりした土盛をした上にきれいに丸く剪定されたキンモクセイがある。私は初めはこの象徴的に見える木が神之木ではないかと思っていた。この木の剪定は主人が年に一回自ら行っている。木の周りの作業は予想が立つが、足場の悪いので困難であろう中央部分は、木々の中に梯子を建てて行うのだと淡々と語ってくれた。この木を銭湯側から見ると根本内側の方がかなり痛んでいる。主人の話では、戦争で焼夷弾が炸裂してこの銭湯が燃えてしまったときの痛ましい焼け跡であるという。こんな小さな木にもそんな歴史があるのだ。南海放送の撮影に興奮した孫のケンちゃんは、お父さんよりも先輩であるその木に登って(写真左)、おじいちゃんにしかられていた。このキンモクセイの根もとにきれいに剪定されたのサツキも季節によってはすばらしい神ノ木のような表情を見せるのだろう。
右手は隣接した山田歯科だが、すぐ左手には小さな森(築山といって良いかも)がある。そこには、切り込まれたウバメガシの生け垣と、その奥に数本の立派な樫の木が枝を伸ばし、なかなかいい雰囲気を醸し出している。さらによく見るとその森の中には、今ではほとんど見られない離れの便所がある。
さらにこの主人は盆栽好きで玄関と脱衣場に黒松の盆栽(写真左)をさりげなく置いている。これらは百年ものという値打ちものの盆栽で、主人が隣のビルの屋上でたくさん育てているとのことである。日当たりの悪い玄関や室内にずっと置いているわけには行かないので、数日周期で次々と取り替えているそうだ。隣のビルの屋上にたくさんつくっていて、これも主人が世話をしているという。この少なくとも20kgもある鉢をいれ替えると簡単に言うが大変な作業である。盆栽好きにとってこれほど贅沢な銭湯はないであろう。でも、今までにこっそりもって帰られた苦い経験が何度かあると残念そうに言っていた。
この銭湯の門構えは、関東では一般的だが愛媛県ではほとんどない破風(神社仏閣風の入り口)である。入り口から番台までほとんど木で作られており、暖かみの感じられる入り口に、同行した人たちは旅館の入り口のようだと言っていた。主人の話によると、戦災で失われた後、自身が山に入って木を切り出して作ったものであるという。全くの驚きである。玄関前には何台かの自転車を止められる空間があるが、ここにもなかなか見応えのある物が置いてある。非常に年代物のカギ付き自転車置(写真右)である。今はさび付いて作動しないようだが、自転車を入れると自動的にカギが閉まるというからくり風のもので、機械の好きな人にはたまらない晩品であろう。主人の話では近くの工場からもらってきたものだそうである。訪れたときには車椅子が2台止めてあった。障害を持った人でも安心して入れる暖かみのある貴重な銭湯なのだろう。
がっちりとした木で組まれた番台に湯銭を置いて中に入ってみよう。さほど広くない脱衣場をみまわすと、なかなか味のある物が残っていることに気づく。脱衣ロッカーは、例のL型の金具で開け閉めする、からくりのようなカギの付いたものである。銭湯によってはからくりの部分をのけて使っているところが多いが、ここの場合現役である。これだけでもたいしたものだが、さりげなく置いてある体重計(写真右)にはどうしても目がいってしまう。見れば見るほど興味をそそられるアンティークといっても良いものである。150kg,40貫のメモリが打たれ、メーターの中を見るとおもりのような物が上がったり下がったりしている。もしかすると天秤式の質量計なのかもしれない。
浴室は一般的なものである。中央に楕円のバブルジェットと気泡湯の出る主浴槽があり、左手には故障している(?)サウナ、右手には電気風呂と湯ノ花湯(他にはみられない泥色のもの)がある。しきり側のカランはシャワーつきのコンビネーションカランだが、壁側のカランは普通のカランである。天井はドーム型茶色のタイルで埋まっている。
さて、先ほどからマルチ人間ぶりを披露しているこの神ノ木湯の主人は72歳になる山田巧(たくみ)氏である。なかなか元気な老人で体もぴんぴんしているようだ。大工から左官、庭師のプロ並みの腕をもち、この腕がこの独自の銭湯を支えている。それもあまり目立たないが、明るく人の良さそうなご内儀の支えがあってのことだろうが。今の老人には、工作・整備・作業ならなんでも一通りこなす人が多かった。しかし、女性の家事を含め、今の若い人はこのような生活面での技術やノウハウにはうとい人が急増している気がする。
将来はこの銭湯の庭の整備も専門の庭師でしかできないようになる日が来るのかもしれない。一度は閉めたことがあるというこの銭湯も、今はお客さんの懇願で再び営業を続けているという。実際ここに訪れる客の表情からみて、この地域で必要欠くべからざる施設であると思う。他のことは明るく語るこの主人も、後継者問題となると顔が曇りがちになる。おそらく隣にビルを建てて歯科医院を開く息子にも期待したこともあったことだろう。元気にこの銭湯を駆け回るケンちゃんや賢そうな2人のお姉ちゃんの澄んだ目に期待するのは私だけではないだろう。しかし、銭湯で商売が成り立つというのはきわめて難しいことなのである。
さて、ここの主人のマルチ人間ぶりはこれくらいではない。駐車場の屋根を見ると昔なつかしのすり下ろし風田の草取り機があるではないか。主人は今も現役の百姓でもあるのである。さらに奥の駐車場には驚くべきものが...。
何とこれも現役のMAZDAのオート三輪(写真右上)が顔を出しているではないか。私自身ここ20年ほど走っている姿を見たこともないあの車を、このおじいちゃんは今治で乗りまわしているという。南海放送のカメラマンも運転手もさすがにこの車には目を見張っていた。(H10.6.20訪問)