働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

10月31日(土)晴れ
  国保地域医療学会は今日で終わりである。特別養護老人ホームFじの家のT崎看護婦の演題発表がある。「特別養護老人ホームにおけるターミナルケア」についての発表をした。質問の手が挙がったが、T崎看護婦は堂々と受け答えをした。質問した滋賀県のU本医師は、私と同じ自治医科大学の出身であり、私より一つ下である。14年前に解剖学のポイントを教えてやったのに恩を仇で返す気か?U本医師とは後から個人的に話をつけにいったが、梼原に帰ってから資料を送ってあげることになった。
 発表が終わった午後2時半に会場を後にし、陸路を梼原に向け出発した。前町長はすでに今朝の飛行機で帰り着いている頃である。折角だから、もう一泊して飛行機で帰ろうかとも思ったが、高知−宮崎線は、今日まででエアニッポンが撤退し、明日からJエアになる。飛行機が126人乗りのボーイング737から18人乗りのコミューター機に変わることを考え、思いとどまった。車内で酒盛りをしながら、梼原に帰り着いたのは夜中になっていた。

  10月30日(金)晴れ
  今日から、国保地域医療学会である。会自体は学会といっても、全体にまとまりに乏しく、学術的な会とはお世辞にも言えない。医師以外に看護婦、保健婦、病院事務員、歯科医師、保健婦、理学療法士、市町村長、国保連合会職員など様々な職種が入り乱れているせいであろう。
 決して、シーガイアに行きたかった訳ではなく、前町長が「介護保険と市町村」という開設者サミットのパネリストになったこと、特別養護老人ホームFじの家のT崎看護婦が演題を出しており、その両方のサポートの為である。今日は、前町長の出番である。前町長は決して介護保険に詳しくないのであるが、元々パネリストであった大月町長のIさんが先の町長選挙で敗退して、是非にと代役を頼まれたのである。頼まれるとイヤと言えない前町長の性格であるから、介護保険のこともよくわからないまま引き受けてしまった。我々の心配をよそに、前町長は打ち合わせ通りに堂々と演説した。
 一日目の日程も終わり、懇親会に参加する。司会のおねえさんはマスミ容疑者に似ていた。お偉方の先生との挨拶もそこそこに30分で懇親会場を後にした。前町長を連れて、オーシャンドームに行き、慰労会となった。今日もビールがうまい。

  10月29日(木)晴れ
 明日から、宮崎県のシーガイアで国保地域医療学会が開催される。梼原町からはご招待の前町長を含め8人が参加する。勿論、私も参加である。学会参加者一行は宮崎まで車に乗り、愛媛県八幡浜−大分県臼杵の間のフェリーを含み約10時間の行程で行くことになった。しかし、前町長にはきつかろうとのことで前町長とそのお付きである私とO崎保健福祉支援センター所長の3人は高知−宮崎の飛行機で行くことになった。飛行機を使うと高知空港までの移動も含め、約4時間の行程である。朝、病棟回診を終えた後、陸路組を見送ってから、午前9時に出発する。肉体的には空路が楽なのであるが、精神的には陸路が楽しそうだ。ANAマイレージカードのマイルが貯まるから・・と少しでも良い材料を思い納得する事にしていた。しかし、マイルの登録をしようとしてもレコーダーにエラーが出る。「?」よく見ると、チケットの私の名前が「アタニトシヒデ」になっていたのである。おーまいがー。
 飛行機はわずか35分で宮崎空港に着く。離陸したと思ったら、すぐ着陸である。宮崎空港に着いてから、携帯電話で陸路組に電話をかけてみる。まだ豊後水道の上であった。可哀想である。我々は、前町長をシーガイアのホテルオーシャン45に送り届けた。オーシャン45は九州で一番高い建物である。宿泊料も高いので、我々平民は宮崎市街の安ホテルである。
 すっかり、自由の身になった私と所長は観光を始めた。徒歩でオーシャンドームに出かけた。かの有名な温水の室内造波プールである。もちろん、水着は持っていなかったが、泳がない人のために用意されている見学チケットで入場した。建物は3階建てで吹き抜けになっていて、1階は泳ぐ人のためである。2、3階は見学者のためであり、テラスから1階が見渡せるようになっている。2、3階をうろうろしていると我々と同じようなワイシャツ、ネクタイ、スーツのおじさんたちがいた。30℃の室温と高い湿度のために、テラスに座ってビールを飲むことにする。テラスから、眼下にウオータースライダーを滑るビキニのおねーさんを見ながらビールを飲む。オーシャンドームよりはオジサンドームと言うべきであろう。再び陸路組に電話を入れ、こちらの状況を報告したところ、運転していたS元次長が急にスピードを上げたと後から聞いた。
 結局、陸路組が宮崎に着きホテルで合流したのは午後7時を過ぎていた。疲れ果てている一行を連れて、居酒屋に出かける。うまくて安かった。焼酎は結構きつかった。

10月28日(水)曇り
 隣村にある日吉村国保診療所のA雲先生からメールが来る。年末休みの当直を手伝ってくれないかとの依頼である。診療所にはA雲先生一人しか居ないので大変である。当然、先生が休みの時にはE媛大学の医局から当直のアルバイトを派遣して貰っていたようである。ところが、E媛大学の人手不足から、年末の当直が派遣してもらえないそうである。我々とて、年末年始はゆっくり休みたいのが本音である。しかし、A雲先生から呈示された当直料が、なっなんと、当院の3倍の金額なのである。みんなの頭に色んな計算があったことは言うまでもない。さあ、どうする?

10月27日(火)曇り
 今日は、臨時職員のM神看護婦の送別会である。惜しい、非常に惜しい、としみじみなりながら酒を飲む予定であった。でも、今日は私は当直であった。乾杯でセレモニーが終わり、食べ始めて10分で携帯電話が鳴り病院に呼び戻された。風邪の患者を診察して、会場に引き返す途中、町中にこだまする救急車のサイレンを聞いた。ありゃ。また病院に引き返す。交通事故で右手のColles骨折であった。整形外科K川先生を呼び戻し、入院させて会場に戻る。すでに料理は食べ尽くされ、主役のM神看護婦は酔いつぶれて寝ていた。また少し飲み始めたところで、また携帯電話が鳴る。また病院に呼び戻される。ひーん。家に帰ってからラーメンを作って食べた。

10月26日(月)曇り
 先日、特別養護老人ホームFじの家の職員が倉敷に研修に出かけたらしい。帰り途中の高知駅で高知県精神保健センターの所長のY崎先生に会ったそうである。Y崎先生は私も以前よりつき合いがあるのだが、風貌、顔つきがお互いに似ていると認めあっているのである。Fじの家にも年に何回かはY崎先生に来所して貰っていたこともあり、職員はY崎先生も顔なじみなのである。ところが、Fじの家のN越指導員をはじめ複数の職員が、高知駅で会ったこのY崎先生を私と間違えてしまったのである。一行は強引に自分たちの車に先生を連れ込み、「梼原まで一緒に帰ろう。」と連呼したらしい。どうも、話がちぐはぐであったらしいが、先生の希望するところまで送り届けた。先生の入っていく所を見て、一行はすべてを悟ったらしい。一行の見上げた建物の看板は「高知県精神保健センター」と書かれていたのである。後日、お詫びの電話を差し上げたのは言うまでもない。

10月25日(日)曇り
 国保連合会に頼まれて、国保地域医療推進協議会技術者部会の講演をした。私に頼むところを見ると、国保連合会も予算がたらないんだろうなあ・・

10月22日(木)曇り
 今日は、特別養護老人ホームFじの家の職員との交流会であった。今回はソフトボール大会となった。我々、くまさんチームは1回戦を勝ち上がり、決勝戦に進んだが、最終回に「飯母の大魔人」のフォークが冴えず、さよなら逆転負けを喫してしまった。

10月21日(水)曇り
 J明検査技師長の夫がN越電業社の慰安旅行で北海道に行って来た。お土産にラベンダーチョコレートなるものを買ってきたらしい。ところが、これがラベンダーの臭いがきつかったらしく、怒っていた。文句の手紙を出そうと思ったが、連絡先が書いていない。普通の人なら、ここで諦めるはずである。ところが、J明さんは諦めない。同じような物を作っている別の会社の住所を調べ上げ、こういう製品を作っているところの情報は知りませんかと物を送りつけてしまった。別の会社もいい迷惑であろうとは思うのだが、「確かにひどいですね。」という文面の手紙を自社の類似製品に添えて送ってきた。本日、J明さんはお礼状を書いていたのだが、「別に文句を言うつもりはありませんが、私は美味しいと思うのですが、こどもの口にはどうかと思う。」という内容だった。文句を言った上、子供のせいにするという、J明さんの性格はすばらしい。(I藤さんJ明さんには言っちゃダメよ!)

10月20日(火)曇り
 今日は、二日酔いである。昨日、東京都立大のH先生がやってきたために酒宴をもようしたのである。H先生とは初対面であるが、すっかり意気投合して酒がすすんだ。おかげで今日は二日酔いである。今日は、いつも以上に張り切って検査の予定を組んでいた。その上、病棟の創交、デイサービスの回診があった。ところが、テキパキと終わってしまい、11時半には暇になっていた。二日酔いの時には調子がいいような気がするのだが・・

10月19日(月)晴れ
 昨日、お隣の東津野村で水難事故があった。母と息子が台風で増水した北川川(四万十川支流)に流されたのである。親族の心痛は如何ばかりかと察して余りある。母親は、まもなく発見され、当院で検屍が行われた。ご冥福をお祈りします。
 さて、息子の方がまだ発見されない。今日も夜明けを待って捜索活動が再開された。梼原町とて知らん顔は出来ない。なぜなら、北川川は梼原町南部の松原区で梼原川と合流するのである。昨日、この手前を流される人影が目撃されており、今日は松原区の消防分団も一緒に大捜索である。私は、松原診療所の診療に出かけた。今日は大捜索と、デイサービスと、他の人の葬式が重なったため、診療所の患者はいつもの半分程度である。往診依頼があったために、往診に行くとともに様子を見に行った。捜索は遅々として進まないようであった。

10月17日(土)雨
 台風10号がやってきている。今年は本当に雨が多い。今日は、娘の保育所の運動会であったのだが、雨のため、小学校の体育館で行うことになった。子供用のトラックは半径が小さいので大人はよく転ぶ。ときどき、肩関節脱臼、鎖骨骨折、アキレス腱断裂などを起こす。今日もコテコテ転んだが、幸い怪我人は出なかったようである。

10月15日(木)曇り時々雨
 全国自治体病院協議会の中国四国支部会というのが高知市で行われた。他県であれば行く気はさらさら無かったのであるが、高知県支部の主催で会長が高知県立中央病院のT橋院長でった。やはり行っておかなくてはと町長とも相談し、一緒に行くことになっていた。しかし、町長に裏切られ、一人で行くことになった。朝、病院に顔を出した後、午前9時半に出かける予定だった。ところが、軽い脳梗塞の患者さんが、ご指名で来院したため、CTを撮って、点滴の指示をする事になった。再度、出かけようと思ったら今度は胸部CTの撮影の患者が、隣村からやってきた。事務が私が出張であることを忘れて請け負ったらしい。CT撮影をし、読影して返事を書き出かけたのは10時半であった。会場のS翠園ホテルに着いたが、遅刻せずに着いたことに安心したのか、会は睡魔との戦いとなった。

10月14日(水)曇り
 介護支援専門員(ケアマネージャ)の試験の打ち上げを行った。勉強会としては約2ヶ月、私個人としては半年間の勉強の成果を試す試験が終わったのである。ケアマネージャの試験については、一種、恐怖に似た騒ぎになっていた。医師や看護婦がケアマネージャになる必要もまるでない。医師会も、看護協会も介護保険の主導権を握るのは我々だと言わんばかりに会員に受験を奨めてきた。ケアマネージャは公平性、中立性を重んじる職業であるので、そんなことを思って受験する医者や看護婦は勉強が足らないから当然落ちて頂きたい。
 ともかく、試験が終わった。そんな色んな事を思いながら酒を飲んだ。少しピッチが早かった。

10月12日(月)曇り
 連日、和歌山の保険金詐欺事件のニュースが報道されている。夫婦の容疑者なので姓だけで呼ばすに、姓名でもしくは名だけで呼ばれている。名前だけで呼ばれたとき、妻の方が「マスミ容疑者」ということになる。我が家の長女が字は違うのだが同じ「マスミ」であるので何となく気分が悪い。当のマスミは事情がよくわからず、「ん?」と言っている。

10月11日(日)晴れ
 介護支援専門員(ケアマネージャ)の試験である。会場である高知西高校に出かけた。マークシート試験なんて医師国家試験以来である。最初の試験であり、また介護保険に向けての不安感からか沢山の人が受験に来ていた。梼原町からも総勢20名以上が来ている。試験会場は職種別になっているため、同じ教室は全員医者である。顔見知りでは、K北病院のU賀院長、県立中央病院の内科のM田先生、内緒にしてくれと言われた某先生などが同じ教室であった。さあ、結果は如何に。

10月10日(土)曇り
 ケアマネージャの試験が明日に迫っているというのに、今日は結婚式である。昨年まで当院で勤務していた高知医大整形外科T田医師の結婚式である。平成10年10月10日で忘れないからいいでしょ、というのがT田先生が今日を選んだ理由である。なるほど、結婚記念日は忘れるもんなあ。「お自動さん」のCMのようになってしまってはいけない。

10月7日(水)晴れ
 ケアマネージャの試験まであと4日である。今日から、妻子が実家に帰っているので、家が非常に静かで勉強がはかどる。ありがたい。

10月5日(月)曇り
 某、T辺製薬が時々持ってくる、What's New in Radiology.という冊子がある。放射線医学に関する最近の知見などを収録した冊子である。まあ、特別楽しみにしているわけでもないが、貰ったら勉強の為に目を通す程度である。
 今日は、T辺製薬のMR(セールスマンのような人)がやってきて、What's New in Radiology.は新しいのが出来たのですが、今日は持ってこれませんでしたと言う。どうしたかと聞くと、先月の高知市の洪水で営業用の車の中に置いたままにしていたところ、車ごと水没したとのことである。
 そういえば、B花堂の倉庫も水没し、S野義製薬のBロアクトという抗生物質が水没し納品できないとこともあった。まだまだ、水害の被害は続く。

10月1日(木)曇り
 今日から、10月である。介護支援専門員(ケアマネージャ)の試験まであと10日である。大丈夫であろうか?


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