調査所見 

「殺してやる」








 席に着くなりの物騒な発言。
 漂う不穏な空気が“本気”を醸し出していたから、逆に軽く鼻で笑って払拭して見せた。
「どうせいつものウソだと思ってるんだろう?」
 小さなテーブルに置かれている拳にキュッと力が入り、
「止めても無駄だからね」
 睨む瞳を難なく受けて、水と一緒にオーダーを取りに来たウエイトレスにはビールを注文。
 すると案の定、ギョッとしながら、
「昼間っからビール?」
「殺人予告よりはずっと普通だ」
 しょせんはただのお坊ちゃま。
 ため息ついでにそこにある “調査報告書” と題された書類を手に取った。
「ふぅん…高校教師ねぇ」
 何とも珍しい名前。
「…こんな奴に取られたなんて」
「学歴はそこそこ、転職歴なし、交際遍歴あり。カッコ女性のみ」
 男性遍歴については不明。
「こんな地味男のどこが僕より上なんだっ」
「借金なし、前科なし、近隣住民および職場でのトラブルもなし。生活態度においても際立った問題はなし」
 で、次のページは行動経過。
「平気でほったらかしにしてたくせにっ」
「六時三十分、自宅マンション正面玄関出入り口より…ってああ、出勤か。最寄駅、下車駅ときて職場までは徒歩十三分。で帰宅は平均…九時半ってとこか。先生業も大変大変」
 添付写真A−3 って朝礼やってんのか、これ?
「たまたま一回寝たくらいで新妻みたいな顔しやがって」
「遠目よりアップの方が断然クオリティー高いな。業界人向けの控えめで良いタイプだ、っと」
 いきなりシャツを掴まれて、
「聞いてんのかっ!」
「全然」
 澄まして返したその横から、
「お待たせいたしました」
 軽く頭を下げたウエイトレスが慣れた手つきでコースターを置く。
 そこに載せられた見るからに良く冷えたビアタンブラーは、ほとばしる怒りを静めるのに少しは役に立ったようだ。


「一体何しに来たんだよ」
 怒気はおさめても当然機嫌は損ねたまま。
「呼ばれたから来ただけだ」
「来たなら話を聞くもんだろう、普通?」
「何度も聞いた話より報告書の方が面白い」
 煽るつもりはないが、機嫌を直してやるつもりも無かった。
「面白いもんか、こんな物」
「確かにごく平凡な人生ではあるな」
 …その人物が絡まなければ。
「どうせお金目当てに決まってるのに、何でお手付きなんか」
「調査所見にはそんなことまで書いてないぞ」
 それに、
「大体この報告書。変だと思わないのか?」
 ジッと睨みつけられて、
「前に会った時、山口一生との関係を調べさせたって言ったよな?」
 コクリと頷いた幼い顔には怒りではなく不審の色が浮かんだ。
「だったらどうして山口一生の名前が一言も記述されてないんだよ」
「そ…う、だっけ?」
 今度は間の抜けた顔での問い返しに、
「ちなみに調査料、幾ら払った?」
「一万五千円」
「安っ」
 ゴクリとビールを一口飲んで、
「浮気調査を半日頼んで十万近く取られたって聞いたことあるぜ」
「ぇえっ! だ、まされた。ってこと? これって全部ウソ?」
「でもなさそうだが多分図られたんだな。佳昭が痛くない程度の金額で納得させようとしたんだろう?」
「? って誰が?」
「山口一生」
 途端、また憮然としてしまったが、
「この間も言っただろう? 出演してるレギュラー番組のスポンサーの甥だから突き放さなかっただけで、こんな見るからに面倒そうなガキ。端から相手にするかよ」
「そんなこと無いっ。一生はずっと優しかった」
「好きならとっくにお手付きしてるさ」
「本気だから大切にしてくれてたんだっ」
 呆れついでにビールをもう一口。
 更に一呼吸間をおいて、
「いきなりホテルに押し掛けて部屋で一晩過ごしたのに、お休みのキスすらしてくれないってボヤいてたのは誰だっけ? いい加減認めろ、据え膳すら食ってもらえなかったって事実を」
「…朔ちゃんキツイ」
 そんなことは判ってる。
 はっきり言わなきゃ、殺人犯になり兼ねない。
 だから、
「あんまりしつこい佳昭のために俺の人脈駆使して訊いてきてやった。この際細かい話は抜きにして、山口一生は絶対無理だ」
「…それって話、省き過ぎ」
「今から簡潔に説明するんだっ」
 ビールで喉を潤して、
「恋愛って意味ではこの男以外、全部畑の芋かかぼちゃ。佳昭がダメなんじゃなく他の誰でもダメなんだ。こいつが居ればゼロになっても怖くは無いし、こいつのために人生やってるって」
「…誰が?」
「山口一生」
 絶句するしかない恥ずかしいセリフを、惜しげもなく真顔で言いやがった。
 ここまではっきり主張されれば、さすがに引き下がるしか術は無い。


「あれから一生、日本に居ないはずだけど」
「所用で帰って来た所を、佳昭の叔父さんに頼んでどうにかね」
 そう簡単に会える人物ではない。
 すっかり意気消沈した泣き顔に向け、
「夜中の三時回ってるのに佳昭のために時間を空けてくれたんだぞ。それだけでもう十分じゃないのか?」
 手は焼いてたようだが、決してなおざりにはしてなかった。
 本当は、早く恋人の元へと行きたかっただろうに…。
「…朔ちゃんって、実は良い人だったんだ」
「何だ、いきなり」
 泣き顔のまま、
「だって夜中の三時って」
 ふん、と笑って誤魔化した。が、
「どして? 僕のためになんだろ?」
 などと突いて来てしまったから、
「好きだから」
 そう、指摘したのは山口一生ではあった。
 瞳いっぱいに涙を浮かべたまま驚いている姿を横目に、ビールを一息に呷った後、窓の外へと視線を飛ばす。
 訊かれたから答えたまでのこと。
 自覚したのも最近だから、先のことまで考えてはいない。
 答えなんかも必要無い。
 何かを返してほしいわけじゃなく、ただ時々こうやって愚痴をこぼしに呼びつければ、俺はいつでも会いに来る。
 それだけの事だ…。





「ねぇ朔ちゃん」
 店を出るなり見上げられ、
「ゲーセン連れてって」
 少し目を細めた。
 いつも愚痴を聞くばかりだから、こういう誘いを受けるのは初めてだ。
「で、カラオケ行って歌いまくって豪華な晩ご飯も全部奢ってくれたら考えても良いよ」
「…何を?」
 泣きはらした腫れぼったい顔、
「一生を諦めること」
 だが今日初めて見せる笑顔でそう言った。
 童顔に輪が掛かってしまったから、やはり殺人犯には向かない顔だと確信して、
「暇だから、付き合ってやるか」
 その程度で済むのなら安いものだ。
 言い終わる前に引かれた腕をそのままに、二人して足を踏み入れた日曜日の地下繁華街。
 雑踏を縫うように流れ来る山口一生の音楽に、ふと所見に書かれた最後の文章を思い出し、そこだけ切り取って逆に報告してやろうかと思う。










 …
 …数日多岐にわたり調査した結果、今後依頼者が懸念するような悪質行為には至らないと思料する。


                                      以上























作:杜水月
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