恋 

「はぁ…」
 まだ夕方の5時を過ぎたところだというのにブラインドの隙間から見えるのは闇。
 辺りに人気が無くなったのをいいことに軽く息抜きのつもりでキーボードから指を離してしまった途端に洩れた溜め息は、別に闇へと向けたものではなかったのだが、
「その溜め息は、独り寝の寂しさ…ってところか?」
 声に振り返ると、戸口の傍に同期入社の西原が笑顔で立っていた。
「部長のハンコをもらいに来たんだが、留守?」
 ほら見ろ、とでも言いたげにA4用紙をピラピラと振っている西原に向かって、
「見れば分かるだろう」
 言い終えると俺は大きく伸びをする。
「来客中だけどそろそろ戻って来るんじゃないかな。それより何だよ、独り寝のどうとかってのは」
 この部屋の主で現在俺の直属の上司である千早部長は不在。
 少しくらいの雑談は許されるだろうと話を振ると、何やら浮かれた足取りで傍に寄って来た西原が、
「もうすっかり喪も明けたんだろう?」
「ぁあ? …も? って、おいコラ」
 いきなり背後から俺の肩を揉み出した手を払い除け、
「結婚がポシャって2年は過ぎたよなぁ。…だったら」
 今度はダランと背中に抱き付いてくる。
「なっ、なんだなんだ」
 こいつにそういう気があったなんて聞いたことが無い。が、しかし男に…いや、優駿以外の男に…いやいや、優駿以外の誰かにこういうことをされて嬉しいわけがない。
 ガシャンっ!!
 と大きな音と共に俺は西原を振り切ろうと椅子から立ち上がったというのに、
香佑志ちゃん、つれなぁ〜い」
 剥がし切れなかった西原が態勢を崩した俺にそのまま体重を預けてきてしまい、
「ぅわわわわわっ、とわっ!」
 必死に机の縁を掴んだくらいでは男二人の体重を支えきれるはずもなく…
 部屋に響いたのは鈍い摩擦音と金属の衝突音。
 そして、シンとした静寂が室内に広がるところまでは予想通りだったのだ。が、

「合コン」

 俺は明かに、
 は?
 と表情を変えただろう。
「ゴウコン?」
 目の前でニコっと笑顔を向けた西原は、
「合コン、合コン、ごーうコンっ♪」
 更に言葉を繰り返す。
 針の飛んだレコード、ってのはかなり時代錯誤な表現だな。などと心中で呟くと自嘲の意味も含めて軽く咳払い。
 そして圧し掛かっている西原を押し退けながら立ち上がり、パンパンとスーツの埃を払いつつ、
「社会人なら社会人らしい会話の構成ってものがあるだろう」
 言ってはみたが、ふんと西原は床の上にあぐらをかき、
「社会人なら社会人らしい会話の解釈ができるだろう」
 俺は少し眉間を寄せた。
 …随分と挑戦的じゃないか。
「今ののどこが会話だったというんだ」
「人が二人以上集まって話をすることを会話っていうんだよ」
「お前が一方的に喋ってただけじゃないか」
「清水の質問に答えてやってたのが分からなかったのか?」
「主語の無い文章が理解できるかっ」
「主語が無くても目的は分かっただろうが」
 俺はそこで言葉に詰まってしまう。
 確かに目的だけはハッキリ分かってしまったのだ。
 一瞬怯んだそのスキに、
「今夜、フリーなんだろう?」
 西原の言葉が更に追い打ちを掛けた。





 思い返せばここ2年、泣いてばかりのクリスマス・イブ。
 今年こそはと意気込みながらデートスポット満載の情報雑誌を買いあさり、ネットの情報サイトを訪ね回り、演出を山ほど考えいざ打診しようとしたその日の優駿からのメールには、


“年越しまでには会えるよう努力する”


 …その1行で俺の今年のイブは終わってしまった。
 今日これからの予定は悲しいくらいにがら空きで、さっきの溜め息はまさしくそれを象徴するかのような灰色吐息だったに違いない。





「あれ以来浮いた噂は聞かないが、2年も経てばもう吹っ切れててもいい頃じゃないのかな。別の男にサッサと乗り換えた女にいつまでも義理立てする必要もないだろう?」
 まさしく仰るとおり、だ。
 しかも2年も経てば彼女の不貞をかばう理由もなく、
「菜穂子のことはもう何とも思ってない」
 とうに終わった恋だから。
 ただ、彼女とは別に義理を立てなければならない相手が俺にはちゃんといるんだぞ。と、言ってしまえないのが実情で…
「まさか新たなる嫁さん候補が既にいるなんて言ったりしないよなぁ」
 ゆっくり立ち上がりながらの西原の低い声に、俺はつい首を横へと振ってしまった。
 事実を話せばきっと面倒なことになるだろうから、
「メンバーは他にもいるんだろう? ここのところずっと残業続きで忙しくてさ、何時に開放されるかは皆目不明なんだ」
 ささやかな嘘。
 本当は定時キッカリに終わる予定になている。
 ところが、
「いいや、あのお祭好きの千早部長がイブに仕事なんかをするわけがない」
 っと結構聡い西原に驚いている隙に、
「なぁ頼むよぉ。それなりにメンツ揃えてたのに、綺麗どころは全部ドタキャンなんだぜ。独身会の長老揃いばかりじゃ俺の顔が立たないんだよ」
 一気に事情を説明されては無下にもできなくなってしまった。
 夜の時間が有り余りそうな俺はやや後ろめたさを感じながらも、
「俺が混ざっても似たり寄ったりのレベルだって」
 とそこにいきなり、
「物事はあらゆる方向から客観的に眺めるように言ってるだろう」
 突然の部外者の声。
 …ではなく、この部屋の主の声に慌てて振り返ると、
「独身会の長老達は恋愛下手だが個性派揃いで俺はそれなりに評価してる」
「え…っと、そっ。そうっすね…いや、そうです。確かに」
 真顔での部長発言に、すっかりビビリながらの西原はかなりしどろもどろ。
「だが、合コンとなると清水には随分見劣りするだろうな」
 言いながらツカツカと自席へと腰を下ろした部長の、
「快く清水を提供するよ」
 続けた言葉に一瞬期待の色を浮かべた西原。
「と、そう言いたいところだが」
 パンっ
 とデスク上で山積みになっている書類を叩いてみせ、
「これ、清水のやり残している仕事の山だ」
 ニコッと西原へと笑顔を向けながら、
「残念だったな」
 上司にこう言われてしまってはさすがの西原も引き下がるほかない。
 当初の目的だった部長の承認印を貰うと、何か物言いたげに俺を一瞥して退室した。

 主催コンパがドタキャン続出では、確かに同情の余地はある…がしかし。

 倒れたままの椅子を起こし終え、チラッと部長を見やるとそ知らぬ顔で帰り支度を始めていた。
「…仕事の山はどうしましょう?」
 鞄に書類を詰めながら僅かに視線だけを俺に向けた部長。
「今日は定時に終わると言っただろう。優駿から寄り道させずに真っ直ぐ帰らせろと仰せつかってるから車で送ってやる、ボヤっとしてないで仕度しろっ」
 …焦らずにはいられない。
“帰り道、サンタのお姉さんに捕まらないように…”
 電話での会話途中、甘く言ったそんな優駿との睦言を知られたような気分で、勝手に赤面していると、
「おい清水、聞いてるのか? 部屋を閉・め・る・ぞ」
 俺のことなどお構いなしで、最後は念を押すかのようしっかりと発音されてしまった。
 けれど、
「あ〜、でもこんな早くに帰ってもすることないんですよ。どうせ一人ならここで仕事をしていた方が明日も楽ですから」
 他意は全く無く本当に思ったままを告げてみた。が、スッと不満げに目を細めた部長は、
「今しなくていい仕事をする必要はない。それに、ここに残ってれば西原は確実にまた来るんだ。大体、さっき同情買って合コンに行ってやるつもりになってなかったか?」
 聡いの総本山はこの部長しかいないだろう。
 それが分かってるから誤魔化しようもなく、
「頭数集めなら問題無いかと…」
「優駿への倫理的には大問題だ。コンパになんか参加してみろ、絶対にバラしてやるからなっ」
 部長のおせっかい好きと、優駿贔屓は今始まったことじゃない。
 そこそこで聞き流すつもりでいた俺へと、
「寂しいからって失敗しても今度は許される立場じゃない。前科持ちだと自覚しろっ」
 投げつけられた言葉には心底ギクリとなった。
 …かなり痛いところを突かれた
 失恋の傷が癒えず人恋しさのあまり、行きずりの優駿と一夜を共にしたのは紛れもなく俺の仕出かした事実だ。
 優駿への八つ当たり的不満という感情にアルコールとノリが程よくブレンドされてしまったら今のような精神状態でいられる保障はゼロに近い。
「真っ直ぐ帰ります」
 言うより先に俺は帰り支度を始めていた。


 …時折ではあるけれど、
 ダメな自分を痛感する。

 すれ違い、思い違いを克服して、ようやくお互いの気持ちを確かめあえたのが1年前。
 それがそのまま離れている期間でもあり、夏に束の間帰国した優駿と心も身体も貪り合って…それでもやはり埋められないものがある。
 どうしてこんなに遠いんだろう、と…
 二人の間に立ちはだかる、会えない時間と物理的距離との問題を払拭できる強さがあれば乗り越えられる。
 それだけ優駿を思う気持ちの強さは本物で、もちろん公私共に色々な努力もしてる。
 けれど
 常にいい精神状態を保ち続けることは少なくとも俺にとっては難しい。

 恋は人を強くする

 優駿を強く求める気持ちが前の失恋を乗り越えさせてくれたから、それはよく理解しているつもりだ。
 でもその反面、恋はこんなにも人を弱く脆くもしてしまう。
 何もかも捨てて帰ってきて欲しい、と。
 無理な願いが頭の中から消えてくれない。
 本当は今ここにいない寂しさで押し潰されてしまいそうなんだ。


 最初からこういう事態は予測済みで、それでも優駿の胸に飛び込んだというのに…

 ほんと、俺ってバカ。

 …何度繰り返しても、未だに恋を上手に捌けない

.......... * .......... * .......... * .......... * .......... * ..........

「混んでるな」
「混んでますね」
 深く吸ったタバコの煙を一気に吐き出しながら、シートの背もたれへと緩慢に体重を委ねた部長、
「混み過ぎだよな」
「混み過ぎですね」
 二人して視線を向けているのは、多分前車両のテールランプだ。
「つれない奴だろう?」
「そんなことは、ないですよ」
 ……
 勝手に話題を変えた部長の短い沈黙。
 何だろうと隣を見やると、感心したとでも言いたげな表情の部長と目が合った。
「ボンヤリしてるから、ろくに話を聞いてないのかと思ったが…」
 オウム返しばかりではそう思われても仕方がないか。
 俺は小さく笑うと、
「すみません、考えごとをしてました」
 素直に自白してしまい、
「向こうとの時差が大き過ぎて時間的には結構シビアなんですが、マメに電話もメールもくれてます。優駿に落ち度は何もないんです」
 ただ俺が辛抱知らずの我侭なだけだ。
 すると言葉が終わらないうちに、ふっと部長は人好きする笑顔を向け、
「お前達は本当に似たもの夫婦だな」
「え?」
 いきなり夫婦などと言われて、
「…っと、ぇえ?! なっなな何、がですか?」
 焦ってどもりまくる俺の姿に運転席で今度は派手に爆笑されてしまった。
 顔を真っ赤にしたまま部長の笑いを止めるすべが見当たらず、呆け顔で見つめていると、
「…送ってやると言っておいて悪いんだが」
 自力でようやく笑いを収めた部長。
「やっぱり清水は電車で帰れ、さっきから10メートルも進んでない」
 確かに歩いた方がましなくらいだ、が少し何かが引っ掛かる。
 部長付きになってから二人で行動することは多く、渋滞で車中に二人きりという状況もそれ程、苦痛ではないはずだ。
 しかも俺に時間制限など無いことを誰よりも部長が承知済みでもある。
 なのに何故いきなり途中下車を勧めるんだ…?
 そんな思いが知らず態度にでていたのか、
「何だ、不満か?」
 指摘されて即座に、いえと首を振った。
 不満ではなく疑問が残る、が…
「俺がデートに間に合わなくなるんだ、外は寒いが自力で帰れ」
 なるほど。
 納得した俺は、前方の信号が赤であることを確認し荷物を抱えると、車道だが車を降りた。
 車中を覗き込みながら、
「わざわざ有難うございました、お気をつけて」
「はい、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
 言って扉を閉めようとした時、
「くれぐれも道草するなよ。で、サンタのおねぇチャンには気をつけろ」
 口を揃えたよう優駿と同じ台詞で警告されて、
「優駿によろしくな」
 これはフラフラしてる俺への嫌味だろうと苦笑いで返しておいた。

 パン

 と軽く扉を閉める。
 辺りの車が動き出しそうな気配に、部長へと振り返ることなくその場を離れ、程なく歩道へと入ってしまうとコートを羽織って鞄を持ち直す。
 人の少ない裏通りを抜けて行けば駅前までは結構近い。
 寒さに肩を竦めながらうつむき加減で黙々と歩いていたのだが、間近に迫る雑踏の明かりに紛れてしまう間際で足を止めてしまった。
 賑やかな場所は避けたい気分だ
 その場で少し考えた後、傍にあった大きなスクエア型歩道橋の階段へと小走りで向かいその勢いのまま上まで上り切る。
 真っ直ぐ帰れと言われたが、イブの街を眺めるくらいの寄り道は許されるだろう。
 年に一度の大イベントなのだから…
 俺は取り合えず薄暗がりに軽く視線を泳がせてみた。
 足早に行過ぎる人の数は少なくないが、さすがに吹きっさらしの歩道橋の上で待ち合わせをする物好きは見当たらず、しかも繁華街がビルひとつ向こうにあるせいか、如何わしいサンタの姿も無い。
 ここなら大丈夫だ。
 と判断すると凭れていた手摺へとクルリと身体を反転させ、コートのポケットからタバコを取り出し口に銜えた。手摺に両肘を付き駅の改札辺りを眺めながらカチンと火をともす。
 深く深くフィルター越しに空気を吸い込んで、
 ふー…っ
 と煙を吐き出した。
 …それにしても
 よくもまぁこれだけ人がいるものだ。
 大渋滞の道路もそうだが行き交う人の数も半端じゃない。
 年齢・性別・職業などなど…皆違うにもかかわらず、通る全ての人達に待ち人がいるように見えて羨ましい。
 今日の俺はこんなにも一人ぼっちだから
 唯一そこから見える改札から左方向へと視線をずらして行けば、駅と隣接するホテルとの境にある植え込みの脇に仮設のケーキ屋があることに気がついた。
 その店先で、ついに話題のサンタのお姉さん発見。
 俺には背を向けているから顔は見えないが、きっとあのサンタなら害はないのだろう。
 しかも遠目に見てるだけならことさら問題は無い。
 店頭に客は三人で、そのうち一人が今ケーキの箱を受け取ったところだ。
 スーツ姿の初老男性、か。
 着古したスーツとオールバックの乱れ具合が、いかにも苦労三昧団塊の世代って雰囲気を醸し出している。
 身なりと露店ケーキとが不釣合いな気がして、俺はタバコの煙をくゆらせながら少し思案した。
 あのケーキをどうするんだろうか…、と。
 奥さんと二人で?
 直感的にそう思ったが想像する夫婦の年齢を考えると量が多過ぎる。
 グッと若い奥さんであってもあれでは食べ過ぎだ、が同居の家族が居ればあの大きさでも問題無いな。
 三世代同居なら足りないくらいだろう…が、いやいや待てよ。
 それならこんな露店ケーキ屋なんて博打は打たないはずだよな。
 万が一、手に入らなかった時はきっと一家総出で責められる。
 つまり家族じゃないってことか?
 ふむふむ
 だったら他の可能性としてはサンタじゃない綺麗なお姉さんにでも差し入れ?
 露店のケーキじゃポイント低いぞ。
 時間的には行きつけの飲み屋に手土産ってところが妥当な線か、でもじゃあ家族はどうなる。
 真っ直ぐ帰れよ、こんな日くらい。
 歳がいってもイベントはこなせ。
 俺は一生クリスマスにこだわってやる。
 ああそうだ、こんな日に段取りをつけない優駿にねちっこく嫌味を言ってやるんだとも。
 などと落胆を怒りに変化させ、勢いよくポケットから携帯電話を取り出した俺の視線の先で、今の初老男性がおもむろに、ぅお〜いって雰囲気で手を上げて見せた。
 誰かと待ち合わせていたのかと、その少し前方に視線を移すと同世代だろう男性が三人手を振っていた。
 …まさかまさか
 持っていたタバコを取り落としかけ、慌てて口へとあてがった。
 なんだ、職場の寄り合いだったのか?
 だが雰囲気としては昔ながらの仲良し四人組って感じだ。
 だって他の三人が嬉しそうにケーキの箱を覗き込んでいる。

 ケーキ買って来たぞ
 おっ、どれどれ
 上手そうだな
 チョコプレートは俺が食う

 勝手に会話を想像してしまったが本当にそんな風情なのだ。
 なんだか可笑しい。
 あの四人が揃ってケーキを突付く構図は絶対に笑える。
 実際には全然見当違いかもしれないがでもそうであって欲しいと思う。
 あれはケーキが食べたくて寄り集まった甘党四人組なのだ。
 年齢も性別も関係無く、好きな物を好きな人と追求し続けることが楽しみであり喜びなのだ。
 そうだ。
 人生はそうであるべきなんだ。
 どうせ生きなきゃいけないのなら、楽しく好きに生きた者勝ちだ。
 手に持っていた携帯電話を再びポケットへと戻し、ふかしていたタバコを携帯灰皿で揉み消すと、和気あいあいと去って行く四人組みを見送って俺もそこを離れた。



 優駿には愚痴ではなく開き直って脅迫してやろう。
 俺はこんなにも弱虫で泣き虫で寂しがり屋で、いつも望んで求めるばかりの恋しかできないダメな男なんだぞと。
 遠距離恋愛なんてもう真っ平だ。
 優駿が帰って来れないというのなら、俺の方から行ってやる。
 それからあとは何だ。
 そうだ。
 決めゼリフは、

 …これが俺にとっての最後の恋、だ

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 今風の化粧で営業笑いがばっちり決まる、あのサンタのお姉さんからケーキを買った。
 次に寄った酒屋では話し好きで商売慣れたサンタのおじさんからシャンパンを。
 最後にはいつもと変わらず笑顔半分のエプロン姿のおばさんから、温まった弁当だ。
 思いがけずかさ張ってしまった荷物を自宅マンションのエレベーターに揺られながら抱え上げ、腕時計で時間を確認。
 向こうは午前4時半か。
 どうしよう
 この手荷物達を食べる前に襲撃するか、食べながらネチネチ話し込むか、食べた後…なら絡み酒になりそうだな。

 チンっ!

 っと響いた金属音が消えてしまう前にエレベーターの扉が開く。
 辺りはこんなに暗くても遅いという時刻ではなく、エレベーターホールに人気は無いが静寂とは程遠い。
 一瞬イブだということを忘れてしまいそうなくらい、極々日常的な風景だったからほとんど無意識で通路へと踏み込んだ。
 俺の部屋はそこから三つ向こうにある。
 自然に顔を上げるのも別に意味は無い。
 俺の部屋は、そこの扉から1、2、3番目。
 見間違うはずがない。
 そうだ、いち、にぃ、さ…ん?
 しつこいようだがもう一度数え直して…ただ呆然と立ち尽くしてしまう。


 …奇襲をかけられたのは俺の方だった


「…な、んで」
 思考回路が崩壊中でゆっくり歩み寄って来た優駿に抱き締められたまま、そんな言葉を呟くことしかできないでいる。
 映画やドラマなら、こんな間抜けた再開は絶対に有り得ないだろう。
「逢いたくて」
 優駿もまた端的に理由を述べるのみ。
 でも今の俺には分かり易くて、嬉しかった。
「サンタのお姉さんに惑わされたか?」
 まだ温まりきらない腕の中で首を振り、
「だからケーキを買って来た」
「意味が分からない」
 そりゃそうだろうが、
「…後で話す」
 返した言葉で何やら笑ったようだ。
 懐かしいこの香りにもっと近付きたくて、両手いっぱいの障害物にストレスを感じないではいられない。
 さすがにこの状況でもケーキとシャンパンを振り落とさないだけの理性は残っていたから、
「中、入ろう」
 今すぐに。
 それが1番得策だ。
 優駿をもっと深く、感じたい。






























 初めて身体を重ねてから2年近くになるというのに、抱き合った回数は本当に少ない。
 けれど
 いや、だからと言うべきなのだろうか。
 回を追うごとに繋がりが深くなっていってしまうのは…



「やっ…、ん ぁう…っふ」
 まだ温まり切らない部屋の中、俺は既に二度果てていた。
 にもかかわらず三度目の絶頂を求めて、優駿に縋り付き喘ぎ声をあげている。
 玄関先には荷物の山。
 優駿任せではあるものの、多分ロックはしたはずだ。
 お互い身軽になった途端に本能のまま唇を重ね口腔を侵しあった。
 ただただ夢中だったから、服をいつ剥ぎ取られていたのかは記憶に無い。
 けれど全裸になっているのかといえばそれも違う。
 肌蹴られた白いシャツと濃紺色の靴下だけは残されていた。
 そんな中途半端な格好でも全部脱がせろと言えないのは、優駿がまだ衣類をほとんど身につけたままでいるからだ。
 コートとジャケットだけは、多分廊下のどこかに散乱しているのだろうけれど…。
 極限まで開かれた太股を膝で固定され、いきり立った中心を巧みに撫でる上げる優駿の右手。
 左手は足の付け根と窪みの回りを無闇に行ったり来たりするだけだ。
 確信に突いてこようともしないのがもどかしい。
「…ひ・ と、し…。 …とし、おねが っい」
 途切れ途切れで懇願する声がピンクががってる。
 アクセントも変。
 とても耐えられないから耳を塞ぎたいのだが俺の両手は今、別のことで忙しい。不思議な触り心地のシャツを必死で引っ張って、脱げと訴えているから…。
 なのに、
「気に入ってるんだ、無茶するな」
 少し笑いを含んだ声に腹が立つ。
 瞬間睨みつけようと優駿を仰ぎ見て、真上から見下ろす瞳の勇猛さに目を奪われた。
 夏よりもずっと優駿の覇気が強くなってる。
「好き…」
 …変わりゆく優駿の何もかもが。
 満足げに目を細めた優駿がキスをくれた。
 こうやって俺を組み伏している男は、もう品のいいサラブレッドという器では収まりきらないのかもしれない。
 俺は濃黒のシャツから離した手を、優駿の頬へとあてがう。
 優駿はサバンナの頂点で悠然と立つ勇壮な獣へと変わるのだ。
 …だったらいい、全部奪われてしまっても。
 服を脱がない優駿が望んでいるのは、
「犯し、たい?」
 俺のこと。
 この欲望は溢れ出る野心の片鱗。
 頬にあてていた両手を取った優駿が俺の指を舌でぺろりと舐めたかと思うと、噛むようにそこに歯を立てて見せ口端を上げる。
 王者の笑みで、肯定するな
「…いいのか?」
 今更
 訊くな


 自分が何を求めているのかは理解できているから、囚われた両手を祈るように組み合わせ、瞳を閉じたその瞬間。
 俺は全ての抵抗を放棄した。

。○。○。○。○。○。○。○。○。○。○。○。○。

 絶対3度は死んだはず。
 意識を手放した回数なんて覚えてもいない。
 いくら同意したとはいえ、
「…ちょっと、ヤりすぎた」
 ちょっとじゃないだろう、あれは。
 思ってみても声が出ず、淡いため息だけが明るい部屋にフワリと溶けた。
 優駿はさっきまでの熱を残した面持ちで、優しく俺の髪を撫ぜてくれている。
 直に触れる優駿の体温が心地良すぎて眠りに落ちてしまいそうだが、まだまだもっと見ていたい。
 間近でずっと優駿の笑顔を見つめつつ俺の全てがここに在ると再認識。
 この瞬間があるからこそ、恋はやっぱり止められないのだ。
 帰る道々あれ程思案をしたというのに、ようやく付いて出た言葉は、
「仕事、は…?」
 このザマだ。
 小気味良く肩を竦めた優駿は、
「大丈夫、だとは言い難い」
 が
「香佑志に会えないほうが、もっと仕事に支障を来すから」
 驚いて見開いた目尻にキスを受け、
「全部置いて帰って来た」
 …ああ、だから
“似たもの夫婦”
 だったんだな。
 しつこく早く帰らせたがった部長の意図がようやく読めた。
 部長はいつも全てを把握していて、程よい距離で手を差し伸べてくれるのだ。
 捨て難い良き理解者ではあるけれど、
「…優駿」
 何度も呼んだ愛しい人の名前を改めて呼び直す。
 返事の変わりにキスの距離から瞳を覗き込んできた優駿が、
「俺も一緒に行きたい」
 告白に笑みを満面に浮かべたものの、さほど驚かなかったことに、やはり似たもの夫婦だったのだと感じた。
 望むことはいつも同じだ
 それでも返事を聞きたくて…
 ジッと見つめている俺から視線を逸らすことなく器用に傍のスラックスを手繰り寄せ、何やらまさぐった後少し優駿は身体を起こした。
 握られた俺の左手が顔の傍まで持ち上げられ、確認しろとでも言いたげに視線で促してくる。
 なんだか良く分からないがそこに俺は視線を向けた。
 すると
 ゆっくりと薬指へと嵌め込まれたのは清楚に煌めくプラチナリング。
「思いきり繋がってる最中に、こっちも確約するつもりで練った計画だったんだが…」
 悪戯っぽく上げた眉が、
「過激な誘いに理性が吹っ飛んでしまった」
 言い終わらないうちに困惑をかたどった。
 何も言えず縋り付いてしまった俺の耳元で、
「一緒に生きて行こう」
 …涙の洪水が止められない。
 イブの涙は定番になりそうな予感を胸に、俺は情けない顔を晒しながらも優駿をもう一度見上げて、精一杯の笑顔を向けた。
「…最後、に… する」
 優駿の視線を受け止めながら、息を大きく吸いこむと渾身の思いで決めゼリフを言い切った。

「優駿で…恋は、最後だ」

 …澄んだ瞳で頷いた
 優駿の真摯で穏やかな笑顔を、俺は一生忘れない。
















おわり






8ヶ月ぶりに完結作品が仕上がりました(^^ゞ
とにかくイブに間に合ってほっとしております。

お話しの掛かり、
千早勝徳(部長の事です)が登場するまでの場面は、
優駿2が出来上がった直後に作ってました。

つまり、かな〜り前から置き去りにされていた作品で、
その年のクリスマス・イブは平日だったんですね、多分。
今年アップするんだから、日曜日設定にしたかったのですが、
そうするともう原型を留めなくなるので強行突破してしまいました。

そして、このシリーズはこれで終わりとなります。

本来なら本文中に書いておくべき後日談は
あとがきにて付記する予定ですので
気になる方はそちらでどうぞ…。




それでは、最後になりましたが
完読していただき大変有難うございましたm(__)m



2006.12.24 杜水月









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