銭湯の煙突  Ver. 1.0


 煙突は、銭湯を見つけるためにはきわめて重要な建造物である。私が銭湯巡りにでかけて初めての街でまずすることは、小高い町全体が見渡せる所に登って煙突を確認することである。住宅地にぽつんと立つ大きな煙突の多くは銭湯のものだからだ。ときどき小さな工場や酒造業社のものもあるが、民家街からにょきっと出ているものを見つけると胸が躍る。愛媛県には電話帳にも載っていない銭湯が数多くある。これらの銭湯を見つけたり、込み入った街中を探すためにも煙突は重要な目標となる。

 銭湯と言えば、夕焼けに煙突からたなびく煙がイメージされる。全国的に銭湯の煙突は、@(松山市「白泉湯」)の様なコンクリートのものであったようだ。しかし、現在その煙突は多くがかなり傷んできている。その解決策として、A(東予市「駅前温泉」)のような煙突にしているものがかなり多い。痛みの激しい先端部をカットして金属製の煙突にするのだ。さらに、B(松山市「南温泉」)のように金属のタガを多数入れて補強しているところも多い。特にこの煙突では、特徴的な先端部の工夫が目を引く。
 とはいっても、現在、愛媛の銭湯の煙突の主流は、Dような補強された金属煙突である。鋼管技術が発達して軽くて耐錆性のよい煙突は、管理もしやすいのであろう。平成8年に@の様な煙突からDのような煙突に作り替えた北条市の北条温泉のように、資金が都合がつくところではこの煙突に変わっていく傾向がある。燃料や銭湯の規模によっては、一般の煙突と見分けがつきにくいような素朴な煙突がある。C(波方町朝日湯)の煙突は素朴で実用的なものである。東宇和郡の銭湯の煙突も小さめではあるが、宇和の銭湯では太陽光利用の加熱も併用している。

 そのような一般的な煙突に対して、特徴のある煙突は銭湯の魅力としては捨てがたい要素であることを教えてくれる。H(松山市福助湯)は、今にも崩れそうな素焼きの土管を積み上げた煙突が建物の真ん中からにょきっと出ている。この銭湯は平成10年に取り壊されたので、貴重な写真であるが、この手の煙突はすぐ近くの「だるま湯」にも見られる。
 目を引く煙突といえば、やはり煉瓦の煙突である。地震の多い日本では塔構造の建築物の維持にはかなり高度な技術が必要である。平成10年に取り壊された松山市の「福水湯」は、下部に煉瓦部が残っていたが、上部はコンクリート煙突に改造されていた。E(今治市「ラジウム温泉」)は珍しい角形煉瓦煙突なのだが、建物自体が特徴的なので煙突は目立たない。そして、愛媛の銭湯の煙突として最も美しいのは木蝋工場のものを転用したF(保内町「清水湯」)のレンガ丸煙突である。私の家から最も近いよく利用する素朴な銭湯であった。いらかの波にすっくと立ったこの赤煙突からたなびく煙を見ると心躍るものがある。町並み保存に力を入れる保内でさまざまなイベントに活用された西宇和最後のこの銭湯も、平成11年についに廃業して煙突と共に取り壊され住宅になってしまった。

 四角煙突であるG(松山市「若葉温泉」)は、丸煙突をこのように補強したものかもしれない。町田氏によると、東京では煙突掃除の専用職人がいて、体全体を使ってらせん状に内部を下りながらすす払いをするらしい。しかし愛媛の銭湯を見る限り、それができそうな煙突は少ない。

 銭湯の経営には燃料の問題は大きい。経費の多くを占める安価で良質の燃料を得るために各銭湯は涙ぐましい努力をしていると聞く。最近は重油が使われることが多いと聞くが、愛媛ではまだまだ木材燃料を主燃料としているところが多い。この何を燃やして加熱しても、熱量は変わらないと思うが、この業界では薪でわかしたお湯が芯まで暖まるというのが通念である。町田氏の話ではオガクズは特に銭湯の燃料としては良いとのことである。よく銭湯のまわりを観察してみるとすぐ近くや隣接して製材所があることが多いことにも気づくだろう。八幡浜市などでは、ミカンの枝なども燃料になっている。これはある意味では互いの事業の優れた結びつきなのだが、木材業界の動向が足腰の弱っている銭湯の存亡にも大きく影響するとも言える。実際、連鎖廃業の例も聞いたことがある。