働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

9月30日(月)晴れ
 10月10日から国保地域医療学会で滋賀に行くことになっている。大阪まで飛行機を使って行くのだが、この飛行機は国保連合会が仕切っていて、他の医療機関の職員、自治体の首長も一緒なのである。伊丹から滋賀に行く途中に、京都に観光に寄ろうということになり、梼原町だけ別行動の許可を貰う為に、支援センターN村次長に国保連合会に電話を入れてもらった。ところが、「そんないい話があるなら、他の町村に話をして参加希望者を募りますから、是非、お願いします。」と返事をされたとの事。おいおい、国保連合会、なんか間違っていないか?梼原町の9人の段取りだけでも大変なのに、なんで30人もの段取りをしなくちゃいかんのだ?

9月29日(日)晴れ
 昨日、Aプライドで購入してきたCノープスのグラフィックボードを取り付けた。このボードは、RGB端子が2つ付いており、1枚でマルチディスプレイが可能な優れものである。EXCELを操作しながら横目でテレビを見たり、CDをリッピングしながらネットサーフィンをしたり・・快適。

9月28日(土)曇り
 H多けんみん病院のN田医師の結婚式に出かけた。媒酌人のY田高知医大放射線医学教室教授の挨拶で、「一本筋が通って男気のある・・」までは、よかったが、M田師匠には、「ただでさえ体がでかくて怖いのに、患者さんとコミュニケーションを取るのが上手くなくて損をする。」と言われ、さらに追い討ちをかけるように、「これで、奥さんが小さくて可愛らしい人だったらどうしようかと思ったが、今日、初めて見て、安心した。」と奥さんの体格まで褒めちぎられていた。後輩の、T井医師には「K-1のあった翌日には、我々、若手の医師は、技をかけられ、関節を決められたりした。」「読影室でくつろいだら、足を組んで靴も靴下も脱ぐので、そこはかとなくいい香りが充満する。」と内部告発を受けた。乾杯の発声のO川助教授(少林寺拳法部の先輩)は、「格闘家らしく、元気に乾杯しましょう。ご唱和ください。いーち、にー・・」とカウントを始めた。シャンパングラスを手にしながら、このカウントを聞きながら、緊張する。『いーち、にー、さん、だーっ』と唱和しなくてはならないのか??と一瞬頭をよぎる。私の心配をよそにO川助教授は「いーち、にー、さん、かんぱーい」と御発声。皆、普通に「かんぱーい」と唱和。ホッとしながら、席に着くと、隣に座っていたH田医師(高校の同級生、2日前にパパになったばかり)も同じ事を考えていたようであった。
 宴も佳境に至り、N田医師のお父様が、お礼のご挨拶。陸軍士官学校を出ているというお父様は、「二人とも人生経験をある程度積んでいるとはいえ、平均寿命の伸びた今日、まだまだ未熟者ですので、みなさまのご指導、ご鞭撻を・・」「なお、引き出物はカタログになっておりますので、皆様方のお好みの物を同封しております葉書にお書き頂きご返送頂ければ・・」とご挨拶。なかなか味のあるお父様である。

9月27日(金)曇りときどき雨
 今月末で退職するY村理学療法士、O野看護師、掃除のS元さんの送別会であった。Y村理学療法士もO野看護師も、採用に当たって私が町長と直接交渉したり、採用試験での面接をしたような経緯があり、想いもひとしおである。それぞれに、専門職としての夢があったり、家庭の事情があったりで、やむを得ない退職である。またの機会に一緒に仕事ができることがあればいいと思いながら酒を飲んだ。(あ、アルコール解禁してしまった。)

9月26日(木)晴れ
 午後11時半まで介護保険事業計画策定の作業部会に付き合う。もうちょっと、能率的にできないものか・・。

9月24日(火)晴れ
 今日も微熱があり、血液検査でもCRP11.0mg/dlと、まだ完治していないのである。しばらく、朝、仕事前に点滴を打つことにする。ふー。

9月23日(月)晴れ
 昨晩、高知からの帰りに、救急隊の分遣署に立ち寄った。迷惑もかけたので、ちょっとしたお礼を持って行ったわけである。「先生、大丈夫ですか?石やったらしいですね。」って、どうして、24時間も経っていないのに皆が知っている?梼原、おそるべし・・。今日一日、微熱があるので、ゴロゴロと昼寝。

9月22日(日)晴れ
 目が覚めると病院のベッドの上だった。胃カメラをやっても潰瘍はなかった。という訳で、「あとは、自分のところでやってね。」と退院となった。また、痛むことがあるかもしれないというのは、結構、心配である。後日、手術をしてもらい、憂いの種は取り除いておこう。今日、娘たちの運動会だったのだが、それを見に行ってやれなったのが残念である。

9月21日(土)晴れ
 夕食後、背中が痛くなったと思ったら、今度はみぞおちが痛くなった。痛み止めを使ってもまったく改善しないので、のた打ち回りながら病院へ。きっと急性膵炎に違いないと自分で思いながら、当直のT田医師に採血、腹部CTをおこなってもらった。十二指腸潰瘍の穿孔が疑われ、開腹の可能性もあり、救急車で高知市の赤十字病院に転院することになる。高知自動車道を使って搬送された記念すべき第一号の患者になってしまった。幸いなことに車内で痛みは随分改善してきた。高知日赤でCTを再検したりして、結局、胆石の発作ということになった。一晩、様子見の入院となった。M田師匠! 師匠の病気を模倣するなんて、よくできた弟子でしょ?ちなみに、腎臓にも石灰化がありました。尿路結石も模倣してしまうかも?

9月20日(金)曇り
 支援センターで、総合検診の打ち上げ、敬老会の打ち上げの飲み会が催された。相変わらず、在宅介護支援センターのS岡さんのハイテンションは、すごい。

9月19日(木)雨
 今日は、介護保険事業計画作業部会があった。前回の策定委員会で、厳しい指摘を受け、そのリベンジを果たさなくてはならないのである。終わったのは午後11時半である。疲れた。

9月17日(火)晴れ
 来月、国保地域医療学会で訪れる大津市の「うまいものマップ」がメールで届く。送り主は、S賀医大公衆衛生学のO村助教授である。期待が膨らむ。

9月16日(月)曇りのち雨
 用事があって高知市に行っていた。丁度、今日、高知自動車道伊野・須崎東間が開通した。午後3時から供用開始とのことで帰りに通ってみることにした。これが運の尽き。渋滞でわずか23km程度なのに2時間以上かかってしまった。疲れた。

9月15日(日)晴れ
 敬老の日で恒例の祝賀会に出席した。長女もお年寄りに花の種とメッセージカードを配る係りになって式典に参加していた。昼間っから、酒を飲む。K橋課長、N平課長らとともに二次会に行く。三次会まで付き合って、家に帰った。あまり食べずに飲んでいたので、小腹が減ったので焼きそばUFOを食べた。へべれけに酔って食べたので、机の上にソースが飛び散っていたらしく、今日のご褒美で娘が貰ってきていたノートの表紙にもソースが・・。あとで、娘が泣いていたらしい。最低な親・・。

9月13日(金)曇り
 今日は、紀尾井町で会議。昼に終わって羽田空港に直行。お土産を買って、昼食を食べて、出発ロビーに30分前に到着。ロビーは修学旅行の一団もおり、ごった返していた。出発の直前になり、カウンターのお姉さんがアナウンス。「松山行きのお客様にご案内します。当便は満席を頂いておりますが、この便に乗れないお客様がいらっしゃる恐れがあります。お客様の中でお急ぎでない方で別便に変更していただける方は、係員までお申し出ください。なお、その場合、ご用意させていただきます便は16時○分発の××便でございます。お譲り頂いた方には、お詫び金として1万円を差し上げます。」 え!?2時間、羽田で待ってたら1万円! つーことは時給5000円! 何人かのオバちゃんたちがカウンターにダッシュしていた。心が揺れた。でも、まあ早く帰ってゆっくり寝た方が良いから・・と思い直して、予定通りの便で帰ることにした。梼原に帰り着いたのは午後6時半になっていた。帰り着くと、入院患者さんの容態が悪化しており、M崎医師がK立中央病院M田先生と連絡を取ったり、バタバタしていた。上腸間膜動脈という腸に血液を送っている血管が詰まった疑いがあった。というわけで、私が帰り着くなり、緊急で血管造影をするハメになってしまった。一万円に目が眩まなくてよかった。

9月12日(木)曇り
 早起きしてお江戸に行った。便の関係で松山から出発である。NYの同時多発テロから丁度1年であり、テレビは、その話題一色である。これから飛行機に乗るのに若干心配になったりする。まあ、心配するような事態もなく、無事に到着。永田町で午後の会議を終えて、久しぶりの秋葉原に出陣。I・OデータのショールームでPDAを外部モニターに出力するCFカードを見せてもらい、結構気に入る。在庫のある店を紹介してもらい、その足で行き、早速購入。

9月11日(水)晴れ
 夕べから当直をしていたのだが、ヘルパンギーナが流行しており、患者さんが次々とあり・・。疲れもピークになっている早朝に頭痛、嘔気の患者さんから連絡があり。救急車で来院してもらうことになる。救急隊が当直したときには意識が既に無くなられていた。これは重症である。すぐにCTを撮り、緊急に脳外科に搬送することになる。救急車に同乗して出発したのが午前7時半。これは、帰ってくるのは午前9時半になるなあ・・。一週間で一番忙しい外来の日であるのだが、これはシメシメ・・と思っていたら、救急隊に本部から無線で連絡。別の救急要請があったので急いで帰ってくるように、とのこと。というわけで帰り道もサイレンを鳴らしながら飛ばして帰ってくることになった。おかげで9時には病院に着いて外来を始めるハメに・・。はー。

9月9日(月)晴れ
 宇多田ヒカルが結婚したとのニュースをテレビで見た8歳の娘が解説していた。「歳の離れた夫婦は、うまくいくんだよ。」 どこでそんなこと学習してきたのか? 「お父さんとお母さんは同い年なんだけど・・?」と聞くと、娘は「だから、ときどきケンカしてるじゃん。」だそうである。はあ・・さいですか。

9月7日(土)晴れ
 テレビでFBI超能力捜査官の特番をやっていた。透視能力を使って、行方不明者を探したり、犯人のモンタージュを作ったり、何処に埋めたか分らないタイムカプセルを探したりしていた。ホントならすごい能力である。本当だったら、日本で小学生のタイムカプセルを探すよりアフガニスタンでビン・ラディン師を探す方がよっぽど世の中のためではないかと思うのだが・・。FBIとペンタゴンとでは管轄が別なのか?縦割り行政のなすべき業か?それとも・・

9月6日(金)曇り
 先週から来ていたT丸君の実習も今日で終わりである。打ち上げを予定していたが、丁度、役場の吏員会のバーベキュー大会があり、これに合流することになる。カルスト会から教育委員会に出向してきているN越さんのオンステージとなっていた。T丸君は、総務課のN川女史に絡まれて迷惑そうであった。

9月4日(水)曇り
 巨人のマジック18が再点灯する。阪神ファンのO川医師も最近は春先の元気がない。そういえば、尼崎信用金庫が阪神が優勝したら金利が多くなるという定期預金をやっていたが、あれはどうなっただろう?

9月1日(日)晴れ
 この所、忙しい日が続いている。月初めのレセプト作業が始まれば、また息をつく暇もなくなる。今日は、完全休養日に当てることにする。昨日の睡眠不足を解消すべく、ゴロゴロ昼寝を決め込む。目が覚めると夕方5時になっていた。ちょっと病院に顔を出そうと、家を出た。すると、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。意識のない患者さんを当直のT田医師とともに診察し脳出血と診断。脳外科へ緊急搬送することになる。というわけで、救急車に同乗していく。今週も忙しいわなあ・・。


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