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重光 聖喜さん ・・・平成26年4月19日・・・

 「悔しい。」「ただ、ただ悔しい。寝込むほどに悔しい。」

 頻繁に、出船前の駐車場で高橋船頭と間違われ挨拶される男が、
ある程度のキャリアで経験した事のない、想像もした事のない釣行記。
一人でも多くの方に読んで頂き、このやり切れない気持ちを察して頂ければ・・・・と思う。

今年も日本一頭脳明晰で、駆け引き上手な鳴門堂ノ浦内ノ海のチヌとの勝負の季節が訪れ、今年こそは一番乗りに返り咲きや!と意気込み一路、細川渡船へ。

ここで、細川渡船との出会い、繋がりも含めて軽く自己紹介。

釣りに関しては元々磯釣り、石鯛釣り専門であった父親、叔父らの影響でノウハウを植え付けられ、幼少期より夢中になっていた。
チヌのかかり釣りは、早い時期より親父に和歌山へ半場無理やり的に連れられ、その後何度か行くうちに次第にのめり込んでいった。(今思い返せば、和歌山の経験は全く活きない)
そんな中、細川渡船へ初めて訪れたのはおそらく2、3歳ごろ。親父らは自分が生まれる前から行っていて、当時はフェリー経由や瀬戸大橋経由で旅行気分で毎年夏に行っていた。海に落ちない様に腰に縄をくくり付けられ、筏へ上がっていた。今も当時の写真が多数実家にあり、たまに見ては酒の肴になっている。それからすると、細川渡船へはもう三十数年になる。そんな細川渡船でのチヌ釣り。

本格的にチヌ釣りは堂ノ浦で一本と決めたのは7〜8年前。2年半ほど一匹も釣れず、それまではそんなにチヌ釣りをしていなかった兄に先に釣られ、年無しを上げられたり、釣りは初体験で、筏の上で弁当食って酒呑んで昼寝してアタリを待っている様な若造にヨンマル越えのチヌを釣られたりと散々な思いにしてくれた、内ノ海のチヌ。
書き切れない様な事が多々あり、そんな出来事が自分の中の何かに火をつけた。
当時、高橋船頭には「堂ノ浦のベテランたちに教えてもらうか」と言われたが、性格上「そんなんいらんわ!」と言い返し、負けず嫌いの本性剥き出しで、チヌは堂ノ浦、細川渡船以外へは行かへん!と固く決心し今になっている。

今年もそんな決意で臨んだ、初釣行当日の様子。
カセのなかでも一番奥の方(何号?か不明。いつも船頭にお任せ状態で上がるので)のカセに上がる。出船時から風が非常に強く、内ノ海が珍しく白波だって団子を作っていると波しぶきが容赦なくかかりヤッケがずぶ濡れに。
これは厳しいなと感じつつ、仕掛けを作り素張りで落としてみると、朝から上げ潮がきつく良い感じ。二時間ほどしてから風が弱まり二枚潮に。ますます良い感じに。アタリが出だして合わせるが、タナゴ、チャリコ、キュウセン等餌取は多い様子。底は餌取が多い様なので、中層を探る。(近年この時期のチヌは浮いている事が多い)しかし、全くアタリがない。ちょっと場が荒れてもうてるなと思い、暫くど手付けず全く何もせず、普段の仕事の事などを頭で整理。
やはりここで考え事をすると落ち着く。釣れなくても、この海の上にいる事だけで心地良いと再確認する。
暫くたって、ふと下に目をやると潮目が変わり下げ潮になる。ここで仕掛けを再投入。べた底で竿3本分ほど流すと、小さなアタリ。前アタリのあと送らず止めていると竿先がフワフワに。上がってきたのは25cmほどの小鯛。これは居るなと確信し手返し早く団子を打つも潮止まりになりアタリが止んだ。

昼を過ぎ、高橋船頭が寄ってくれ、
「サヨリ釣りの方が4ヒロほどでチヌを掛けた」との情報をくれた。
いや、でも人の真似するんはなぁ。真似して釣ったって自分の力量ちゃうしなぁ。なんてしょうもないプライドが邪魔をするが、「アカン、アカン。そんなんアカン。ここは素直に大将(高橋船頭の事)の言う通りにしよう」と4ヒロほど探るがアタリなし。また潮止まりし、1時間ほどしてから再び上げ潮に変わった。どうも底の潮流がきつい。

ここで持っている引き出しを全部開けて、再びべた底で3号のシンカーを付けて、
竿3本ほどゆ〜っくり流していると一瞬、「フワッ」。タナゴか?キスか?次のアタリなし。
その状態で今度は送らずに竿1本ほど誘いをかけた瞬間「フワフワ、ビビビ」と穂先微かに振れ続けている所を合わせると・・・乗った!竿先を送り込んでいないのと、底である程度流してるのですぐにリールは巻かずタメる。すると走り出した!完全に鈎掛かりした事を確信しやり取りへ。ゴンゴンッと頭を振り、チヌやな。上がってきたのは良型。40は軽く超えている。(と、思う)よっしゃ、一等賞に返り咲きやんけ!と思いながら、玉網の用意へ。3号のシンカーを鈎から2ヒロ弱上にかましていたのでそれ程リールで巻き切れない。慎重に、慎重にと左手でもった玉網を水面へ丁重に差し出し、ゴツイ頭を向けてチヌが入ってきた。よっしゃぁ!と竿を置きかけた、まさにその時・・・・・。チヌが収まっている玉網の網と柄の接合部分が、ユリ・ゲラーのスプーン曲げの様に、Mr.マリックもビックリする程にグニャ〜と海中へ折れ曲がっていく。は?なんや?そんな重いか?と、今思えばそんな事を思う余裕すらないほどの早さで曲っていき、「ピキッ」と鈍い音を立てて海中へ入っていく。と同時にチヌがハネた瞬間、シンカーがガチンッと跳ね上がり穂先が二節程折れた。ハリスもシンカーで切れ・・・。海中へ飛び込むかの如く思い切り手を伸ばすも、チヌは玉網を身にまとったまま底深く消えていった・・。今、こう書いていても腹立たしさと悔しさで目眩が・・・。その後、すぐに落とし込み仕掛けに変えて網を掛けようと探るも無念。何を探ってるんや!一体何を釣りに来たんや!と我に返りしばし呆然。玉網も折れ、穂先も折れ、心も折れ、一日が終わった。やっぱり、子供の虫取り用網にちょっと毛が生えたぐらいの安価な玉網はアカンのぉ。と反省するが遅し。でも、そんな玉網でも4年は使い続けていたのだが・・・・。

帰船上で大将に失笑され、「折れた柄を持って写真や!」と言われ、「そんなんいらんわっ!」と、言い返すことも出来ず云われるがままシャッター切られ、「またネタ頼むで!熱出さんようにな!」と、非常に心優しいお気遣いの言葉を頂戴し帰路についた。

細川渡船へ通うかかりチヌ師の皆さん。平玉網の網部分を上げられた方は是非ご一報を!誰かに玉網の掛け方教えてもらうかなぁ。
そんな事より、いらんゴミを大事な内ノ海に残した事になり非常に申し訳ない。
大将の所に道具の置きっ放しは止めよう。ちゃんと持って帰ろう。
「そうだ!釣りに行こう!」 「鳴門へ行こう!」 
「鳴門市瀬戸町に家を買おう!」「鳴門市に会社の支店を作ろう!」
「単身赴任しよう!」妻も「そうすれば!」と勧めてくれているし!

そうすればこんな事があってもすぐ翌日には筏、カセに上がれるんやから!
「仕事なんかそっちのけで、心優しい高橋船頭のいる細川渡船へ行こう!」
「家庭の事もそっちのけで・・・・。」
はぁ〜、悔しい。文字に起こす事が出来ないほどに悔しい。
帰宅後の酒も全っ然旨ないんじゃっ!釣り上げてチヌを抱っこせな
釣った事にはならんのじゃ!

「大将!あのチヌはロクマル軽く超えてたで!!だって玉網が折れたんやから!!」

 

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