働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

10月31日(金)くもり
 梼原で初雪が降った。誰だ、昨日県立中央病院で、「いくら梼原でも、まだ雪なんか降るはずない」と言って廻った奴は!あ、俺か。

10月30日(木)晴れ
 昨日の神祭のために今日は二日酔いである。朝、外来で患者さんが寝ていた。当直のS田医師が早朝から診ていたらしいが、夜が明けて精査するにつれて、とんでもないことになっていることが判明した。CTの画像をM田S二郎先生に伝送して相談し、昼前に救急車に飛び乗って患者さんを県立中央病院に緊急搬送することになった。二日酔いには高知市までの85kmの救急車はきつかった。搬送してきた患者さんは緊急手術となり、手術室まで付き合わせてもらった。手術が終わって帰ったのは夜9時になっていた。
 久しぶりの中央病院だったので、消化器科の受付嬢のI藤ちゃんや、内科外来の知り合いの看護婦、外来のK味婦長に久しぶりに会ったりした。職員食堂では久しぶりの日替わり定食を食べた。値上がりしていた。病院内で会う人が、みんなが「梼原はもう雪が降った?」と聞くのだが、いくらなんでも梼原はそんなに寒くはない。まだ10月だよ。

10月29日(水)晴れ
 梼原町の中心部は神祭である。保育園はお休みである。ここは、高知県でありながら、愛媛県宇和島市に近いせいか宇和島市の和霊神社の有名な牛鬼と同じ様な牛鬼がある。茶色い牛鬼が町中を練り歩くのだが、どうみても巨大な「う○こ」にしか見えない。それはともかく、夜は各家で宴会が開かれる。御招待に預かったものは、順番に飲み歩くのである。我が家は、S田医師一家と共に飲み歩いたが、病院職員や、役場の課長の家を順番に廻っていった。とにかく、あちこちで飲まされることといったらただ事ではない。夜もふけてくると客も家の主もべろべろである。毎年、何人かは怪我人が出るのも当然と言えよう。

10月26日(日)晴れ
 今日は高知のお街に買い物である。県立中央病院内科のN村先生の御餞別を買いに来たのである。N村先生には県立中央病院自治医大医局の陰の医局長としてお世話いただき、この度、新居浜に転勤になられたのである。少なからず世話になった同門の医師も多く、そうした連中の中から自然と御餞別の話が出たのである。私は発起人の1人として責任を全うするために、御餞別を購入して発送するために、はるばる高知市まで出てきたのである。賛同した卒業生のリストも作ったし、N村先生の新住所も馬路村I上医師に指令してgetしている。しかし、車を中央公園地下駐車場に止めてから気づく、あ、住所を書いたメモを忘れてきた!メモは80km離れた梼原町の我が家にあるのである。がびーん。

10月25日(土)晴れ
 梼原町保健福祉センターの保健増進係H岡主幹の結婚式であった。一応、僕も上司になるのでお出かけする。H岡主幹は歳は40を越え、頭も寂しく、貫禄もすでに課長級である。でも初婚である。奥さんになる人は倍賞美津子によく似た美人である。美女と野獣?しかし、奥さんはH岡主幹を「私の熊さん」と呼んでいる事が判明した。新婚旅行から帰ったら「トッシー」改め「熊さん」と呼び名を変えましょう。

10月22日(水)晴れ
 M田S二郎先生より突然のメールが来る。「わかっているとも思うけど、依頼原稿をちゃんと書いて出すように。」という内容であった。まるっきり???である。何の事かわかりません。と返事を書くと、電話がかかってきた。メタリックステント研究会で「Metallic Stent の現況と進歩」という本を出すことになったらしく、その原稿依頼が来ているはずなのだが来ていないことがわかった。昼頃、メタリックステント研究会事務局から速達が来る。原稿依頼である。私の勤務先が変更になったため郵便物が返送されてしまったためとのことである。原稿締切は10月24日と書いている。間に合うわけないでしょ!下の方に小さく11月中旬までで構いませんと書いていた。セーフ!

10月21日(火)晴れ
 今日は特別養護老人ホームFじの家の職員との交流会である。ボーリングである。上位は数少ない男性陣が取るであろうから優勝、準優勝の商品には酒を、ブービー賞にと女性向けにケーキを用意した。しかし、予想に反して優勝はFじの家M内看護婦、準優勝は寮母のK田さんがとり、ブービーはFじの家J明園長(男性)であった。Fじの家における男女の力関係はこんなものであろうか。結局、ブービー賞のケーキは切り分けられ二次会の宴席で振る舞われた。

10月20日(月)晴れ
 来月の16日に隣の愛媛県日吉村まで、毎年恒例の予土県境駅伝大会がある。梼原病院陸上部部長であるH薬剤師の音頭で男女各1チームが出場しようということになっている。私は消化器内視鏡学会の中国四国地方会での発表があり参加不能と思われたが、発表が前日の15日だよーんとの通知があり、出場することとなった。昨日より練習を開始し、とりあえず3km走ってみた。今朝は両股関節と左膝が痛く、階段の昇降がきつかった。明日は老人ホームとの交流会でボーリング大会だが大丈夫だろうか?

10月17日(金)晴れ
 今日は厄日である。昨日、お年寄りが自宅で急死しているのが発見され、警察と共に死体検案を行った。検案が終わり、別れ際に捜査課の課長さんに「先生。お世話になりました。今後とも宜しくお願いいたします。」と丁寧に御礼を言っていただき、「いえいえ、こちらこそ。いつでもまたどうぞ。」と言った。ところが、その6時間後にもう一件の死体検案をすることになろうとは・・。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

10月16日(木)晴れ
 今日からS田医師以下、数人の職員が全国国保地域医療学会に出席の為、不在である。S田医師の留守中、患者さん関係のS田医師の電話は代わりに私が受けることになっている。事務のT元さんから、「S田先生に高知医大から電話なんですが、代わりに聞いていただけますか?」お、早速来たか!「はい、もしもし。お電話変わりました。S田医師は出張で不在ですので、代わりにご用件をお伺いいたします。私、内科の阿波谷ともうします。」「あ、私、高知トヨタの○○と申しますが、S田先生のですね、クラウンがそろそろ定期点検の時期なのですが・・」おい!高知医大、こうちいだい、こうちとよた。間違うか?

10月12日(日)晴れ
 梼原町立松原小学校(全校児童4名)の体育館の新築落成の祝賀会に出かけた。途中で、昨年、県立中央病院に居るときに受け持った患者さんの家の前に車が沢山とまっていた。その患者さんは、梼原病院に帰したあと亡くなられたのだが、丁度一年になる。帰り道に家に寄ってみるとやはり思った通り一周忌だった。家族と久しぶりに再会し、最期まで立派だった患者さんの話をしながら暫しの時間を過ごした。

10月11日(土)晴れ
 今日は長女の保育園の運動会であった。年長組あたりになるときちんと整列するが、年少組は悲惨である。てんでばらばらで、泣き出す子もいる。私は園医なので来賓席が用意されていたが、うっとうしいので一般父兄席にいた。2回ほど色物の競技に引っぱり出された。
 最近、3歳の娘が「カラスの兄弟、ぴーひゃらりー」と意味不明の歌を口ずさんでいる。今日、テレビでキンキキッズの「硝子の少年」が流れたら、それに合わせて歌っていた。「硝子の少年時代をー」が正しいようだった。この娘もあと数年したら、アイドルにきゃーと騒ぐようになるのかと思うと恐ろしいものがある。

10月9日(木)晴れ
 今日から、S田医師は産業医の講習会のため母校自治医大にでかけた。自治医大のある栃木県は北関東だと言われるが本当は南東北である。冬は雪が積もるし、氷点下10℃くらいまで平気で下がる。正調栃木弁は理解不能である。本人が訛っている自覚がない栃木県民が多い。その昔、私が学生時代、近くのラーメン屋でラーメンを食べていると、数人のいかにも暴走族風の栃木県民の若い衆が入ってきた。そのうちの1人がもう1人に言った。「ジョニー、おめえ、味噌だっぺえ?」こてこての栃木県民がジョニーと呼ばれているのも笑えるが、暴走族が味噌ラーメンを食べるのも田舎者らしくて微笑ましい。

10月8日(水)晴れ
 ここ4日、家で寝ていない。重症の患者が居たので連日、病院に泊まり込んでいるのである。しかも、夕べは別の患者がファイヤーしていたので、今日は眠い。座ったら、寝てしまいそうだった。仕事が終わった後、薬の説明会があり、面白くもないビデオを見せられたので爆睡してしまった。

10月6日(月)晴れ
 無事、老人ホームの職員検診にも行けたS田医師の所に大学時代の恩師であるA部T之助教授から電話がかかってきた。A部教授は体育学の教授でハンドボール部の顧問であり、S田医師の仲人でもある。S田医師は今週末から産業医の講習会のため母校自治医大に行くことにしていたのだが、その情報がどこからかA部教授に漏れていたのである。A部教授は強引に自宅にS田医師を誘った。S田医師は学生時代ハンドボール部のゴールキーパーであったときの体型の跡形も無くなっていることをA部教授に知られると、走らされたり、ハンドボール部の練習に参加させるのではないかと恐れていた。A部教授の場合十分にありうる。
 私が学生時代、A部教授の教授室のある看護短大校舎の横に煉瓦敷きのスペースがあり、ここに学生が違法駐車をするので煉瓦が痛むというクレームがA部教授からあった。学生自治会では、これはやはりよくない、A部教授の怒りはもっともだということになった。通路にロープを張り進入禁止とし、それでも駐車している不届きな車には張り紙をして警告することとした。ある日、自治会役員が出動して違法駐車している車に張り紙をしていたところ、校舎の窓からA部教授に声をかけられた。「おーい、おまいら!<(注)おまい=おまえ(T之助語)>その車には張らんでいいぞお。俺の車だ!」なんじゃこいつ。この教授は実在する。

10月3日(金)曇りのち晴れ
 近頃、晴れると患者が少ない。みんな、稲刈りが忙しいのである。雨が降ると暇なので病院でも行ってみようということになる。もうすぐすると稲刈りのせいで膝・腰の痛い患者が増えるであろう。そして、もう暫くすると神祭が始まり、酔っぱらって転んだりした患者が来るだろう。神祭シーズンは毎年何人か骨折する。もう秋である

10月2日(木)曇りのち雨
 東京からダイレクトメールが来た。中に「病院内で携帯電話使用禁止」のステッカーが入っていた。携帯電話の電磁波で輸液ポンプが誤作動する危険があるからこの手の張り紙はよく見かけるのである。今回はそれをステッカーにして一枚150円で売り込みである。しかし、我が梼原病院は携帯電話はおろかポケベルすらサービスエリア外であり電磁波とは無縁なのである。おそるべし。


に戻る  ホームページに戻る