
11月29日(日)晴れ
疲労困憊の体に結婚式二連発の週末である。昨日、本日とも当院の看護婦の結婚式である。一緒に仕事をした看護婦の結婚はうれしいのだが、退職、出産の問題があり、看護婦不足がぁー
11月27日(金)晴れ
昨晩は病棟の患者さんの容態が不安定であり、私は病院に泊まることになった。病院内に居るのが看護婦さんにも好都合のようで、午前3時に容態が悪くなった老人ホームの患者さんまでやってきた。当直じゃないのに・・・結局、2日で8時間の睡眠時間、今週の死亡診断書は4通になった。
11月26日(木)晴れ
昨夕は民生委員の総会があり、夜遅くまで酒を飲んだ。その後、電話で午前1時半まで話をした。午前5時に病棟の患者さんが急変し呼ばれる。今晩は、隣村の保健福祉担当者との懇親会であり、また宴会である。うー。
11月24日(火)晴れ
今日は、余裕の一日と思っていたら、昼休みに、いつも往診に行っている家から急に呼び出された。癌の末期の人であったが、容態が急変したとのこと。実にあっけない最期だった。癌の末期であるのだが、思いの外、元気で、特に痛みもなく、今日まで食事もしていた。家族からは誤診でないかと言われたほどだった。だんだんに体力は落ちてきていたのだが、今日、気がついたら息をしなくなっており、眠るような最期だった。ある意味では幸せな人である。
夕方、落ち着いたと思ったら、工事現場の労災事故の患者が運び込まれてきた。一目見て即死の状態であった。今朝まで元気だった人であり、まだ若いだけに、このような事件は辛い。
11月22日(日)晴れ
早朝、病棟より電話があり起こされる。受け持ち患者さんのドレーンが抜けたていたとのことである。他院で手術を受けて帰ってきた方であるが、手術したときに傷口に管を入れてきていた。この管がドレーンであり、中に貯まる体液や膿を出す為の物である。まだこのドレーンの必要な方なので、朝から冷や汗がたらーと出る。うちの病院には腹部に使えるような太いドレーンは無い。他のカテーテルで代用するにしても、太さが不十分だし。布団の中で考える。落ち着け、落ち着け、何か管はないか、と自問する。考えた末に使ったのは酸素吸入用のチューブである。適当な長さに切って、側孔を開けて入れる。内容液の流出具合もなかなかよろしい。頭は使いようである。しかし、自転車のタイヤチューブで食道静脈瘤を止血したスーパードクターK(少年マガジン)には負けるなあ。
11月21日(土)曇り
今日から3連休であるが、このうち2日が当直である。朝、患者さんの家族から病院に電話があり、事務当直のT元さんが応対する。病棟に居た私に「いつもの薬はあるんですが、坐薬が欲しいと言っていますが良いでしょうか?」とT元さんが聞いてきた。坐薬といっても色々あるし、患者さんにもよる。患者さんの名前と何の坐薬か聞くように指示した。T元さんは私に言われたとおりに聞き、電話を切った。患者さんの名前は知っている人であった。「坐薬の種類はわからないけど、いつももらっているのだと言っています。」と言ってT元さんがカルテを持ってきた。でもいくらカルテを見ても以前に坐薬など処方していない。再びT元さんに電話をかけて何の坐薬か聞き直すように指示する。私は、その会話を横で聞いていた。
T元「何の坐薬ですか?」
家族「前にもらったやつだと・・」
T元「それが前に出てないがよ。なんやろうねえ?」
家族「???」
T元「どんな坐薬やろう?お尻から入れるやつやろうか?」(おいおい、T元さん、坐薬は普通みんなそうだ)
家族「腹が痛むときに飲む坐薬だと言っています。」(☆@&×???)
昼頃、男性から私宛の電話がある。「知り合いのものだが」と言っているらしい。あやしい。別人を装って電話に出る。
私「阿波谷先生は今、電話にでれません。ご用件を承りますが?」
男「知り合いなんだが、呼んでくれ。」
私「阿波谷先生は、あなたの名前は知らないと言っていますが?」
男「そんなはずはない。声を聞けばわかる。」
私「わからんと思いますよ。」
男「いや、わかる!!」
私「わからんと思うね。だって私が阿波谷なんだから。」
男「あ、先生ですか。実はですね。先生の税金対策に・・・」(途端に口調が変わる。)
すぐに電話を切るのも腹が立つので、受話器をそっと置き、<好きなだけ喋ってろの刑>にした。
11月19日(木)曇り
県庁からK野理事、N島班長がやってきた。我々自治医科大学卒業医師の来年の人事の希望を聞く(人事ヒアリング)為である。我々は派遣先の市町村職員という身分になっているが、人事権は高知県知事にあるのである。しかし、これは在学期間の1.5倍の期間(通常医学部6年の1.5倍の9年)のことである。この義務年限は御礼奉公などとも呼ばれるが、不景気な世の中で黙ってても公務員という安定した期間でもある。私は、来年の3月末でその期間が満了する。ということは、来年は自由の身である。医者をやめても良いし、好きな所へ行ってもよいわけである。プロ野球でいえばFAというやつであろうか。オリックスの木田投手と違うところは、エンジェルスやドジャーズなどからの勧誘がないことであろうか。
ヒアリングが始まり、医師ひとりひとりが呼ばれる。私も色々な話をした。ところが、30分も話をして「来年も(地域の医師として)やってくれるんですか?」の質問が無かった。「県としては当然続いてやってくれるものと思っているが・・」と言われた。何か釈然としない。むむむ、ヤンキースでもいいや、勧誘はないかなあ。
11月17日(火)曇り
今日は、自治大臣表彰の栄誉に輝いた前町長の祝賀会であった。当直であるので、酒は飲めない。まあ、折角の祝いの席であるから無碍に断るのも申し訳ない。役場のN村係長がやってきて酒をつごうとするので、「今日は当直だから」と断ろうとした私に「今日は、患者さんは来ないから飲んで下さい。大丈夫、僕が保証します。」と言って酒をついだ。
宴も終盤になり、二次会に流れる頃になり、携帯電話が鳴った。急性腹症(急にお腹が痛くなる病態の総称)の患者が来院しているとの連絡である。病院に駆けつけると、先ほどのN村係長の父上がベットに寝ていた。幸い大したことなく、処置をおこない症状は改善した。処置室から出ると、N村係長が居た。「先生、すみません。」と頭を下げている。私は、色んな意味を込めて「ほらねっ」と言い残して帰宅した。患者さんの身になると、急病で病院に行ったら、酒に酔った医師が出てくるのは嫌ですよね。当直医に酒を勧めるのはやめましょう。
11月16日(月)晴れ
いつもの如く、松原診療所に出かけた。いつも来ている患者さんが山芋を持って来てくれた。スーパーの袋に一杯あった。私は、山芋が好きでない。マグロの山かけ丼も嫌いでないが、マグロだけの方が美味しいと思う方である。基本的に、私は糸を引く物が嫌いである。納豆、オクラ、モロヘイヤ、山芋・・・ともかく、このまま、もって帰っては毎日、食卓にイモが上ってしまう。そこで診療所のS元看護婦さんと事務のT辺さんに分けることにした。これで1/3に減った。まあ、このくらいなら・・と診療所を後にして、近くのTいや旅館で昼食を食べていた。すると、旅館のおばちゃんと近所のおばちゃんが、山芋を持ってきた。しくしく。
これはたまらんので病院に帰ったあと、ヘルパーさんに分けることにした。福祉の配食サービス用に使ってくれることになった。ヘルパーさんは山芋でとろろを作ったのだが、ちょっと余ったので、私の所へ持ってきてくれた。いらないんだってばー
11月13日(金)晴れ
去る10月11日に行われた介護支援専門員の試験の合格発表の日である。今朝の新聞に合格率35%の数字が発表されて、朝からその話題で持ちきりである。発表は掲示されるとともに、電話での問い合わせにも応じてくれるとのこと。昼過ぎには、院内で合格した、落ちた、などの話が飛び交った。私は、誤答は1問しか思い当たらなかったので、合格しているだろうと考えていたが、やはり、心配になった。電話をかけてみることにした。
私「もしもし、ケアマネージャの合格発表が知りたいのですが」
係「はい、受験番号をどうぞ」
私「えーと、211045です。」
係「えー、2110・・、あ、阿波谷先生」
私「はい!」(どきどき)
係「私、E前です。」
私「は?!」
係「覚えていませんか、昔、医務課で担当だった・・」
私「あー、E前さん!? まあ、お久しぶりです。今、そこで働いているんですか?」(13年ぶりぐらいである)
係「いえ、ケアマネージャの試験関係で県から出向できてまして。どうですか、今、梼原町だったですよね? 梼原は寒いでしょう。いやー、懐かしいなあ。元気ですか? 」
私「はあ、まあぼちぼちやってます。」(ええから、結果を教えてー)
係「いやー私も梼原の方へ遊びに行ってみたいんですが、なかなか忙しくて」
私「来られるときはまた、声をかけて下さい。」(お願い、結果をー!)
係「どうも。それで結果ですが。んー、あ、合格です、おめでとうございます」
11月9日(月)晴れ
近頃、胃が痛い。仕事がうまく行かないとこんなものである。仕事というのは、患者の診察のことではない。それ以外の会議だの、書類だの、人事のことだの・・。悩みが尽きない。誰だ、医師過剰時代などと言っているやつは!
今日は、病院の運営について町長と意見交換をするはずであったが、町長所用のため中止になった。少し、胃が軽くなった。
11月6日(金)晴れ
K幡保健所の難病担当のK保保健婦さんがやってきた。この夏、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で亡くなった女性の患者さんのノートを持ってきてくれたのである。この患者さんとは、Sの川診療所からの紹介で昨年末に当院で胃瘻を造設してからのつき合いであった。胃瘻造設後にSの川診療所に帰ることを勧めたが、本人は当院での治療を希望したため、片道20kmの道のりを往診に行っていたのである。8月に呼吸不全になり入院したが、本人との約束通り人工呼吸器は使わず、壮絶な最期を遂げられた。亡くなる数ヶ月前より、話が出来ない中で、本人が命の火を燃やし続け、色々な出来事をノートに書き留めていた。筋力の弱り続ける手で書くその字は、弱々しく決して読みやすくはなかったが、行間に溢れる思いは力強さがあった。年老いた寡黙な夫と支え合って生きていた。その夫が四十九日の法要が済み、亡き妻への思いをそのノートに書きつづった。妻との出会いから50年間の事を数ページに亘って書いていた。娘たちは、無骨者の父がこんなことするとは意外だったようである。そのノートを私にも見せてあげて欲しいと家族が希望したとの事である。読んでいて胸がつまる思いがした。
私は、この患者さんに十分な事をしてあげられたかどうかわからない。往診に行っても話をするだけである。胃瘻を作ってくれて有り難う、私のように困っている人をいっぱい助けてあげて下さい、と励まされたこともある。むしろ、色々なことを教えてくれた気がする。ただ一つしてあげられたことと言えば、夫婦の写真を撮ってあげたことである。不自由になった体でも何とか楽しみをと思い、往診の時、FジカラーのUつるんですを買って持っていった。これで、好きなものの写真を撮って見せて下さいと言うつもりだった。しかし、みんなで写真を撮ろうということになり、患者さん夫婦と娘夫婦、K保保健婦さんと共に記念撮影大会になった。夫婦二人だけの写真も滅多に撮ったことがないと聞き、無理矢理並ばせて二人だけの写真を撮った。二人ともいい笑顔だった。その9日後に彼女は他界し、文字通り最後の写真になってしまった。その写真は今でも私の机の引き出しに入れてある。この写真を見ると医者になってよかったと思うのである。
11月4日(水)晴れ
昨日は忙しい当直であった。眠い目をこすりながら朝出勤すると、救急隊から連絡あり、急患が搬入されてくる。使ったことのない器具を使って鼻血を止血する。そのあと遅れて外来をはじめた。午後1時外来が終わり、5分で昼食をすませ、午後のCTを撮影しフィルムの現像を待っていると、昨晩、入院させた患者が急変する。救急車に乗せて高知市内のT森病院まで緊急搬送する。途中のH山村で気がついた。あ、CTの患者さんに結果の説明をしていない。車内から電話し患者さんにお断りをする。病院に帰り着いたのは午後8時になっていた。
11月3日(火)晴れ
今日は、世間一般では休みである。私は、当直である。しかもレセプトチェックも残っている。夜はゆっくり眠れるかと思ったら、救急車を含め患者が立て続けにやってきた。2人入院させて家に帰ったのは日付が変わってからであった。
11月1日(日)晴れ
宮崎から帰り着いたのが昨晩遅くであったので今日は体がだるい。病棟で仕事をした後、梼原町産業祭・文化祭に出かけた。同時に健康文化の里づくりフォーラムをやっており、少し顔を出しておかなければならなかったのである。
午後からは病院に帰ってレセプトチェックである。ふー疲れた。
