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好みの音楽の移り変わり

中学校時代

 小学校時代には、音楽に関する嗜好は思い出せないが、さまざまな面で目覚めの時期である中学校時代にはいろいろな思い出がある。では、順を追って思い出してみよう。

 私も中1のころはアイドルに夢中になったものである。写真の南沙織は私が最初にファンになったアイドルで、今でもあの歌声を聞くとどきどきする。当時、その南沙織の曲の上位に必ずいた天地真理や、浅丘めぐみなどにも興味があったが...
当時はテレビはほとんど見ず、ラジオばかり聴いていた時代でもあった。深夜放送にものめり込み、最初のうちは「走れ歌謡曲」、そしてそのうちに「セイヤング」や「オールナイトニッポン」等を聞き学校ではいつも睡魔に襲われていた。記憶によると東海ラジオの「デンリク」が最も信頼できる情報を放映していたようだ。

 中学も2年になると、日本のヒットチャートにはあいそがつきて、アメリカのヒットチャートを追うようになっていった。そのうち、すばらしいアーティストの音楽にもふれることができるようになった。
 その中でも熱中したのが、「セイヤング」の特集を聞いて夢中になったS&G(サイモンとガーファンクル)だ。その中でも最も好きな曲が「冬の散歩道」で、この曲が私が最初に買ったレコードである。数年前、中学生が喜んで聞いているのでびっくりして聞くと、この曲がテレビの主題曲に使われていたらしい。私と同じ世代がテレビ制作の中堅となっているのであろう。

高校時代

 ロックとクラシックをよく聞いていたようだ。ロックはTレックス、ディープパープル等である。
クラシックはなぜかバロックに興味をもってしまって、朝6時からのNHK-FMのバロック番組は欠かさず聞き、J.S.Buchの曲はすべて録音していた。無伴奏のバイオリン曲やフーガばかりだったが、そのうち、ショパンのピアノ曲やブルックナーやマーラーなどの交響曲も聞くようになった。ロシアの長編小説読書のBGMに適していたからだ。そして、そのうち3年にもなるとスタンダードジャズに興味を持ち始めた。

大学時代

 姫路での大学時代は、JAZZばかり聞いていて、穴蔵のような「TARO」、時々ライブも行う「LYLA」に通い詰める日々が続く。当時はジャズ喫茶がかなりあって、里である愛媛県の大洲市にも「壱番館」や「創作」など3軒ほどあった。単車を乗るようになって行動半径が広がると、西日本の多くのjazz喫茶を巡るのが趣味ともなった。
 バイトの金もかなりの額がレコードとオーディオに流れ、レコードのコレクションも100枚ほどになった。
写真は、特に好きだったアーティストである。中でもバド・パウエルのスリリングな演奏には聞き惚れた。
 オーディオでは、針はシェアーのV15Vを使い、スピーカーはアルニコのJBLを何とか手に入れようとがんばっていた。実際さまざまなシステムの音を聞き分けていたようにも思う。
 とは言っても時代はニューミュージック全盛であり、日本のポピュラーも結構聞いていた。大橋純子、中島みゆき、太田ひろみなど、今でも懐かしい。

社会人になって

 Uターンで故郷に帰って就職した後も、メインはjazzで、大洲や宇和島のサークルの中でさまざまなコンサートやライブにも出かけたが、リーダーとなっていた宇和島のjazz喫茶店主に不幸があってからはもうそういう活動も途絶えてしまった。
 ソニー・ロリンズの松山コンサートでは時代の流れを感じ、そして松山のアオノホールで聞いた秋吉敏子のコンサートが感動したコンサート(ライブ)の最後になった。秋吉敏子はバド・パウエルを彷彿とさせるピアニストで、その演奏の中には日本的な懐かしく胸が高鳴るメロディーやリズムがある。

 クラシック(小沢征爾のブラームスの交響曲やバロック)も依然好きでよく聞いていた。
 その他、聴いて気に入ったものをジャンルに関係なく聞いているが、若いときのように何かに傾倒して熱中するということはなくなってしまった。
 今では、jazz喫茶も全国的にほとんどなくなり、外に聞きに行くこともない。(最近、車ではスカパラを聞くことが多い)