惑う星 

「酒は駄目」



 トポポポポ……



「煙草も駄目っ」



 クシャクシャ…ぎゅっ



「久し振りに言わせてもらうけど」



 カンガラゴン、カシャカシャガシャ



「僕達は」
「へいへい。未成年、未成年」

 栓を抜いた缶ビールは一滴も口を付けないまま雑草の肥やしにされてしまい、封を切っただけの煙草はそのまま握り潰され、その両方をまとめてひとつのビニール袋に入れると固く縛ってゴミ箱に捨てた。
「なぁ美紀
 静かな呼び掛けに、薄暗がりの中涼しげな眼差しで石畳に座る優作へと振り返る。と、
「ゴミの分別、間違ってる」
 慌てて数歩進んだ道のりを引き返そうとした美紀を優作は軽い口調で止めた。
「言っただけだ。大丈夫、ばれないって」
「そう言う問題じゃないよ」
「せっかく誘ってやったのに、色気が無さ過ぎるんじゃないのか?」
 しかし結局一度捨てたゴミ袋をまた拾い上げた美紀は、
「そんなものは彼女の前で振りまくんだね」
 せめて空き缶用のゴミ箱が無いだろうかと辺りを見回した。


 七月七日
 つまり七夕の夜。
 少年二人が星を眺めようと人気の無い広い川岸の石畳で夕涼みをしている。
 と言う説明は正しいのか正しく無いか…


 …まだ星を見上げる所まではお互いに余裕が無い。


 何処まで行って来たのか、優作が思うより間を置いて美紀は缶ジュースを両手に戻って来ると片方を差し出しながら優作の隣りに腰を下ろし、
「ビックリしたよ、急に電話掛けて来るから」
 無理も無いだろう。
 美紀と優作は小中高、ずっと学校を同じくして来たが、まったくタイプが違うことは誰の目からも明らか。で、何度かクラスメイトを経験していても、同じグループに所属する事は一度として無かった。
「珍しく七夕に晴れたからさ」
「うん、星が見たくなったんだろう?」
 この理由だけで呼び出された美紀は特にごねるでも無く優作の呼び出しに応じた。
「だけど此処じゃあ役不足だよね」
 言って今夜初めて空を見上げた美紀。
 つられる様に優作も視線を天へと移す。
「天の川どころか普通に見える星まで見えないよ」
 サラサラサラっ
 と二人の間を風が吹き抜けて行き…
「…空が明る過ぎるんだ」
 掛かる前髪を掻き上げながら地上へと視線を戻した優作は缶ジュースのプルトップを引いた。
 彼の目的は実際のところ天体観測では無いのだ。
 第一そんな風流な趣味を持ってはいないことを美紀も知っているだろうに、何故か深くは追求して来ない。
 何の用かと一言尋ねてくれれば良いものを、真面目に星見をしている美紀に少し優作は戸惑っていた。
 黙って夜空を見上げる美紀と、その隣りで地上に視線を漂わす優作。
 小さな虫の鳴き声に、遠くを走る電車の音が混じる。
 こんなふうに自然に沈黙して居られるのは、二人がただの友人関係だからだろう。
 つもり積もった長年の想いを告げるべきか、それとも…。
 思案しながら片膝を抱え少し向こうの雑草に視線を置いていた優作の横で、すっと何かが動く気配に振り返ると、美紀は傾斜の付いた石畳に仰向けに寝転がった姿勢で空を指差していた。
「多分あの良く光ってるのがデネブ、白鳥座がこの向きだから…あれがアルタイル、彦星かな。で大きな三角を作る位置にあるのが織姫星。デネブを通って彦星と織姫星の間に天の川が流れてるはずなんだけど…」
 見えない光の帯を辿るようゆっくりと指先と共に移動していた美紀の視線が、
「聞いてる?」
 不意に優作へと移った。
 ボンヤリ美紀の指先を見つめていた優作、
「おっ、おぉ。聞いてる聞いてる」
 もちろん
 とまで続けてしまっては、いかにも聞いて無かったと言ってるようなものだ。
 美紀は少し肩を竦めた後、もう一度夜空を見上げ、
「北斗七星があそこでカシオペアがこうなってて…、ほら」
 ピタッと指先を定め、見下ろす優作に再度視線だけを向けた。
「あれが北極星」
「…だから?」
「遭難した時に役に立つかも」
 言葉に軽く優作は笑った。
「都会のど真ん中の何処で遭難するつもりなんだ」
 美紀は小さく舌を出し、
「星を見るために誘ったんなら、嘘でも真似事くらいするもんだよ。常識程度は知ってるんだろう?」
 またもや挫かれた告白のきっかけ。
 けれど、それを分かっていて美紀がはぐらかしている様子は無く、
 …今夜は無理かな
 なんて内心落胆の溜め息をつきながらの優作は、それでも夜空へと指を差す。
「あの白くて明るいのが金星、あっちの赤っぽいのが火星。それから、そっちの水色が水星で木色のが木星。で、あの辺りにある土色が土星、天色が天王星、海色が海王星で最後が冥途色の冥王星…と、俺が知ってるのはこれくらいだな」
 控えめに耀く星星を眺めていた優作だったがしばらく待っても返事が無い美紀の様子を窺ってみた。
 すると薄笑いを浮かべている美紀の視線がぴたりと重なって、
「海色の海王星までは辛抱したけど、冥途色はどう考えても頂けない」
「やっぱ、無理が有ったか?」
 あまりのとぼけ振りに美紀は小さく吹き出し、
「かなりね」
 クスクスと笑う。
 そんな美紀を優作はただ静かに見下ろしていた。




 …きっと欲しいと思ったのはこの笑顔
 生真面目が服を着て歩いているような美紀の言動からは、思いも寄らない笑顔が零れ落ちる。




「何?」
 無言で見下ろしている優作の何時もらしからぬ様子にようやく気付いた美紀は、そう首を傾げた。
 優作は覗き込んでいた姿勢を戻すと夜空を見上げ、
「惑う星」
 呟くと幾つかの星を見るでも無しに追ってみる。
「…惑星のことだね。いつも見える位置が定まらないから惑う星」
 静かな美紀の言葉…。と、優作の軽い吐息。
「俺の事もそんなふうに見えるか?」
 何が、と美紀は問い返す。
「色々な女をとっかえひっかえしてるからフラフラと定まらない、好い加減な男だって思われてるんじゃないかってさ」
 平静を装ってはいるが、実は結構思い詰めながらの優作。
 けれど、
「そんなふうに思った事は無いよ」
 あっさりと美紀は優作の懸念を否定した。
 優作が振り返った先には、心地良さそうに瞼を閉じた美紀が居て…。
 言葉を繋ごうと思ったが、先に美紀の唇が動き出す。
「優作ってすごく目立つから、きっと優作が思うより僕は優作のことを知ってると思う。女の子と居る時の優作って全然楽しそうじゃなくて、だから好きで付き合ってるんじゃないだろうって思ってたし、身なりがそんなだから実際より周りの評価も落として損してるけど…だけどそれは校則違反な優作の自業自得だよね」
 途中からは、いかにも人事だと言った様子で楽しそうに笑う美紀に優作は表情を落とし、
「笑い事じゃ無い。大体あんな戦時中みたいな校則に黙って従ってる奴の気が知れない」
 するとパチっと瞼を開いた美紀。
「それって暗に僕の気が知れないって言ってる?」
 指を差された優作は首を振りながら、
「美紀は煩く従ってるから別だ」
「…なんかそれって」
「特別なんだよ。美紀だけは」
 さりげなく告げられた言葉。
「何をやってても、どんな憎まれ口たたかれても美紀だけは許せるんだ」
 多分ここで初めて美紀は優作の真意に気付いたのだろう。
 大きく瞳を見開いた美紀の左手人差し指は、所在無げに夜空を差したまま。

 カタタン…、コトトン…

 と遠く電車が通り過ぎた頃、美紀はゆっくりと左手を胸の辺りで握り締めた。
「…その理由、訊いても良いのかな?」
 優作は静かに頷いて、
「晴れた七夕の日を選んだ理由、最初から察して欲しかったな」
 美紀は僅かに目を細める。
「恒星の周りを延々と回りつづける惑星は本当は一途な星だと思わないか…、って話を持っていくつもりで居たのに」
「思うより…優作の事、分かってなかったね」
 言葉にもう一度優作は頷いて覆い被さるよう美紀の両脇に手をつくと、
「好きだ、と言うのは迷惑?」
 真っ直ぐに美紀を見下ろした。
「今までみたいな関係じゃなく、別の意味で俺と付き合って欲しい」
 …と、居心地が悪そうに視線を逸らしてしまった美紀の仕草に、
「嫌ならはっきり断れ。中途半端な同情はいらない」
 けれど美紀は首を振る。
「そ う…じゃな、くって。え… っ、と」
 歯切れ悪く喋るその声は、僅かに震えている様で…。
 はにかみながら俯いてしまった美紀には、その瞬間に優作がほくそ笑んだ事など知る由も無く、
「こ…んな距離で話しするのって、慣れて…な、くて。出来れば、っと…もう少し」
「傍に?」
 言葉と共に、ふわっと美紀の上に降って来た優作。
「ちち、ちがっ、ちがっ」
 もちろん、優作がふざけ半分なんて事にも気付けず紅く高揚したその耳元に、
「抱いて良いか?」
 唇は軽く耳に触れたまま。
 慌ててブンブン首を振り、優作を押し退けようともがく美紀を抑え付け、
「うそうそ、何もしないから落ち着け。目を開けて、もう一度空を見上げてみろよ。さっき見た北極星、見えるだろう?」
 あたふたと肩で美紀が数回頷いた事を確認し、
「よし。じゃあ、そのまま深呼吸。…そう、ゆっくり。ゆっくり……」
 まるで暗示に掛かったかのよう優作の声に導かれるまま繰り返される呼吸。
 その間隔が次第に深くなり、優作の呼吸と重なった頃…
「…どんな感じ?」
 そっと呟いた優作に美紀はじっと夜空を見上げたまま首を傾げた。
「鳥肌が立ちそうだとか、気持ち悪いとか、吐きそうだとかって言うのは無いか?」
「…無い、みたい」
 優作の安堵の溜め息が首筋に掛かる。
「こういう事されるのって嫌か?」
「そう…でもない」
「付き合ってる奴は…」
「いない」
「俺の事」
「…うん」
 美紀の肩口に顔を埋めた優作。
「俺の事、好きになれそう?」
 意外にも美紀は優作の背に腕を回し、

「前向きに、検討してみる」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 コンっ!
「どうもすっきりしない」

 カラカラカラ…
「何が?」

 コンっ
「結局俺の告白はどうなったんだ?」

 カラカラ…
「だから前向きにって」

 コンっ!!
「そう言いながら、はぐらかそうって魂胆じゃ」

 カラカラカラカラカっ
「…僕を信用してもらうしかないんだけど」

 コツー…ン
 と大きく美紀が蹴った石ころは遠く暗闇の中へと消えて行き、その行方を優作が見届けている間に、傍の小さなコンクリートの階段を美紀は一気に七段目まで駆け上がっていた。
 クルッと方向変換した美紀は、階段に足を掛けていた優作を笑顔で止める。
「ここで良いよ」
 しかし見上げながらの優作は少し表情を曇らせた。
 …タイミングとしては、勘違いしても仕方が無い。
「ごめん。俺、変な意味で言ったんじゃ」
「分かってる。優作の事は分かってるから…、迷ってるのは別の事だから」
 そよぐ風を受けながら静かに笑い掛ける美紀を、優作は黙って仰ぎ見る。

 迷っているのは…、別の事

 優作にしてみればひどく謎めいた言葉だった。
 あの笑顔の裏に隠された何かが有るのだとしたら…
 と、
「優作っ」
 大きく呼び掛けられて、ボヤケていた焦点を美紀に合わせる。
「今夜はありがとう」
 言葉で一旦思考を振り切って、優作は表情を緩めて見せた。
「本当は、優作が僕を選んでくれたこと。すっごく嬉しかったんだよ」
 美紀の笑顔。
 これはきっと嘘偽りの無い本当の笑顔。
 じゃあね、とそのまま足を進めかけた美紀だが、背後から近付く足音に振り返った瞬間、
「………」
 抱き締められたのは短いキスの後。
「やっぱ、待つのは性に合わない」
 大きく息を吸うと、ほのかに上気する美紀の香りが漂っていた。
 柔かい髪に優作は頬を埋めながら、
「俺達、恋人から初めてみないか?」

 …その答えは、
 ちょうど二人の真上にあった、白く耀く星だけが知っていた。






















作:杜水月
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