働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

9月29日(月)晴れ
 東京医学社から「消化器内視鏡」9月号が郵送されてきた。私の論文が載っている号である。自分の論文が活字になると嬉しい。
 今日は、それ以外に、高校時代の女友達からエアメイルが届いた。もう、彼女には10年会ってないが、元気そうで嬉しかった。

9月26日(金)晴れ
 S田医師は結構忘れっぽい。約束はよく忘れているし、色々なものを置き忘れることも多い。今日は、印鑑付きのボールペンが無くなった。そんなS田医師は老人ホームの職員検診に10日程先に行くことになった。S田医師は自信を持って憶えてないと思うと断言し、誰かに「今日は検診に行くんだよ」と教えてもらうことを希望した。その大役は老人ホームの看護婦さんに頼むことにした。看護婦さんもS田医師が忘れっぽいことはよく知っている。「手帳に書いておけばどうでしょう?」と看護婦は言ったが、その手帳はよくあちこちに置き忘れていることを思いだしボツになった。やはり、当日にラブコールをすることにした。しかし、直前に電話するだけでは、憶えていなくて往診に出かけたり、検査を入れたりするかもしれない。結局、当日の朝一番と直前に電話を入れたらどうだろう、ということになった。果たして、S田医師は検診に行くことができるであろうか?

9月24日(水)くもり
 なぜかよく寝た。子供が居ないとこれだけ違うものかと思うくらいにぐっすり寝れた。夢を見ていた。閉塞性黄疸の患者がやってきて、ENBDを試みるがうまく行かず、PTCDに切り替える。PTCDをするぞお、と騒いで準備をする。看護婦に消毒したエコープローベを出すように言うと、なぜか20MHzのメカニカルセクタのプローベが出てきた。こんなもんじゃできん!と騒いでいた。ぷぷぷ、と電話の音がする。副婦長からモーニングコールである。ぎょえー。8時半である。慌てて飛び起きて顔に蒲団の跡が着いたまま外来をした。

9月22日(月)晴れ
 今日から、我が家の妻子は東京ディズニーランドにお出かけである。JALの高知便就航を記念して、親子10組を抽選で御招待!というのに当選したのである。
 静かな自宅で転がって、今晩は患者もこない暇な当直を満喫していた。すると、整形外科T田医師から電話あり。「先生すみません。T田ですけど。車を落としてしもうたんですわ。」ん?T田医師によると病院から5kmくらいの国道で道路脇の溝に転落したらしい。車はフロントが潰れ、もうだめらしい。不幸中の幸いなのは、T田医師が頭を打ったくらいで大した外傷がないこと。車は、ポルシェ926ではなく、5万円で買った中古のCRXだったことだろうか。迎えに行こうか?と言ったが、御丁寧に事故付近の住民が119番に電話してくれており、T田医師は救急車で運ばれてきた。頭部CTは特に異常なし。H谷医師の運転で現場に帰り、事務長、事務次長が雇ったクレーン車でCRXを引き上げ自己処理が終わったのは深夜11時くらいだったらしい。お疲れさまでした。

9月20日(土)晴れ
 今日からS田医師が夏休みで九州旅行である。整形外科T田医師が夏休み中にあやうく愛車ポルシェ926が水没しかかったのを目撃していたのでS田医師は家と車と新車のバイクの鍵を預けていった。30年振りの大雨だったから、多分30年はこんなことはないと思うのだが。

9月17日(水)台風一過
 台風19号は日本海の方へ去っていった。昨夜、避難し病院で一夜を明かした。しかし、9時頃からは雨は小康状態となり、川の水位も下がり始めた。朝は台風一過のいい天気であった。私の自治医大の時の同級生F谷君(島根県出身・硬庭部)は「台風一過」を「台風一家」と理解しておりお父さん台風とお母さん台風とお兄さん台風とお姉さん台風とがあるものだと思っていた。変な奴である。
 ともかく、梼原川の水位は普通の大雨程度になった。昨夕はこれより3m近く増水していた。今朝、風呂に入ったら水が濁っていた。妻に、「水濁ってるよ。」と言ったが、「当たり前じゃないの。」と一蹴されてしまった。「風呂が少々濁っててもいいでしょ。」奥様、そういう問題ではなくて、その濁った水で今朝、僕に雑炊を作って食べさしたことを言っているのです。自分と娘二人はパンしか食べなかったでしょうが!

9月16日(火)大雨
 台風19号が来ている。かなり強烈である。家の前の梼原川が溢れだし、我が家の駐車場が浸水しそうになっている。病院の地下も浸水しそうである。夏休みでアメリカにいる整形外科T田医師のポルシェ926も地下に置いている。ポルシェが水浸しになりそうである。アメリカに国際電話をかけて鍵の在処を聞いてポルシェを移動させた。T田先生帰ってきたら奢ってね。KDDからの請求書はT田先生に廻すことにしよう。我が家も浸水しそうで下手をしたら土台が崩れて家が傾くかも知れない。では、みなさんさようなら・・私、避難します。

9月14日(日)くもり
 昨日の飲み疲れはどこへいったか、朝から第5回四国地域医学研究会の一般演題が行われた。レベルに低い学会ほど時間を守らないという某先生の言葉が耳によぎりながら30分超過したが、無事終了した。最後に自治医大の校歌を斉唱した。変な研究会である。赤字が19万円でた。ぎょえーどないしよう。

9月13日(土)晴れ
 今日から、梼原町で第5回四国地域医学研究会が開催される。朝から準備でてんてこまいである。会場設営、宿の準備、駐車場整理など職員が多数出て準備をした。数人、裏切って来れない者が居たが、まあなんとか会場一杯にできた。夜は懇親会が続き、二次会は午前4時半まで続いたようである。私は11時に脱走し、気がついたら病院で寝ていた。

9月12日(金)晴れ
 明日から、梼原町で第5回四国地域医学研究会が開催される。私は現地の幹事になっているので結構忙しい。今日は自治医大の構内にある地域社会振興財団から研修課長と事務のおねえさんがやってきた。また講師の石岡第一病院O場先生も一緒にやってきた。明日の打ち合わせのつもりで雲の上のホテルに出かけたが、結局、焼き肉、ビール、冷用酒とすすみ、打ち合わせ無しで帰ってきた。むむむ。

9月9日(火)曇り
 病院裏の空き地にマムシがいた。事務次長が出向いていって叩き殺した。事務長が高知に出張していたのでマムシは早死にしてしまった。もし、事務長が居れば生け捕りにされて、数日水の中を泳がされた後、焼酎漬けにされるはずだった。
 先週、PTCDを入れた患者さんのESTを行う予定で中央病院T崎先生に勤務時間外に来ていただいたが、胃切後のため不成功に終わった。急遽PTCDの入れ替えをすることが決定し、器用な入り方をしていたカテーテルを正しい位置に導いた。これが大変でM田S二郎先生からは成功すれば年末恒例クエパーチーに御招待との懸賞がかけられていた。

祝!クエパーチー参加決定!

9月8日(月)曇り時々雨
 松原診療所H谷所長が夏休みなので、松原診療所に代診に出かけた。普段、朝10時くらいには暇になる診療所なので、退屈してはいけないので読みかけの文庫本「続・病院で死ぬということ」をポケットに入れていった。松原診療所は私が2年前まで2年間所長をしていた所なので、昔なじみの住民が多い。気を利かした事務長が地区内の有線放送で私が来るとの放送をかけたところ、人口400人くらいの地区なのにどっさり患者さんがやってきた。昼食20分を挟んで6時間喋りっぱなしだった。患者の殆どが、ただ私に会いに来ただけだったというのも手伝って、「お父さんが死んでから、どのくらい経つかねえ?」とか「近頃ゲートボールはどうよ?」とか「まだバイク乗りゆうかよ?」とか「最近、狸は庭に来てる?」という、とても医療と関係のない会話をたくさんした。お土産に四万十川の鮎をもらって帰った。

9月6日(土)曇り時々雨
 今日は、四ヵ町村親善スポーツ大会であった。近隣の東津野村、葉山村、大野見村、梼原町の役場職員の交流会である。朝から出かける。前年度優勝の我が梼原町は途中まで一位であったが、J明検査技師が最後の競技で相棒の足を股に挟んだのでビリとなり、総合2位に終わった。夕方から飲み会であった。

9月5日(金)曇り時々雨
 夕方、怪我人が救急車で運ばれてきた。頭をやられていたので脳外科と相談の上、搬送することとなった。最初に診たT田医師を救急車に押し込んでよろしく〜と救急車を見送った。帰ってきたT田医師は車酔いで顔面蒼白になっていた。

9月3日(水)晴れ
 役場の福利厚生でブレザーとスラックスを作ってくれるとのことで服屋さんが採寸にやってきた。私は事務長とブレザーのサイズもウエストも一緒だったのに足の長さが2cm負けたので落ち込んでいた。そのウエストサイズは整形外科T田医師のウエストより24cm短く、薬剤長のバストと一緒という噂である。

9月2日(火)晴れ
 朝から疲れている。今日はそれほど忙しくなく、だらだらと仕事をしていた。しかし、H谷先生の外来に黄色い患者がやってきていることを発見した。途端に元気になる。総胆管結石の嵌頓である。よっしゃー、PTCD挿入! M田S二郎先生宅で催される年末恒例クエパーチーに一歩接近した。


に戻る  ホームページに戻る