Midnight owl 

 シュッ シュッ シュッ …シュシュッ
 シュッ

 コンコンココン、コンコン


 65点、っと。
 まぁ平均点ってところか
 思いながらステレオのデジタル時計に目をやると、

 0:59

 その数時に俺はペンを置き、大きく伸びをすると傍のペットボトルを手に取った。蓋を開け三口ほど中の液体を口に含んだところで、カチンと小さな金属音が響く。
 ステレオから流れ出す静かな音楽がゆっくり緩やかにフェードアウトしていき…




















 皆さん、今晩は。 “Midnight owl” 山口一生です

 土曜日の深夜、如何お過ごしでしょうか。今晩は、相馬葉子です

 いやぁ、間に合って良かった

 ホント、スタジオに入ったの6秒前。やっぱりレコーディングが始まると大変そうねぇ、色々と

 ………

 皆さ〜ん、いきなりだけど聞いてくれますゥ? 一生くんは夕べ、某大物ミュージシャンと大喧嘩の末、レコーディングスタジオを飛び出して朝まで行方不明だったんですって

 喧嘩とは人聞きの悪い…、激しく議論を交わしただけです

 じゃあどうして失踪したのよ

 買い出しにちょっと

 あら、タクシーでわざわざ? 往復5時間も掛けて?

 どーしても食いたい物があったんです

 …それって食べ物なのかしら

 他に何を食うんですか

 何って、そりゃああなた

 さてっ、今週の1曲目行きましょうかっ

 ごまかすってことは、食ったってこと?

 どうでもいいじゃないですか、俺が何食ったって

 良くないわよ。とっても気になる

 個人的な話は後回し

 先にどうなったか言って言って

 うるさいなぁ。原稿がどっか行っちまったじゃないですか

 原稿ってこれ?

 そうそう、それ。命より大切な俺の原稿

 ろくに見たことも無いくせに。えいっ

 あっ、投げやがった。けど、えー…

 早く答えなさいよぉ、山口一生

 っと、とにかく曲入ります

 夕べどこに行ってたのーっ!























 ここです。

 公共の電波を使ってのきわどい遣り取りに、冷や汗を掻きながら俺は心の中でそう呟いた。
 確かに夕べ彼はとんでもない時間にいきなりやって来て、
“大馬鹿野郎っ!”
 と戸口の傘立てを蹴り上げながら叫んだのだから、議論というよりは喧嘩をしてきたと表現する方が正しい状態だった。
 では超多忙な売れっ子音楽プロデューサー・山口一生が、なぜわざわざタクシーで片道1時間半も掛かる俺の部屋まで訪ねて来て大馬鹿野郎と叫ばなければならなかったのか…

 それは俺が一生の友人だから。

 なんて言葉で済ませてしまうにはちょっと無理が有る関係なのだが、じゃあ何なんだと言われると答えに詰まってしまう。
 俺にとって一生の存在の位置付けは現段階では非常に難しい。
 けれど今一つ進み切れない俺の気持ちなどすっかり無視して、一生の方はとくれば恋人だ愛人だと言い張るのだから、声が聞きたいと言っては仕事中でも平気で電話を掛けてくるし会いたくなれば俺の都合はお構いなしでやって来る。
 まさしく夕べがその典型的な例だろう。
 草木も眠る丑三つ時に叩き起こされチェーンを外せと玄関口で騒がれたというのに、文句のひとつも言わずに一生を中に招き入れたのは俺がよっぽどできた人間だというわけで無く、一生の機嫌が相当悪かったから。
 で、大馬鹿野郎に繋がるのだ。



















「なんだ、ろくなモン入ってないじゃないか。こんなことなら食い物も買ってくりゃ良かった」
 持参してきたコンビニ袋を俺に押し付けると、コートを脱ぎ捨て勝手に冷蔵庫を物色し始めた一生。
 袋の中を覗くとどうやら酒しか買ってこなかったようだ。
「もろみときゅうりが有ったと思うけど」
「このくそ寒いのに、そんなもん食えるか…っと、豆腐見っけ」
「冷奴?」
「これ以上凍えさせるなっ。ポン酢と後、大根は…」
 その言動からは亭主関白をイメージさせる一生だが、意外と台所に立つことは苦にならない様子。さっき怒鳴った勢いはどこへ行ってしまったのか、鍋を火に掛けごそごそと包丁片手に鼻歌交じりで豆腐を切っている。
 …機嫌が直ったのならそれはそれで良しとしよう。
 電話でしょっ中話していると時々錯覚を起こしがちだが実際一生と会っている時間はそれ程多くは無い。知りもしない誰かの愚痴を聞かされるよりは他愛無い世間話しでもそっちの方がずっと良い。
 コタツに電源を通しエアコンも入れパッパと団らんのスペースを確保しながら、起き抜けのわりには意外と頭の中はクリアだと油断したのがいけなかったのか、この直後俺はとんでもないミスをする羽目になった。
「出汁はインスタントしか置いてないよ」
 俺の言葉に頷いた一生を確認し、テーブルの端に置いてあっただしの素を鍋に振り入れる。一生の後ろを通り過ぎ、食器棚に手を伸ばしながら振り返ってふと、
 あれ?
 …何かこの感じ
「紅葉卸し、忘れんなよ」
 短い言葉を返すと一生には悟られないよう俺は首を傾げた。
 やはりこの遣り取りも前に一度やったような…
 一生がここの台所に立つのは初めてなんだから、また俺の記憶が飛んでいるわけでもないとすると、これはもしやデジャビュってやつだろうか?
「そこの菜箸、取ってくれ」
 器片手に水切り用の籠に入っていた菜箸を差し出して、
「鍋の火、弱めた方がいいよ。小百合」
 ……
 言った瞬間固まってしまった。
 間違えたっ
 デジャビュなんかではなく、過去に実際有った光景だ。ただし台所に立っていたのは全くの別人。
 これはマズイ、ひどくマズイ、絶対にマズイ
 硬直しながらも一生の様子を窺う暇が有るならさっさと謝るか逃げるべきだった。
 菜箸を受け取ろうと差し出されていた一生の右手には、いつの間にか銀色に光る鋭利な物が握られていて、
「頚動脈ってどこだっけ」
 ひぇ〜
「…っそ、こで合ってる、と思う。多分」
 項に薄い冷たい物を密着させられたまま待つこと何分だっただろう。

 ブシュシュシュッ!

 っと吹いた鍋に、
「二度目は無いぞ」
 俺は命を救われた。















 思い込んだら命がぁけぇよん♪

 …古い曲を歌い出したところを見ると次はナツメロですか?

 何よ、文句があるの?

 いいえ、今夜は辛抱させていただきます

 堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでね

 はいはい

 ところでメールが鬼のように来てるんだけど

 あー、さっきの件?

 どこで何食べたんですかって、ほらこぉんなに

 じゃあ白状しましょう。実は湯豆腐を食べに行ってました。場所は教えられません、以上

 狭い所だから、人数捌けないんだって

 そうなんです

 でも今度私は連れて行ってもらいまーす

 えっ?! そんな話は聞いてない

 もらいまーす、もらいまーす

 それは…俺の一存では難しいものが

 何とかしてよ

 うーん。地味に生きてますからねぇ

 じゃあ曲の間に口説き落とすとして次は…。幸せだなぁ、ぼかぁ君と居る時が

 中は省略。死んでも君を離さないよ、っと歯の浮く台詞を言っている

 ブー。死んでもじゃなくて死ぬまでよ、し・ぬ・ま・で

 あれ、そうでしたっけ?

 そうよ。死ねば離してあげなさいよ

 そんなナマっちょろい

 って一生くん、死んでもくっついて行くつもりなんだ?!

 もちろん地獄の底まで

 あははっ。言ってくれるわねぇ、浮気なんて絶対に許さないってタイプだわ

 当たり前

 でも、もし浮気されたらどうするのよ

 うーん…。その時は

 その時は?

 刺し殺す






















 ガハッ!
 っとっとと
 思わず飲みかけた液体を吹き出してしまい、慌てて机の上に有った採点中の答案用紙を汚すまいと安全地帯に避けている最中、
『冗談、冗談』
 なんて言葉が俺の耳に入ったが、夕べのあれは冗談とは思えなかった。
 大体“刺す”などと具体的に発言している辺りがまだ根に持っている何よりの証拠だ。
 それにしてもこの二人…。
 何かに付けこんなふうに公共の電波を使っては、お互い係わりのある人物に個人攻撃を仕掛けてくるのだから、槍玉に挙げられた人間は堪ったものじゃない。
 きっと俺のような被害者は山ほど居るはずで、一生は地獄の底まで付いてくるなどと明言していたが、正確には地獄の底に引きずり込んでやると言うべきではなかろうか。
 こんなにも質素で慎ましやかな人生を送っている俺を捕まえて酷い話だ。がしかし、一方的に独占欲を振りまく一生に対して俺が強気に出られないのには訳があった。
 赤ペン片手に何気なく視線を向けた先で、ぽつんと置き去りにされたままの紙飛行機に気が付いて…
 俺は小さな溜め息をひとつ

















「地球最後の楽園ツアー…って、なんだこれ?」
 あっと言う間に平らげてしまった鍋を下げるため俺が台所に行っている間に、一生は目敏くそんな物を見つけ出していた。
「夏休みに職員達で旅行にでもって話があってさ。結構参加する職員多いみたいだから、殆ど社内旅行とか修学旅行に近いノリなんだ。俺、海外って行ったこと無いし、ちょっと興味有るかなーなんて」
 言い忘れていたが俺の名前は鬼籠野秀真と言う。職業は高校教師だ。
「ふぅん、結構リッチじゃないか」
 話せば絶対に反対されるだろうことを予測していた俺にとってそれは意外な言葉で、
「うん、まぁ積み立ててた分とかも有るし…。酒もう少し飲む?」
 などと少し気を良くして酒瓶両手に居間に戻ると、いきなり飛んで来た何かが俺の胸元に当たって落ちた。
「乗員乗客の生存は絶望的。なんてことになると困るだろう」
 墜落した紙飛行機の翼には“楽”の文字。
 パンフレットの一部が申し込み用紙になっていることを知っての所業に違いない。
「あのさぁ、一生」
「どうしても行きたいなら、俺を殺してから行くんだな」
 その言葉で俺は一生を見入ってしまった。
 ここは笑って受け流す場面だろうか…?
 すると、
「嫌なんだよ、秀真が俺以外の誰かと一緒に居るのが」
 笑わなくて正解
 酒瓶をその辺りに置き、少しバツが悪そうに俯いた一生の髪に少し指を差し入れると、その腕ごと引き寄せられその胸にトンと倒れ込んだ俺は強く抱き込まれてしまう。
「旅行ぐらい俺がいくらでも連れて行ってやるから」
 耳元での囁きに俺は小さく頷いた。
 今夜一生がやって来たのは、愚痴を言いに来たわけでも世間話しをしに来たわけでも無いはず。
 ゆっくりと一生の背中に回した腕が一度ですんなり納まったのは、身体がその形をきちんと憶えている証拠。
 久し振りに感じる一生の体温は心地良い暖かさで、耳を掠めた甘い吐息に思わず引きずられそうになる。
 項を静かに撫でる長く細い指が微妙な感覚を呼び起こし、制止しようと重ねた指に、一生が軽く小指を絡めてきた。
 頬を寄せ、じゃれるよう何度も繰り返されるキスが次第に深く濃くなって、このまま流されてしまおうかと思いながらも…
「どうして笑うかなぁ」
 一生の呆れた声。
 じらしているわけでもなく、状況判断のミスでもない。
 そうすれば一生は強引に押し入ってこないことを知っていて、ふざけたフリでわざとその気を殺いでしまう。
 やたらと一生が俺を束縛したがるのはこんな曖昧な俺の態度に原因が有って、リギリのところで逃げ出してしまう理由は分かっているけれど、それに気付いていることを今はまだ一生には知られたくなかった。
 きっと全てを自然に受け入れられる時が必ずくるはずだから…

























 コンコ…ン、コン……コ、ン

 えーっと。82…、いや83だっけ。

 コンコン、コ…ン。 コ…

 ん? あれ?
 っと、もう止め止め。これ以上やっても効率が悪いだけだ。

 俺はペンを放り投げ生あくびをしながらコタツ机の上に突っ伏してしまう。
 今年に入ってからこの一生の持つ深夜のラジオ番組を毎週欠かさず聴いてはいるが、いつも終盤は夢うつつだった。
 特に昨日は殆ど寝てないのだからいつもにも増して眠い。
 それにしても一生は夕べあんな調子で、多分あの後レコーディングスタジオに戻ってからも仕事をしただろうに何ともタフな奴だ。
 などとボンヤリ考えているとラジオの向こうから、
『日頃年寄り扱いするんだから、1ヵ月くらいは不眠不休で頑張んなさいよ』
 なんて言葉で少し一生に同情した。
 この相馬葉子なる人物。あの一生といつも互角に遣り合っているのだから、中々のツワモノなのだ。さっきの話の流れからすると、まさか本当に湯豆腐を食べには来ないだろうが、きっと近い内にご対面ってことになるんだろうな。
 一生と付き合って行く以上、この手の人脈が増えてくることは仕方が無いのかもしれない。
 そういえば正月だったか、一生に連れて行かれた高級フレンチレストランで偶然出会った芸能関係者と名乗る一群が、異様に一生に媚びへつらっていた姿を思い出した。
 業界ではよっぽど一生は偉人なようだが、俺にしてみれば今も昔もやはり一生は一生でしかない。
 学生時代同様に時々俺の態度が悪過ぎると文句を言われてしまうことがあるが、それならば今度部屋に訪ねて来た時には座布団20枚くらい積み上げた特等席を設けてやろう。
 少しは喜んでくれるだろうか
 座布団が足りない分は華道部だか茶道部からでも調達するとして、後はどうやって座らせるかが問題…、いや待てよ。
 必死で集めてみても、一瞬にして蹴り倒されては割に合わないな。
 …なんてとぼけたことを考えている間にも頭の中はますますぼやけてきた。
 ちょうどラジオからも寝て下さいと言わんばかりのエンディングテーマが流れてきたことだから、思考はここで停止させるとしよう。

 一生の声を聞きながら俺は静かに瞼を閉じた。






















 さて、今夜もそろそろお時間がやってまいりました

 このエンディングについての問い合わせが多いんだけど、これって一生くんのアルバムには…

 入ってません。この番組のために作った曲ですから

 …そうだったんだ。なんだか懐かしい気分にさせられるんだけど、タイトルが

“You don't know what love is”

 ふぅん。恋を知らないあなた…って、何か意味深なタイトル

 かんぐり過ぎ。いちいち実生活に沿って作っちゃいません

 ということにしておきましょうか。湯豆腐食べに行きたいし

 今日は最後まで絡みますねぇ。もしかしてまたフラれたとか

 噛み付くわよ

 っと、薮蛇。だったようですがお後がよろしいようなので続きは次週へ持ち越すとしましょう。 “Midnight owl” 今夜も2時間あなたのお相手は、睡眠不足の山口一生と

 ハートブレイク、相馬葉子でした

 それでは、また来週もこの時間にお会い致しましょう




 おやすみなさい























作:杜水月
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