働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

10月30日(水)曇り
 M田Y多佳医師は昨朝に夫婦喧嘩をし、夕方、妻に電話をかけ仲直りをしたようであるが、昨晩また喧嘩をしたようである。この夫婦どうなるのだろう?M田Y多佳医師は妻のパイルドライバーを浴びた(推測)首の精査のためMRIを撮影した後、今夕から神戸に出かけた。肺癌学会が神戸であるらしくお手伝いだそうである。
 夕方、胃癌症例検討会と四国フィルムカンファレンス症例検討会の二つの会が重なってしまった。どちらも弁当があるらしいとのことだったが後者はウナギ弁当であるとの内部情報を得ていた。私は前者に出かけ、N田医師は後者に出かけた。しかし、前者は弁当はなかった。あれ??? 悲しい私は後輩のT橋医師と得々うどんに出かけ、天釜うどんのダブルを注文したが量が多くて吐きそうになった。

10月29日(火)晴れ
 M田Y多佳医師は朝起きると病院の始業時間の8時45分だった。横で一緒に寝ていた妻をたたき起こし怒鳴りつけたが、彼が昨夕食卓の上に置いて冷蔵庫にしまい忘れた牛乳を発見され逆に怒鳴られ、そのまま喧嘩になったらしい。夕方、妻に電話をかけ(みんなに聞かれないように公衆電話から)仲直りをしたようである。
 M田S二郎先生の尿路結石はまだ居座っている。今日はレノグラムという腎臓の検査をすることになった。注射をした後写真を撮影するのだが、注射をしたM田Y多佳医師は失敗したら罵声を浴びせられることが明白なため、かなり緊張しながら注射したようである。

10月28日(月)晴れ
 今日はあまり仕事がなかった。たまにはいいような気がする。T崎先生は私がM田Y多佳医師に買ってきた六時屋のタルトを見つけて10スライス中4スライスを食べてしまった。M田Y多佳医師の家庭不和の原因にならなければよいのだが・・・

10月26日(土)晴れ
 今日は、第38回全国国保地域医療学会で松山市へ出かけた。私が絡んでいる発表を聞いた後、六時屋タルトをお土産に買って帰った。松山のタルトといえば一六タルトの方が名前は知られていますが味は六時屋の方が上だと思う。
 夕方、高校の同窓会に出かけた。12年ぶりに会う友達は懐かしかったが、多少風貌の替わってわからなかった人とか、すでに記憶にない人など同窓会らしい感覚を味わってきた。う、同級生を見て自分が歳をとっていることがわかる。
 次女が9日ぶりに大便をした。便秘をするというのは乳児らしくないが、その量の多さの方がけた外れにすごい。しばし、わが家はパニックになった。

10月25日(金)曇り一時雨
 今日は、第38回全国国保地域医療学会で松山市へ出かけた。私は今は放射線科のフリをしているが、本当は田舎医者なのである。また来年はお山へ帰っていくのである。シャケみたいだ。それはともかく、松山へ行ったのである。会はともかく、懇親会がお粗末だった。しかも会費¥12,000は高いと思う。この会は医者以外に事務職や看護婦さんや保健婦さんや理学療法士や薬剤師などいろんな人が来るのである。それでというわけではなかろうが、みんな会費分を回収しようと食べることへの執念が感じられた。歓談していても箸と皿を持ったおばはんに押しのけられるのである。テーブル一杯の寿司があっという間に消えた。一時間でいやになって居酒屋に行って梼原町の人々とY井先生と飲み直した。そのあとボーリングまでいったが松山のレーンは僕には向いてないようでさんざんだった。

10月24日(木)晴れ
 今日は、高知県立中央病院名物<肝胆膵カンファレンス>(秘蔵写真集はここ)が終わった後、今月一杯で転出される外科のN川先生の送別会だった。例の如く夜9時半から菜園場吾平という居酒屋で行われた。消化器科の先生の出席が少なく盛り上がりにかけたが文句を言いながら締めのヤキソバまで平らげた。

10月23日(水)晴れ
 M田Y多佳医師は眼がさめたとき首に激しい痛みを憶えた。そして、首が回らなくなっていた。本人は寝違えたと言っていたが、周囲の人々は、妻に首をしめられたのではないかとか、パイルドライバーをされたのではないかと好き勝手なことを言っていた。彼は整形外科を受診し薬をもらった。今日は病院当直だが大丈夫だろうか?MRIの予約をした。
 M田S二郎先生の尿路結石はまだ居座っている。

10月21日(月)晴れ
 今日は忙しかった。たくさん仕事があった。午後から血管造影が一つだったはずが、血管造影二つと、PTCDが追加になった。忙しいかったため年末年始の病院当直の大抽選会に参加できず、M田S二郎先生がN田医師とM田Y多佳医師の分を引いたところ、すばらしい引きの強さで三回分の当直を引き当てた。私は、居候の身なので当直はないので気が楽である。

10月20日(日)晴れ
 飲んで帰り、昨晩午前二時から寝ていたら、午前五時半に病院からの電話で眼がさめた。病院に行き、仕事をして帰ったのは午後五時だった。
 巨人なにやっとんねん!?

10月19日(土)晴れ
 今日は、メタリックステント研究会の当日である。私は、病院と会場を三往復した。つかれた。会は大盛況のうちに閉幕したが、懇親会の挨拶でも尿路結石の話が出た。
 その夜、神戸大学放射線科のM原先生、O沢Z先生、T田先生、おっしー、I藤ちゃん、N田先生、御存知M田Y多佳先生、私の8人で酒をのみに出かけた。なぜか、吸い寄せられるようにM田Y多佳先生の家庭の話となり、強烈な盛り上がりを見せた。神戸の先生方は医局で話すと言っていたが、K野教授にリークされるのを恐れたM田医師は必死に口止めしていた。しかし、M原先生はこのページのURLを控えていった。大丈夫か?心配である。M原先生へ、この前の話はみんな作り話で、M田Y多佳医師の家庭は実に円満です。

10月18日(金)曇りのち雨
 M田S二郎先生の尿路結石はまだ落ちない。今日、CTを撮影したが、総腸骨動脈を乗り越えるあたりの尿管で、まだ引っかかっていることが判明した。明日はメタリックステント研究会の会長の大役が控えている。
 しかし、尿路結石ほど不幸な病気はない。れっきとした病気なのにみんなに笑われる。しかも、酒は勧められるし、安静にする必要はないときている。尿路結石患者の人権を守ろう!といいつつインターネットで公開するわ・た・し。

10月15日(火)晴
 今朝、7時半に病院に行くと、最初に会った看護婦にM田S二郎先生が入院したことを聞かされた。早速、お見舞いに行ったが、M田S二郎先生は鎮痛剤が効かないと怒っていた。入院していると、色々な人が訪ねてきてかえって落ちつかないので、お昼前に自主退院された。根性で仕事をされていたが、途中で「痛い。座薬入れてくる。」と席を立ったりして痛々しかった。今週末にはメタリックステント研究会の会長の役目が控えているというのに、いったいどうなるのだろう。しかし、夕方には急に痛みが軽くなったようで、膀胱まで石が落ちたのかもしれない。時間外になっても、びしっとPTCDを挿入して、さすが、M田S二郎先生!と周囲の度肝を抜いた。

10月14日(月)曇り後晴
 最近、咳がよく出る。横浜以来なのでもう3週間になる。万が一のことがあってはと思い、胸部レントゲンもとったが異常はなかった。今日は注腸検査をしていたが、検査途中、続けて咳をしていたところ、お尻に管の入った患者さんに「先生、えい咳止めがあるきに、やろうか?」と言われた。
 今日は、外来のマイナー科(内科とか外科とかの華々しい科以外で、我が放射線科の他に、皮膚科、泌尿器科、眼科、耳鼻科)の会、通称「裏通り会」があった。県立中央病院から高知医科大学に帰ったH医師の送別会だったので、是非参加したかったのだが今日は、午後の仕事がげろげろだった。会の始まりは6時半なのだが、我々の仕事が終わったのが、8時過ぎ。それでもそれから参加すべく出かけた。泌尿器科I部長も酒に酔って御機嫌だった。
 M田S二郎先生は仕事から帰って腰痛を感じ、電気マッサージ器であんまを始めたところ、激痛に変わったらしい。のたうち回りながら県立中央病院に運び込まれてきて、どうやら尿路結石だろうということになり、酒に酔った泌尿器科I部長、放射線科Y崎B技師が呼ばれた。Y崎B技師にM田S二郎先生の腹部レントゲン写真を撮るようにと言う指示が出た。絶対に失敗できない為、いつになく緊張しているY崎B技師に御機嫌のI部長は「失敗したらまた撮ればいいから気楽にやればいいよ」と言ったが、Y崎B技師は「ぼ、僕を西南病院に飛ばす気ですか!」とひきつった表情で言い返したところ、M田S二郎先生の奥様が笑っていたそうである。続く・・・

10月12日(土)雨
 昨日からの続き・・・今日は日がいいらしい。M田Y多佳医師は同じ医局のDrの結婚式に神戸に帰るはずだった。そのために昨日、思いとどまって今日で有効期限の切れる飛行機の単身赴任チケット(?)を温存していたのだ。
 しかし、昨日の酒が過ぎたのか、眼がさめた彼は吃驚仰天!! 飛行機に乗り遅れた彼は、単身赴任チケットを無駄にした上、車で神戸に向かったためさらに散財し、結婚式には遅刻したらしい。だらだらした挨拶の後、乾杯直前に結婚式に到着したらしいが、考えようによってはいいタイミングだったとも言えよう。

10月11日(金)晴れ
 学会出張で札幌に行っていたM田Y多佳医師が帰ってきた。るんるんで出かけたはずなのに、体調があまりよくない。それもそのはず、彼は会場で某K野教授にお会いし、そのまま札幌市内を11時間にわたって同行する名誉に預かり、お話をじっくり聞かして頂いたらしい。おまけに、某K野教授が「涼んでいこう」とおっしゃり、深夜の大通り公園のベンチに一緒に座わらしていただいた。だが、10月の札幌は結構涼しく、虚弱体質のM田Y多佳医師は体調を崩してしまったらしい。やはり、人間悪いことはできないものである。次の日もホテルで寝込んでいたため、M田Y多佳医師の札幌るんるんツアー計画はもろくも崩壊したのであった。御愁傷様でした。
 今日は早く仕事が終わったので、珍しく普通の公務員並に帰れることとなった。M田Y多佳医師は、明日神戸に帰ることになっていたのでM田S二郎先生に「フェリーで今から神戸に帰れ」と勧めてもらったのだが、飛行機の単身赴任割引チケット(ん?同居しとるのに?)の有効期限が明日なので、チケットを無駄にはできず、やはり予定どうりに飛行機で帰ることとなる。時間の余った彼は、放射線技師たちと、M澤技師(独身、ああいえばJ祐さんに似ている)の誕生日祝いにココス桟橋店へ出かけた。そのあと酒を飲みに行ったらしいのだが。明日に続く。

10月9日(水)晴れ
 放射線科Y崎B技師は月曜によく休みを取る。公務員は週休二日であるから、三連休にしている訳である。「月曜から休むのは散髪屋とプロ野球選手とBちゃんぐらいなもんだ」の名言を発表した私に、誰か技師が休みを取るたびに報告して新しい名言を作らせようとするBちゃんがいぢらしい。
 そのBちゃんの妻は高知医科大学で看護婦をしている。県立中央病院から高知医科大学に帰ったH医師はBちゃんの妻を外来で探し当て、公衆の面前で「Bちゃんの奥さんだぁ」と指をさしたらしい。Bちゃんの話によると、奥さんはすごく恥ずかしかったらしい。Bちゃんの奥さんというのは、そんなに恥ずかしいことだったのか・・

10月8日(火)雨
 こら!星野仙一!! いい加減にしろ! プロ野球らしくちゃんと勝負せんかい!と怒りながら、同窓会の算段をする今日この頃。
 最近、M田Y多佳医師の話題が少ないのは、彼が日本医学放射線学会の秋期大会で札幌(いいなー)に出かけているためです。お土産のCD-ROMが楽しみな私。

10月7日(月)曇り後雨
 放射線科K松技師(人妻、年齢不詳)が髪をバッサリ切った。何か心境の変化でしょうか? 泌尿器科I上医師(体重90kg(推定))も髪を切った。ただの偶然だろうか?

10月6日(日)晴れ  

祝 読売巨人軍優勝!!!

10月5日(土)晴れ
 今朝、この春まで暮らしていた梼原町に行った。さすが高知のチベットと言われるだけあり車から降りると寒かった。なつかしい人々とつもる話あり、酒を酌み交わし、寝たのは午前3時だった。

10月4日(金)晴れ時々曇り
 今朝、長女(2歳9ヶ月)がトイレに閉じこめられた。誰かが閉じこめたのではなく、自分で閉じこもったのである。いや、本人が閉じこもる意志がなかったのでやはり閉じこめられたと言うべきだろう。トイレに入って目の前にあるつまみを回してしまったのである。妻はトイレの外から娘をなだめすかせるようにつまみを回すように指示していたが効果がない。結局、外から鍵穴を通して鍵を開けることに成功した。最近、娘は何をしでかすか予想がつかない。
 今日は、放射線科歓送迎会があった。開会直前の時間になり、さあ出かけようと言うときに向かいの消化器科で引き留められた。こんな時に仕事なんて・・ M田S二郎先生の命令でM田S二郎先生と私がその場に残り、主賓であるN田先生(高知医大出身180cm80kg)とM田Y多佳先生がタクシーで先に会場へと向かった。結局、消化器科の方も事なきを得、M田S二郎先生と私は一緒に会場へ向かうことになった。M田S二郎先生はN田先生の自転車を借りて乗って行ったのだが、悲しいかな、股下の長さの差のためM田S二郎先生は恥骨が痛くなってしまった。心なしか自転車を降りて歩くM田S二郎先生の足どりは内股だったような・・

10月3日(木)曇り一時雨
 放射線科医長室(実はフィルム倉庫)にある、Power Mac 8100 には、レントゲン写真の取り込み用のスキャナ(ヒューレットパッカード社製)があるが、M田Y多佳医師が操作するとよく機嫌を損ねてしまう。近くにいるだけで動作を停止することもある。以上の症状から、最近このスキャナを「なおこさん」と呼ぶことが決定した。なおこさんって誰?と思ったあなたは、このページを振り返って読んで下さい。
 こら、広島カープ!! もうちょっとがんばらんか!

10月2日(水)晴れ
 毎週水曜日に、当院放射線科にはデイビットという英国人がやってきて英会話教室をやっている。今日のテーマは Identity Interview であり、つまり、個人の身元に関する質問。最初の質問は" What is your greatest fear? " (あなたの一番恐れるものは?)だった。M田Y多佳医師の答えは" My wife. " (僕の妻です)。 次の質問は" What is your greatest extravagant? " (あなたの一番の無駄遣いは何ですか?)。M田Y多佳医師の答えは" My wife. " (僕の妻です)。デイビットはよくわからないようなので、私は " He waste much money for his wedding. "(彼は結婚式にたくさんの金を浪費したのですよ)と説明してあげたが、デイビットは" He spent much money for his wedding. "(彼は結婚式にたくさんの金を使ったのです)にした方がいいと教えてくれた。彼は、妻が怒りのあまり彼に山北ミカンを投げつけたことなどを説明し、妻が一方的に悪く自分が正しいと主張していたが、何で妻のことをそんなに悪く言うのか英国人には理解できないようだった。
 M田Y多佳医師の医局の机の上には一週間前より、妻に申しつけられたクリーニングに出す妻のズボンがゴンチャロフの袋に入ったまま置いている。どうすんの?
 T崎先生へ、このページは日刊鬼嫁ニュースのページではありません。


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