銭湯の絵  Ver. 0.9


 銭湯と言えば、広い湯舟と富士山の絵をイメージする人が多い。銭湯には、身体を洗うこと以外にも、一種の夢を演出することによって脱現実を体感させ、心をリフレッシュする役割がある。湯煙の向こうにある銭湯の壁絵は、その役割のために重要なアイテムである。

 東京など関東では、銭湯の絵は専門の職人が描くペンキ絵が主流であると聞く。しかし、愛媛県の銭湯の浴室に絵がある場合、ほとんどが写真のようなタイル絵である。私が知っている限りでは、愛媛県にあるペンキ絵は、宇和町の馬場湯にあるものだけである。
 壁絵の図柄は、まず富士を連想させるが、愛媛ではアルプスをのぞむ風景画が特に多い。上の写真は、大洲の吉野湯のパターンである。60年代の日本隊のマナスル登頂を機に訪れた登山ブームの時代、スイスアルプス風の風景は、日本の多くの人にある種の夢の光景として定着していったようである。そのような時代に、これらは描かれたものが多いのかもしれない。広々とした湖とそこに遊ぶ水鳥、草原とまばらにある樹木の静かな風景の中で、小さな動きを感じさせる水車小屋は、当時の客に清涼感と開放感を感じさせるデザインであったであろう。なお、この吉野湯のタイル絵にはスポンサーのタイルも打たれている。
 次の写真の壁絵は今治の鯉池温泉のもので、なかなか雄大なアルプスの風景である。ここの主人は気に入っている梓川と穂高・槍のタイル絵であるが、日本アルプスとしてはちょっと不自然である。

 そして、右の写真上が、県下でここにしかないという宇和町の馬場湯のペンキ絵のアルプスである。大正池ごしに見た穂高は、画家が描いたものだけにかなり現実のものに近い風景画である。一般に銭湯のペンキ絵は10年ももたないとさせるが、この絵は40年近く宇和の湯客に愛されている。
 この馬場湯の女湯には、地域性豊かなペンキ絵もある。それが、右の中にある写真の絵で、桜咲く法華津峠から見た宇和海の風景画である。これは篠山のアケボノツツジなどとともに、南予の代表的な美景である。銭湯の壁絵の重要な役割の一つには脱現実の側面があるので、地元の風景は少ないのかもしれないが、急速に失われる自然美が心配される今日、やはりこのような地域性を感じさせるデザインは貴重なものである。霊峰石鎚の絵がないのは特に残念である。北条市(金亀温泉)には鹿島の風景がある銭湯があった(写真下)が、平成10年に廃業してしまい、湯に浸かりながら眺めることはできなくなってしまった。

 とはいっても、銭湯の壁絵と言えば、やはり富士山を語らないわけにはいかない。数的にはアルプスに譲るものの、そのアピール度は他の壁絵を寄せ付けないものがある。深田久弥のいう「偉大なる通俗」の山である富士は、本格的に登山をした最初の山であることもあって、私にとっても特別な感情を持つ山である。関東や中部の山を登り、富士が望めると大きな安堵感を感じる。富士の壁絵は、河口湖、山中湖、そして駿河湾などさまざまな方向から描かれている。そしてその多くには帆掛け船が描かれているのが特徴である。写真は、その中でも雄大である鯉池温泉の富士である。このような富士山を眺めながら大きな湯船に浸かることに、大きな喜びを得る人は私だけではないであろう。富士の魅力は
   タイル絵にも描画タイルによるものと、小さな単色タイルによるモザイク絵の二通りがある。この鯉池温泉のタイル絵は瀬戸焼きの描画タイルが使われている。愛媛の場合、多くはモザイク絵なので、細かい描写はできないが、それでも独特の良さを持っている。細かいものを表そうとして、タイルを割ってつけている場合もあるが、その必要はないと思う。
 
 最も多いタイルモザイク絵の中で、愛媛県で最も優れた作品は、今治の三宝湯にある。右の写真の富士山がそれである。このタイル絵は、写真のようにタイル絵としてはきわめて大きく、富士に対してゆとりのある空間に水車小屋などの定番のアイテムをゆったりと配置している。細かく見れば、水車小屋の水源など不自然な部分もあるが、全体としての配色やバランスはすばらしく、富士山自体余裕を持って描かれているので、この山の最大の魅力である裾のカーブも美しくのびきり、いつまで眺めていても飽きがこない。これだけの大作にもかかわらず、タイルの色も多く、自然で美しい配色が施されている。

 さらにこの三宝湯には、さりげなく左の写真のようなタイル絵もある。これは鯉の滝のぼりを表した絵だが、単純に紙に絵を描いても難しい滝の水と鯉だけの構図で、タイルを使ってこれだけすばらしく表現できるということに、見れば見るほど感心する。今は、コンピュータを使えば、どんな絵や写真でもモザイク画になおすことは難しくない。しかし、そんな技術のない時代に描かれたこの絵の表現力には驚かさる。このような作品を作るためには、かなりの腕のある職人と多額の資金が必要であろうから、現代の銭湯に描くことは難しいと思われる。昨今の新しい銭湯は、そんなものより、多彩な浴槽を設置することを優先する傾向があるからである。この絵などは、心を重視した時代があったことを表すわかりやすい例であろう。

 他にも壁絵にはいろいろなものがあるが、タイル絵で、城山などの人工建造物を描いたものは、ことごとく失敗している。松前町の寿温泉の虎のように屏風画のような図柄もなかなか味がある。東予や南予の小さな銭湯の多くは、公衆浴場としての機能だけで壁絵のないものが多いのだが、やはり銭湯には小さくても壁絵や庭などの遊びの要素がほしいものである。銭湯には、松前町の古城温泉(裸婦)や八幡浜の清水湯(海の中)のような軽い絵もあるが、それはそれでおもしろい。
 平成11年冬に完成した道後温泉の神之湯には、砥部焼きの染め付けの美しいタイル絵が設置された。もちろん砥部焼きの本場、砥部の湯砥里館にも同様の染め付けがある。全国の温泉の多くには、昔の温泉風景をデザインした壁絵などが採用されてきている。壁絵によるヒーリング効果が認められてきたということであろうか。愛媛県では、多くの温泉浴場は、露天風呂や岩壁(いわかべ)の工夫によってその効果をねらっているようにも思える。