この銭湯は新居浜市役所の南西(直線で500mくらい?)にあって、すぐ北に金子小学校がある。県道13号線で市役所を西進するすぐの一宮神社前交差点を左折、すぐに金子小学校がありさらに進むと光温泉の看板が見えるてくるのですぐに分かる。新居浜市の中心地ながらかなり広い駐車場がありその敷地の中にコインランドリーもある。以前来たときと違って平成15年にリニューアルされ、写真のようにパッと明るいさわやかなイメージの銭湯に生まれ変わっていた。
玄関に入ったところは休憩所になっており正面のカウンターで湯銭を払う。後で見ると入浴券の自動販売機がありそこで券を買うべきで、公営浴場ならすぐに指摘されるが、それに気づかなかった私に対してなごやかに現金払いで対処してくれたということだ。カウンターで渡されたロッカーのキーを持って脱衣場に入る。銭湯としては標準的な広さである。
浴室は入って左が洗い場、右が浴槽となっている。側壁は明るいベージュで、目の高さにコントラストのラインが入ったすっきりしたものである。洗い場には11のコンビカランがありその中の7席は繋がったベンチである。椅子もいろんな高さのものがあり、その中には障害者用のものもある。浴槽は白湯とジェットバスで、奥に水風呂もある。湯口は男女の絡まった西洋彫刻である。浴室の奥部には左右にサウナがある。左が普通のサウナ(104℃だった)、右は湿式サウナである。サウナの間を抜け扉を開けるとさらに奥は露天風呂のエリアである。露天と行っても街の公衆浴場に多い上が吹き抜けとなったもので、青石を配したささやかな岩風呂がメインである。さらにとってつけたような水風呂もある。水風呂は浴室のものも含め二つとも水が勢いよく出しっぱなしである。冷たい新鮮な水を...ということだろうが、貧乏性の私にはあふれ出て捨てられる水の方が気になる。前回も水の出しっぱなしが気になったが、西条のように新居浜も赤石山系の伏流水が豊富に利用できるのであろうか。
新居浜市の銭湯は私が調査を始めた頃は20軒もあったが20年で4軒になったが、生き残ったこの4軒はすでに現代化への設備投資も行ってとても繁盛しているように思えた。廃業した銭湯の全てが取り壊され住宅や駐車場、他の施設に再利用されているのも新居浜市の特徴である。現実的な新居浜市の銭湯だが、楽しい装飾や壁絵(私の好きな赤石山系:八巻山の岩山や八間滝、魔戸の滝、銚子の滝、清滝等の名瀑の地域絵があれば理想的だが...)、温かい木の香りのする古来のゆとりのある銭湯が一掃されたことは少し寂しい気もする。
**** 以下は平成10年5月の訪問記 ****
夜に訪問すると白地に赤で「光温泉コインランドリー」と書かれた光看板が遠目に見えた。その南には車が十台以上おけるほどの駐車場もある。そこからは奥にある鉄のたがの入った白いコンクリートの煙突も見える。平成7年頃に来たときには道路沿いに散髪屋があったが、それがコインランドリーになっている。
建物は写真のように一見平屋の長屋のようである。玄関を入ると、一般の銭湯のようではなく、温泉浴場のようなフロント形式の番台がある。左の男湯の脱衣場にはいる。奥行きがあって思っていた以上に広い感じがした。二つのクーラーがあり、女性用の更衣室とのしきりが低いためか、天井が広く感じられるからだろう。浴室の入り口の前に洗面所があり、水が出っぱなしになっていたので水を止めると、すぐに六十歳くらいの上半身裸の人きて、「冷たい水をだしよるんよ」と目配せした。おそらくしばらく出して、水が冷たくなったところで顔を洗うか体をふくことを至上の楽しみとしているのだろう。エチケットという意味ではよくないことだが、その人の目を見ると納得してしまった。ふだんの生活でわがままや贅沢をしている人には見えなかったからだ。最近、家庭でくつろげない男が増えてきているという。銭湯には脱日常という役割もあるのである。
浴室も天井が低いが、明るい色のプラスチック天井は開放感を損なうようなものではない。蒸気は側面の一つの換気扇が受け持っていて、天井の蒸気抜きはない。入って右を見ると薄暗いところに大きな焼き物の五重塔と人の頭大の石が数個置いてある。石はチャートのようにも思えるが汚れがひどくてよくわからない。昔は庭があって活用されていたのだろうか。明るいクリーム色のタイルの壁には壁絵などの装飾はない。
浴槽は3つで、中央に楕円の大きな白湯の浴槽がある。この浴槽の区切りは湯温を変えるためだろう。奥にはゆったりとしたバスフレンドの日替わり薬湯浴槽がある。今日はレモン湯であった。さらに奥にゆったりとした水風呂がある。それに対面してあるのが蒸気風呂(スチームサウナ)であるが、気温は高くない。
入り口付近の外見と違い、客もそこそこいてにぎやかな銭湯である。銭湯として必要なシステムは全て備わっており、洗濯機を持たない人にとってはいつまでも必要な銭湯であろう。しかし、ここも近いうちに大きな選択を迫られる日が来るのかもしれない。(H10.5)