十六夜 

 いつから…




 なんて



 そんなこと 考えたってしかたがない
 気付いた時には そうだったから











 恋なんて そんなものだろう?












 でも








 落ちたからって どうにも出来なくて…

 何をすれば良いのかも 分からなかった



 から

 …そのまま終われば良いんだと

 このまま終わってしまうんだと…








 だから


 ずっと 忘れたつもりでいた

 遠い過去の思い出だと

 甘くてせつない 幼い頃の








 …淡い思い出 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

「ついに姿消したと思ったら…」
 俺の言葉に縁側の真ん中あたりに腰掛けながらのんびり空を見上げていた瞳が静かにこっちへと向いた。
 声だけでは誰だか分らなかったのか、少し細めた目で俺の姿を認めると今度は意外と言ったふう、キョトンと目を丸くする。
 その仕草がまるで仔猫のようで可愛い。
「こめん、俺のせいで」
 謝罪に軽く眉を上げて見せ口元に笑みを浮かべると嬉しそうに視線を外し、徳利とつまみが乗っている盆を少しずらした後、縁側の縁をポンポンと叩いてくれる。



 ここに座れ



 と言う合図。
 俺は返事の代わりに笑顔を返す。
 軽くつっかけたゴム草履に小さな石ころが入り込むことなどおかまいなしに、中庭の砂利をザクザクと蹴散らしながら縁側へと腰を落とすその間に、手に持っていた艶やかな飴釉の酒盃を逆さにして振りながら、
「良いのか? 今日の主役がエスケープなんかしても」
 穏やかに言い終えるのと同時に座った俺の胸元辺りに、さっきの酒盃を差し出してきたのは三っつ年上のいとこ。
 母親の姉の子供だから、大橋姓を名乗る俺とは異なって苗字は杉浦と言う。
「今日の主役は祖母ちゃんじゃん」
 酒盃を受け取りながらそう返すと、次いで向けられた徳利の注ぎ口にそのままの位置で飲み口をあてがった。
 ツーっと器に流れ込む透明のサラリとした液体を眺める振りをしてその実、目を向けているのは徳利を持つ長くて骨ばった指。
 女の手ほど白くて華奢ではなく、大きさや関節は男を感じさせるのに、それでも綺麗な手だと思う。


 …昔から俺にとっての彼はそうだった。



 顔立ちは中性的だが決して女っぽいわけではない。
 なのにどうしてか彼の全てが煽情的でたまらなくさせた。
「二十五回忌なんて弔うって言うより、もうほとんど祭りだろう? 若くして死んだわけでもないんだから、普段会わない身内集めて飲むきっかけが欲しいだけさ。現に祖母ちゃんの話題よりタケの結婚話しで大いに盛り上がってるじゃないか」
 薄い笑顔で言い終えると傍にある木の柱に凭れて、飲めと小さく顎をしゃくる。それだけの仕草でさえやはりきゅっと胸を締め付けられてしまう。
 そんな彼に俺のせいで肩身の狭い思いをさせてしまった…
 結婚はどうとか、身なりがどうとか、いちいち俺と引き合いにされて、見てるこっちが辛かった。
 さっき謝ったのはそう言う理由からだ。
 なのに、
「おめでとうな、結婚」
 何の含みも無く笑顔で言われてしまうと、やたらと複雑な心境で、
「…う、ん」
 曖昧な返事と共に、並々注がれた酒盃を軽く持ち上げクイと一気に喉へと流し込んだ。
 口にした液体が喉元から食道、そして胃へと納まるまで眉間をよせ顔をしかめてしまったのは、思いのほか日本酒が辛口だったことと、彼の口から “おめでとう” と告げられてしまったこと。
 他意の無い祝辞に傷付いた理由に簡単に思い至る自分が少し怖かった。



.......... * .......... * .......... * .......... * .......... * ..........

 ずっと以前は近くに住んでいた。
 俺とはやや歳が離れていた彼の兄のことは敬意の意味も含めて “つかさにい”。
 若干年下だった彼の妹はただただ可愛らしい年少の女の子、って気持で “ももちゃん”。
 そして今、眼の前で湯呑に酒を注いで月をつまみに飲んでいる彼が俺の初恋の人 “たっちゃん” だ。
 美しく神秘的で、しかも限りなく現実感の有る人。
 矛盾しているようだが、間違い無く俺にとってのたっちゃんのイメージはそうなのだ。
 年齢の近い同性の身内…ってだけでも過ぎるくらいの親近感は元々あったから現実味があるのは仕方がないだろう。
 小さな頃から女の子とよく間違われる容姿。
 愛くるしい笑顔が誰にでも好かれ、幼少時に彼を悪く言う人間などいなかった。
 勉強も運動もそつなくこなし、小学生時代はそんなたっちゃんと仲の良い身内でいることが何より誇らしく思ったものだ。
 そして、神童のようなたっちゃんの裏の顔を知っているのが俺だけだと言う優越感にも実は浸っていた。
 昔からたっちゃんは色んな顔を持っていたのだ。

 対、大人。
 対、友人。
 対、異性。
 対、世間。

 って感じだろうか。
 どこで何を演じたら一番周りが喜ぶかを恐ろしいほど良く把握していたと思う。
 小学生ながらそんなことに心労を費やしていても意外と平気な人格のたっちゃんではあったけれど、結構ボケボケで抜けてる一面をも持ちあわすのだ。
 何も無い所でつまずいたり
 牛乳パックが開けられなくて派手にぶちまけたり
 考えられないような忘れ物したり…
 他の人の前ではそのボケを上手くフォローすると言う作業も怠らないのだが、俺に限ってだけその辺り。きっちり手を抜いていた。
 ただ単にたっちゃんにとって無意味な存在だったようだが、まだ子供の俺にそんな判別がつくはずもない。
 俺だけが特別な存在なんだと勝手な思い込みと勘違で、中学生になってもたっちゃん追いかけて、付きまとって。
 けれどまだ漠然としていたその感情がはっきりと形になったのが、俺が中学二年の夏休み。
 たっちゃんの家に遊びに行って久々のお泊りをした夜だった。
 俺の隣で無防備に布団を蹴り飛ばして半裸で寝ているたっちゃのあられもない姿と、細い寝息を立てる血色のいい半開きの薄い唇から目が離せなくなって、つい自分の唇を重ねてしまった。
 しかも、それでも目を覚まさないたっちゃんの白くてつややかな肌に指を這わしている最中、小さく漏れた吐息で感じた下半身直通の衝動。

 その時はじめて分かった。

 俺のたっちゃんに対する想いとそれに付随する自分自身の欲望とを。

 …多分どこかで自覚はあったのだろう。
 俺にとってその感情は絶望的ではなかったから。
 けれど、その時の俺ではその想いを持て余すしかなく、暗く鬱々とした学生生活をその後二年間送る破目になった。
 そして高校受験の頃、俺は父親の転勤でその地を離れることとなる。
 年齢的な理由もあって親戚の寄り集まりにもお互い顔を出さなないままそれぞれが大人になり、俺の封印した想いはすっかり風化したものだと思っていた。
 何故って、その後は普通に異性と恋愛が出来ていたのだから…。

 職場で知り合った普通の女とありふれた普通の恋におち、普通の交際の末、普通に結婚を決めたタイミングで祖母ちゃんの法事。
 結納は済ませていたから親戚への報告にちょうど良い機会だと久しぶりに身内の行事に参加したと言うのに、まさかたっちゃんが杉浦家代表でやって来るなんて思いもしなかった。
 結婚してすっかりオヤジ化して子供もいたりして、ウエスト周りに付いた贅肉を揺らしながらメタボ対策に骨を折っていてくれたらどんなに俺も気が楽だっただろうか。
 過去の想いを綺麗さっぱり精算できていたに違いない。

 なのに…

 ある意味、それは裏切りだと思った。

 …つまり、たっちゃんは俺が放心してしまうくらい。
 いや
 結婚を反故にしても良いと思えるくらい全然そんなじゃなかったのだ。

 諦めるんじゃなかった

 ただただそんな想いに苛まれ宴会の途中でいなくなってしまった、たっちゃんをこうやって追いかけてきた俺。

 でも

 俺は一体、どうしようと言うのだろう…

.......... * .......... * .......... * .......... * .......... * ..........

「マリッジブルーねぇ…」
 しみじみとしたたっちゃんの呟き。
 それに陥ってしまったのはほんの数刻前ではあるけれど俺はそうなった原因に直接相談を持ちかけていた。
 言った瞬間は冗談だと思ったらしく大爆笑されてしまったが、俺の本気を理解してくれたようで、
「男にも有るんだなぁ、そう言うの」
 じっくり思案してくれる気になったようだ。
 図ったわけでは無いけれど、返事を待つ素振りでたっちゃんをゆっくり観察することが出来た。
「この相手で良いのか。とか、これからの生活やっていけるのか。とか悩むって聞いたことはあるけどな。時期的なものらしいし、惚れてるから結婚決めたんだろうし」
 整然ととかしつけ束ねられていた肩にかかる髪は、法事の最中とは打って変わって洗いざらしのまま放置されボワッとしてる。
 と言うことは勝手に…いや、別に俺に断る必要もないだろうが風呂にまで入っていたらしいたっちゃん。
 法事の時の玄人じみた正装もさることながら、こんな無造作な出で立ちにも十分そそられる。
 特に長めの前髪の間から見え隠れする瞳が意味深でセクシーだ。
「先のことばっか考え過ぎて足踏みしてる間に、じじぃになっても困るだろ?」
 そして極めつけはこの着流し。
 若かりし頃のじいちゃんのお古が、何故か自分に回って来たとさっきたっちゃんが説明してくれはしたけれど、母屋の伯母は確信して渡したはずだ。
 誰が一番似合うか、ってことを。
「ってまぁ人の受け売りなんだけどさ」
 少し着崩れた襟元からチラチラ覗く胸元とか、腕を上げるたびに大きく開いた袖口から見えてしまう脇だとか。
 足りなくなった酒盃の代わりに湯呑を取るべく縁側を這って移動した時などは、ウエスト辺りのラインがそのまま映って、その腰ごと組み敷きたい衝動を抑えるのがどれほど大変だったか。
「なあ」
 やっぱり結局長い月日を隔てても、俺はこの人がそう言う意味で好きなのだ。
 心も身体も全部欲しいと思えるくらい、ずっと恋い焦が…
「い?! ててててっ!」
 いきなり耳に激痛が走る。
 確認するまでもなくたっちゃんに耳を引っ張られているのは歴然としていて、
「なに? いきなり、何っ!?」
 顔をしかめながらの抗議にムッとした表情で、俺の耳から手を放したたっちゃん。
「“何?” じゃないだろう。人の話し聞いてんのか?」
「………」
 聞いてなかった。
 結婚相手の顔より身体より、隣に座るたっちゃんの息づかいや声、そして体温を直に感じたい想いの方が強くて…。
 なんて、頭の中ではたっちゃんへの邪な欲望ばかりがよぎるものだから、何の言葉も返せないでいる俺をジッと見ていたたっちゃんが、ふと笑みをもらして視線を外す。
「…たっ、ちゃん?」
 心の中を見透かされたのかと、恐る恐る呼び掛けてみると、
「年が上だからって未婚の俺が言えた義理じゃ無いな」
 諦めたようなつぶやきを残し、湯呑の酒を口に含む。
 うつむき加減でゴクリと喉仏を揺らしたあと、
「実は俺も婚約直前に駄目にした口だから、あんま人に説教出来る立場でもなくってさ」
「えっ!?」
 と、かなり驚いた俺の反応に少し得意げにして見せたたっちゃんは、俺の手にある酒盃に勝手に酒を注ぎ足している。
 その魅惑的な指先を再度じっくり見つめて…いる場合じゃない!
「いつ!? 結婚!? 止めた? って? なんで??」
 引っ越した後、今日まで。たっちゃん情報が入ることはほとんど皆無だった。
 すでに結婚して子供まで居ることを想定していた割には今の発言には精神的な打撃が大きくて、つい文法そっちのけで問いかけてしまった気持ちなど知るはずもないたっちゃんはのんびり首を傾け、
「一昨年だったと思うけど」
 そう呟くと、う〜んと思い出すふう視線を遠くに飛ばし、
「選ぶべき相手じゃ無かった…、って気付いたのが理由。かな」
「…たっちゃんが?」
 少し間を置いて、
「お互いが」
 小さくそう答えたあと、
「そう…。俺も彼女もそれを理解したから、ちゃんと別れることが出来たんだ」
 まるで自分に言い含めるかのようだ。
「後悔は」
「無い」
 かなりキッパリと言い切ったから、
「好きな人、いるの?」
 直感で衝いて出た質問。
「いるよ」
 …やはり素早い回答に訊くんじゃなかったと思いつつ、
「付き合ったり」
「一緒に住んでる」


 ガツン

 とハンマーで頭をかち割られた気分だ。
 そのまま言葉を失った理由がショックを受けたからだと悟られたくなくて、さっき注がれたままになっていた酒を勢い良くあおった。
 ゴクリと音を立てそれを喉へと流し込みキュッと胃が締め付けられる感覚が治まったのを確認して、ひと息つきつつ隣を盗み見る。
 たっちゃんは穏やかな表情で空を見上げていた。
 そう言えばたっちゃんを探しに来た時にも、こうやって空を眺めていたか…。
 つられるよう見上げた先には雲ひとつなく、果てを知らない暗い宇宙。
 その一面の宇宙の中で白く光る月はこんなにも明るく闇を照らしていると言うのに、何故かどこかその輝きは控え目だ。
 …生憎中秋の名月は昨日だったから今日は一日遅れの十六夜の月。



 ふぅ…ん

 そうか。
 十六夜だったのか…。


 猶予(イザヨ)う、月


 まるで今の俺自身。


 いや
 俺が猶予(タメラ)いたいのか?














 ふたりがこうやって月を見上げたまま黙ってしまえば、静かな虫の鳴き声が誘うように心地良い。
 たっちゃんがただの従兄でなければ、と切に心に響く気がして、
「…たっちゃん、俺」
 成るべくして湧いた感情だと思うから、
「結婚やめるよ」
 思ったより事もなく告げた自分に迷いは無い、けど月を見上げていたたっちゃんの表情は…。
 もちろん相変わらず、と言う訳にはいかない。
 フワリとした表情を瞬時に引き締め瞬きをゆっくりひとつした後、静かにたっちゃんは俺へと視線を向けた。
 笑顔であるはずはないにしろ、動揺の色を浮かべてもいない。
 ジッと俺の言葉の真意を推し量っている、と言った感じだったから、
「他に、好きな人。が…居るんだ」
 そう続けた俺へと、たっちゃんの唇が何かを告げようと軽く開きはしたものの、
「……」
 結局その口元からは掠めるようなため息が漏れただけで、そのまま視線を飲み干してしまっている湯のみへと向けてしまった。
 少し肩を落とし何も言葉を紡ぎそうに無いたっちゃんの横顔が、どこか頼りなげに見えて…









 たっちゃん










 その瞬間、言葉にしたような気もするし声にならなかったようにも思う。
 ただ傍に居る愛しい人を思い切り抱きしめていた。
 後先のことなんて考える間も無く。
 精一杯たっちゃんを感じたくて。
 俺の想いを分かって欲しくて。
 受け入れてもらえるような気がした、のに…。










 それはただの自己満足の思いこみ。










 だったと気づいたのはそれから程なく。
 俺の左肩に軽く手を添えた以外には何のアクションも起さないたっちゃんの反応に気を良くして、更にギュウギュウその身体を抱きしめてみると、
「…まぁ」
 そう言って耳元で深い溜息がこぼれた。
 そして、
「婚約まで話が進んでるんだ」
 ポンポンと俺の背中を撫でるよう叩きながら、
「悩むのはしょうがない」
 その口調と態度に、
 あれ?
 と頭の中に浮かんだ大きな疑問符。
「けど、二人で乗り越える覚悟が出来たから決心したんだろ?」
 更に、
「出会う順番が少し違っただけだ。大丈夫だよ、タケがそれでも…って思えるんなら、それだけ価値のある女ってこと」
 続いた言葉に愕然としてしまった。
 あんまりにも頓珍漢な勘違いにホント、頭の中が真っ白になってまだ何か言っているたっちゃんの言葉が耳に入らない。
 と言うよりどうでも良い。
 何なんだよ、その解釈はっ。
 こんな状況にありながら、たっちゃんが俺との関係を微塵も想像していないことが何よりもショック。
 しかも俺が見境無く他人に抱きついたりする人間だと判断されたことにも腹が立つ。
 だから、
「たっちゃんっ!」
 切羽詰まった声で小さく叫んで両肩を掴むと強引にその身体を引き離し、お互いの顔が着くか着かないかの間合いで止めた。
 極、目の前にあるたっちゃんの見開かれた黒い瞳には俺だけが写っていて、
「…な、に。急に」
 呟きに小さく笑いが含まれているのは、本当に俺とのことが眼中に無い証拠。
 とっさに芽生えた“欲しい”と言う衝動を止める気になどなれず、思いのまま桜色の唇に噛み付こうとした瞬間、ふっと視界からその姿が消えてしまった。
「え?」
 とか、
「あ?」
 とか、声無き声が俺の心中で反響しているその隙に、手の中にあったその存在すら失ってしまい…
「…た、っ ちゃん?」
 驚きと不安がない交ぜになった呼びかけ。
 中腰を上げキョロキョロと視線を泳がせていると、
「ば〜か」
 意外にもその声は下方から俺の耳へと届き、視線を向けると低い石段へと直に腰かけていたたっちゃんが真っ直ぐに俺を見上げていた。
 口調とは対照的にその視線はお世辞にも好意的とは言い難く、
「悪酔いするにも程がある」
 そう言葉でも責められたがアルコールのせいになどされたくなかった。
「酔った勢いなんかじゃ無いっ」
 真っ直ぐに上から告げた俺の視線を、じっと受け止めたままのたっちゃんは、
「だったら、お前は素面で男を襲うような人間。ってことになるな」
 俺は勢いよく首を横へと振った。
 疑惑の色を浮かべたままのその瞳から視線を逸らすこと無く、
「好きだから、抱きたいと思った」
 眉間のしわを更に深くしたたっちゃんを見据えたままひとつ息を継ぎ、
「ずっと前から好きだった。忘れたつもりでいたけど…、でも久し振りに会って、たっちゃんが前よりもっと魅力的になってて。結婚もしてないなら誰に義理立てすることも無い」
「ったく」
 吐くように短く言い捨てたたっちゃんは、絡まっていた視線と共に俺の一世一代の告白をも切ってしまった。が、
「嘘じゃないっ。結婚なんか止めたって」
 パンパンパン
 っと着物の裾の汚れを叩いたたっちゃん。
「まったく揃いも揃って…。年下ってのは人の話を聞けない奴ばかりで困る」
 ゆっくりと俺へと振り返り、
「同棲してる恋人が居るって言っただろ?」
 人差し指を立てながら、はっきりと。
 しっかりとした態度で恋人の存在を主張してみせた。
 けれど、
「それは恋人であって奥さんじゃ無いんでしょう? 法律的につながりが無いわけだから俺が取って何が悪いんだよ! 大体結婚しなくても済む程度の相手なら」
「殴るぞ、お前」
 静かな低い声。
 たっちゃんは、はっきりと怒りを全身に浮かべつつ、
「半端な気持ちで一緒に居るわけじゃ無い。したくても出来ない事情があるから籍を入れて…」
「何だよ、その事情って」
「タケに話す義理は無い」
 きっぱり突き放されて、思わず一歩詰め寄った俺から、たっちゃんは詰め寄った間合い分後ずさった。
 臆すこと無く強く見つめ返す視線ははっきり拒絶の色を浮かべている。
 それは俺に対して今まで向けられたことの無い…いや、見たことの無い厳しい表情。
 そして
 ようやく俺は気付いた。








 …そう、だ。
 本当に、俺とたっちゃん。長い間離れてたんだ…。









 俺自身がそうだったように、たっちゃんはたっちゃんの人生を歩んで来たのに、引っ越して行った翌日みたいな感覚で、たっちゃんのこと全部知ってるみたいな錯覚に陥って俺は何てことを言ってしまったんだろう。
「ごめん」
 たっちゃんは本気でその人を想っている。
 手を伸ばしても届かない現実でのこの距離が、俺とたっちゃんとの全ての距離だ。
「でも」
 俺は…
「好きなんだ。本当に、ずっと前から」
 掠れる声。
 潤んだ視界にぼんやりと、たっちゃんの困った笑顔が写った。
 そして、小さな溜息。
「タケが結婚してから会うべきだったな」
 詫びるような呟きに、俺は違うと頭を振って、
「それでも結果、は同じ…と思う」
 何とか声を絞り出す。
「…なら一生、会うべきじゃなかった」
 俺はもう一度首を横へと振って見せると、鼻をすすって涙を拭って大きく大きく息を吸い、苦笑を浮かべたままのたっちゃんを見つめ直した。
「気持ちに決着が付くまで俺はずっと引きずってたって今日判ったから、どんなタイミングでも会えて良かったと思う」
 笑みを消し、静かに俺の話を聞いてくれているたっちゃんに、
「俺、本当は普通が性に合ってないのかもしれない」
 告げると少し小首を傾げる仕草がやはり好きだなと思うから尚更、
「結婚のこと、もう一度よく考えてみるよ」
 彼女に対する“好き”と全然想いの性質が違うことに気が付いたから。
「タケ…」
「言っとくけど、たっちゃんのせいじゃないからね」
 きっかけにはなったけど。
 とまで、口にしなかったのはこれ以上困らせたくはなかったから…なんて、自分の気持ちを誤魔化して何になる。
 困らせて嫌われたくない、が正解だ。
 まだ何か言いたげなたっちゃんから視線を逸らし、俺はゆっくりと玉砂利を踏みしめて来た道を返す。
 ずっと視線を感じたまま、やっとの思いでたっちゃんの視界から消えたことを自覚して、どっと力を抜くと傍の木にヘタレ込んだ。
 最後まで何も言わず俺の背中を見届けてくれたのはたっちゃんの思いやり。
 そして一歩も動く素振りすら見せなかったことで、たっちゃんの恋人への想いの強さを知った。





 少し気持ちが落ち着いた頃、見るともなく見上げた空には一日遅れの丸い月。

 迷いに迷って遠回りし過ぎて出遅れた俺にはこれ以上ないくらい、打って付け。
 なんてお似合いの月だろう…
 と半ば自嘲気味になりながらふと、あのたっちゃんをそこまで本気にさせた誰かに興味がわく。

 夜空を穏やかに照らすこの月明かりのような
 控え目で物静かな女性…なんだろうか。

 ずっとたっちゃんが月を眺めていたのは、その女性に想いを馳せていたのかもしれない…








■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 その後、俺は結局婚約を解消してしまった。
 決して何かを期待したわけでは無いけれど、身軽になってたっちゃんのマンションを訪ねて分かったことが幾つかある。
 たっちゃんが本気で惚れている相手とは“籍を入れてない”のではなく“籍を入れることが出来ない”のだと言うこと。
 そしてそいつはたっちゃんほどの人間をすっぽりと受け入れられるほど器の大きな人間で、今の俺では到底太刀打ちできないってこと。
 あの夜
 物静かな月のような彼女を思い描いた俺の想像とは真逆の、まるで真夏の太陽のような人。
 多分全部事情を知っていただろうに何の威嚇もせず警戒もせずたっちゃんの幼馴染の従弟として“彼”は俺を笑顔で受け入れてくれたのだ。




 完敗だと思った。






 でも…
 いや、だから。ようやく俺は自分自身の原点を取り戻せた気がした。
 世間一般からは外れていても、人は幸せになることが出来る。と、二人を見て確信した。
 手探りでもこれからは本当の自分の道を歩いて行ける。


























実に久しぶりの新作です…と書くのもおこがましいくらい、予告もなく長くお休みしてしまいました。


確か書き始めは、去年のこの時期だったはず(=_=)



ちょうど一年後に仕上げる気になりました。

さて、今回ごく短編として書き始めたので、登場人物の名前が誰も正確には出ておりませんが、お気づきになられましたでしょうか?

彼らのエピソード3(?)から約2年後の設定になってます。

実はこの間にもうひとつ彼らにはエピソードがあったリするのですが、また機会があれば作品として出したいなと、控え目に希望だけ書くにとどめておきます。
先のことは私にも分からないもので…(汗)

さて、あまりにも久しぶりすぎてここを書くことも忘れておりました。
いけませんね。

と言うことで仕切りなおして…



最後までお読みいただき有難うございます。

また、是非お会いしましょう。。。




2009.10.1 杜水月











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