携帯通信機のページ  平成26年9月更新

 単独登山をしている若い頃の私にとって、緊急時の連絡というのはまさに生死を分ける重要事です。特に冬山にも入るようになると、遭難対策のために1994年12月にアマチュア無線の4級の免許を取り、携帯無線局を開局しました。そしてそのころ、携帯電話ブームがまさに起こりつつあったのです。このページでは、私が所有したハム通信機からスマホまでの携帯通信機を紹介しています。写真の電話機は廃校になった中学校の廃物をいただいたものですが、もちろんこんな古い電話機は私も使ったことはありません。

2011年〜  スマートフォン 
CASIO IS11CA CAL21  ケイタイの将来は、iPhoneの爆発的ヒットを機にスマートフォンというケイタイ付コンパクト端末に舵が切られたようです。そんなことは当たり前のような気がしますが、日本のメーカーはその変化が予測できなかったようで出遅れ、そして一斉にAndroidスマートフォンが出回りだしました。私はアップルのやるようなブラックボックスのPCや電子機器を様々な理由で支持しません。スマートフォンに目が映りだしたある日、まさにガジェット的な実用的なスマートフォンがあのカシオから発売となりました。
 スマートフォンとしての機能や画面はいまいちですが、この機種にはそれを凌駕してなお余りある購買ポイントがあるのです。まず、生活防水・耐衝撃能力。そして購入を決定させたのが、タイド計と日と月の動き等のデータの表示(このためだけにその機能の付いた腕時計を使っている)、そして向けた方角に連動する星座早見機能、おまけに強力なコンパス機能と山に関する資料表示などGPSやスマホの動きに連動する様々な科学・アウトドア機能が満載なのだ。私がスマホにはこんな機能が欲しいという思うものが一気に入っているので、迷うことなく購入することにした。実際に使ってみるとメールや電話などはまだ使いにくいと思いますが、さすがカシオ!と、大絶賛です。もちろん致命的な欠点も一つだけあります。電池です。まじめに使うと半日ももたないのはちょっと...。
 そのG'zOneシリーズの2作目は一回り大きいCAL21、充電器がクレードル式になり画面も大きいので購入してしまいました。画面も大きくなって使いやすくなりましたが、相変わらず電池のもちは悪いです。そしてカメラの画質がイマイチなので、次はその点を何とかしてほしい。この機種からはデザリングでタブレットを活用することになり、持ち歩く価値が広がりました。

200X年〜  より小さく、より軽く    
SONY PreminiUS  9台目は、ドコモに戻り、軽量コンパクトなソニー機を選びました。130万画素CCDカメラを装備し、MSDuo対応です。長さ107mm、重さは約99gで持ち歩いても苦痛のない携帯です。当時の私の選定条件はまず大きさで、100g以下が合格点でした。
 この小さいケイタイは、探しやすくするため一番派手なOrange&Silverとしました。この携帯は常時点滅しているので、見つけやすくなりました。カメラの画質には少々不満もありますが、そのころは電話と事務的なメール、サブ的な画像撮影程度しかしなくなったので十分な性能でした。鉄筋の自宅や職場でやっとつながる携帯で、そのうち時々音声がでなくなるというトラブルが発生しました。この頃、デジカメ、ビデオデッキ、TVなどのSONY製品にトラブルが相次いでいたので、スカイセンサー以来のSONYへの信頼は(技術のSONYから故障のSONYへ)地に落ちてしまいました。そして2008年7月、ついにお釈迦になってしまいました。海水浴場でこの携帯の入ったバックが満ち潮の波をかぶったのです。なぜかこの悲劇にはホッとしました。

東芝 sportio  私にとってケイタイは非常用のツールに過ぎなかったので、とにかく軽量コンパクトな機種を探しました。が、ドコモではPreminiUSが一番小さいのです。そんなとき、au機にコンパクト携帯が発売されたのです。10cmと15mmを切る高さと厚み、86gと超軽量ながら、196万画素のカメラも搭載するsportioです。他にない軽量さの携帯なので早速購入しました。この機種からは本体価格が丸々定価に反映するようになったので、出費は大きくなりました。
 このsportioの売りは、run&walk機能です。歩数計やGPSを駆使して野外で走ったり歩いたりする運動のサポートをする機能ですが、結局意図して使うことはありませんし評判も悪いようです。音楽機能もiPodのようなパソコンソフトに依存する管理のために使いにくく、結局着信音すらうっとうしい設定なので使い勝手は悪く、ただでさえ小さいボタンなので操作性も最悪でした。基本的な機能に絞った最軽量のケイタイを待ち望んでいるのですが、中国や韓国、台湾のケイタイ売り場を見るたびに過剰機能の高価なケイタイしか選べない日本が恨めしく思えます。この機種からrun&walkとデジタルプレーヤー機能を除いたらもっとスリムなカード携帯ができると思うんですが..、やっぱりカメラと電池がネックでしょうか。

2003年〜  auに切り替える    
東芝 A5304T 6台目の携帯からは、auに乗り換えることにしました。軽快なDシリーズは気に入っていたのですが、D504iからは100gを超えるおデブで、他機種と同じようなダサイ二つ折りになってしまったからです。他の機種も探し回って、auのケイタイを試してみることにしました。 そして2003年3月?、初めてのデジカメ(31万画素)付のこのau携帯を購入しました。アプリも高度になりましたが、長さ98mm(折りたたみ時)重さ110gと、ちょっと重くなりました。グリーンが人気だったのですが、ベネツィアン・レッド という派手な色にしました。着信音も最大40和音でいいのですが、この機種を使ったのは、わずかの期間でした。

三洋 A1303SA  7台目は、グローバルパスポート機能付きのA1303SAでした。韓国旅行にも持って行く機種として、31万画素のCCDカメラを持ち、長さ92mm、重さ101gとA5304Tよりもひとまわり小さいので、たまたま寄ったauの店ですぐに購入してしまいました。外は紺で、中はガンメタという色も気に入っていて、これを長く使うはずでした。少々カメラの性能には不満がありましたが...。

三洋 A5505SA  8台目の携帯は、何でもありの三洋機A5505SAでした。百万画素CCDカメラに大画面ツイン液晶、GPS(電子コンパス付EZナビウォーク)、FMラジオチューナー搭載、グローバルパスポートはメールも打てるようになりました。そこで、携帯用キーボードを買って、韓国から紀行文をメールで打てるようになりました。しかし、長さ99cm、130gのビッグなサイズにうんざりしてきました。そんなとき、auとの間に受信料に関してのトラブルがあったので、ドコモの携帯に再び戻ることにしました。

1998年〜  ドコモのデジタル携帯    
シャープ SH206  3台目のケイタイは、1998年6月に手に入れたデジタル携帯電話です。全モデルをデジタルに切り替えたいドコモの要望?で、無料での取り替えでした。長さ110mm、96gの蓋付きメタリックシルバーで、この機種よりメールの送受信もできるようになりました。

三菱 D502i  4台目も蓋付きケイタイで、長さ132mm重量84g、シルバーでした。初めてのiモード対応携帯で、いろいろなサービスを利用できます。着メロや画像をダウンロードしたり、天気予報やニュースなんかの情報も、リアルタイムで得ることができるようになりました。ただ、この機種までは、機種変更すると前の機種を回収されたので、現物は残っていません。しかし、秋葉原でモックアップをゲット(100円)しました。

三菱 D503i  5台目のケイタイは、D503iのバージョンアップ機であるD503i(紺色)を買いました。長さ129mm81gとさらに軽量化された三菱機で、iアプリが使え、画像も音も格段に良くなりました。この機種から、ゲームなんかもできるようになりました。しかし、実際にはこんな小さい画面でゲームをチマチマしたくはありません。なお、この機種から登録をはずした後も現物を持っています。待ち受け画像やダウンロード音楽なども残っていて、後で見ると懐かしい感じがします。でも、電源アダプタはどこだろう。

1995年〜  ドコモのアナログ携帯
ドコモ ムーバN 私が最初の携帯電話購入にふみきったのは、平成7年でした。最初の携帯電話は、NTTドコモのムーバNという機種でした。ドコモではトランシーバみたいな無線電話から、はじめて携帯電話といえる形態となった記念すべき機種です。折りたたみ式で、広げた長さが199mmで厚さが19mmですが、折りたたむと長さは半分に、厚みは倍になりました。重さも280gありましたが、とりあえずポケットサイズです。 連続通話時間は65分、連続待受時間が12時間なので、使うときだけ電源を入れるという使い方でした。折りたたみ式で、毎日のように充電しないと使い物にならないのですが、それ以前の無線電話時代のことを考えると、当時ではかなり革新的な軽量モデルだったようです。 私の住む田舎ではまわりに携帯電話を持つ者は会社の管理職くらいでしたが、旅行の引率で活躍してまわりの人を驚かせました。

ドコモアナログムーバDV  2台目の携帯電話は、長さ118mm重さ165gと一回り軽量化された機種でした。連続通話時間は80分、連続待受時間は30時間で、携帯電話としてはかなり実用的な性能になりました。この機種からは、山行に持って行くようになり、アマチュア無線機TH-79を駆逐してしまいました。

1994年 アマチュア無線機の時代
 1994年8月北ア劔岳に登って戻っているときに、その劔岳で韓国人の遭難事故がありました。以前から検討はしていましたが、単独登山をする者は緊急連絡の方法をもつようにしなければならないと思いました。すぐにアマチュア無線4級を取り、最初に手にした携帯送受信機が、ケンウッドのTH-79でした。私は、幸いにも緊急連絡を使うことはありませんでしが、あくまでもしもの時の保険です。
 この手の無線機は、回路操作で受信機能を強化して販売されるのが一般的でした。スキャンすると無線の電話の声がバシバシ入って来ます。ちょうど平成7年は災害・人災が集中した年でした。1月17日の阪神大震災に始まり、オウム真理教サリン事件、愛媛県でも水不足や大洲の洪水などがあり、情報通信のあり方が問われた年でした。緊急連絡こそお役は回ってきませんでしたが、この送受信機は、このときの通信傍受によって、パニック時の電話利用等の問題点を私に教えてくれました。
 そのころ、都市を中心に携帯電話が普及していました。この携帯電話が、けっこう防災無線として有効なのです。また、かなり軽量コンパクトになっていたので、結果としてこのアマチュア無線機は無用の長物となっていきました。ということで、無線局も閉じて、TH-79は、ほとんど置物状態になってしまい、機械としてはかなり不遇な運命となってしまいました。2008年に電源を入れてみると、正常に動きません。この手のものは結構寿命が短いのでしょうか。東日本大震災の時にアマチュア無線の有効性が見直されるようになりました。もしかしたら、再び無線局を開く日が来るのかも知れません。