3月30日(月)晴れ
今日は梼原町南部の松原区の歓送迎会に呼ばれた。回診が済んで出かけようかと思っていたら救急車がやってきた。激しい脳出血の患者である。S田医師が普段外来で診ていた患者であり、救急車に同乗してKろしお病院に緊急搬送することになった。当直のS田医師が帰ってくるまで留守番をすることになった。S田医師が帰ってきたのは7時半であり、それから松原へタクシーで向かい、宴会現場に到着したのが8時過ぎ。会場はすでに出来上がった人たちが多く、次々と酒をつがれ、空腹で大量に飲酒することになった。おえ。
3月28日(土)晴れ
二日酔いである。T田医師の家から荷物の搬出が終わり、記念撮影、万歳三唱のあとT田医師を見送った。車で出発するT田医師に職員が口々に「T田カーブに注意して!」と声をかけた。T田カーブとは昨年9月にT田医師が事故をし、あやうく民家に突っ込みそうになりCR-Xが廃車になったカーブである。T田医師は去ろうともT田カーブの名はみんなの記憶の中に深く刻まれているのである。T田医師一年間お世話になりました。4年後には立派な医学博士になって下さい。
3月27日(金)雨
整形外科T田医師が今日で退職である。高知医大大学院に入学することになった為である。最後の日だというのに緊急手術があった。前任地のK北病院でも同じ事があり、自分の送別会に出れなかったらしい。しかし、今回は時間通りに手術は終わり、燃え尽きるまで送別会に力を注入できた。
3月26日(木)晴れ
平成10年度の人事異動で辞令交付があった。梼原町条例改正により役場の機構改革が行われ、町民福祉課が姿を消すことになった。今まで、町民福祉課の出先機関であった梼原町保健福祉支援センターが条例上は課になった訳である。というわけで、所長=課長という理由から、私は保健福祉支援センター所長をやめることになった。その上のスーパーバイザー的な仕事をしてくれと町長にも言われている。さて、そこで私の役職名をどうするかがもめた。副所長、次長じゃ降格になるからダメ、名誉所長、理事長も変だ。助役も考えあぐねて、好きな名前を付けてくれと頼まれた。自分の役職名を自分で考えるのも変な話である。そこでO崎次長と夜中まで考えた名前が<General Manager>である。大リーグ方式である。かくして町始まって以来の横文字の役職名が誕生した。さて、辞令交付にいく。受け取った辞令は<ゼネラルマネージャー>になっていた。確かにカタカナで書くとそうなのだが、ガソリンスタンドの親父じゃないぞ。
3月25日(水)晴れ
県立中央病院中央放射線室のM崎技師は県立西南病院でなくお隣の県立宿毛病院に技師長心得で転勤であった。失礼しました。
3月24日(火)晴れ
この4月から県立中央病院放射線科のN田先生が中村市の県立西南病院に転勤である。熱心ないい先生なのに惜しい限りである。しかし、来年には県立西南病院は県立宿毛病院と統合し幡多けんみん病院として生まれ変わる予定である。両院には今まで放射線科の常勤医は居なかったが、統合病院での基礎を作りに行くわけであるから、その能力を買われてのことであり、非常におめでたいわけである。寂しくなるけど、早く幡多美人を捕まえて結婚してね。それはともかく、今日、朝刊を見ていると県職員の人事異動が発表になっていた。それによると、県立中央病院中央放射線室のM崎技師が県立西南病院に技師長心得で転勤になっていた。N田先生仲良くしてあげてね。
3月22日(日)晴れ
高知に買い物に行った。土佐道路沿いのKタムラカメラに行く。CD-Rが無くなっていたので買うつもりだった。1ヶ月ほど前に、<めっちゃ安いコーナー>にSONYのCD-R650MBが10枚セットで2,980円だった。思わず、飛びついてしまった。CD-Rを最初に目にした約1年前には1枚で3,000円以上した品である。しかし、今日は<めっちゃ安いコーナー>にはCD-Rの姿がない。通常のMO、CD-R、PDなどのメディアを置いているコーナーに行く。するとMクセルのCD-R650MBが10枚セットで1,980円になっていた。うそっお。1ヶ月で2/3に値下がりしている!1年前からだと1/20くらいになっている。これだからは、コンピュータの世界はぶつぶつぶつ・・20枚買った。
3月20日(金)強風
今日は、高知に帰るだけである。朝食をとって、9時に赤坂のホテルを出た。10時50分の飛行機に余裕で間に合う予定だった。途中、地下鉄に乗っていたが、例のサリン事件から今日が丁度3年目になることに気づき、あまりいい気分ではなかった。浜松町で飛行機のチェックインをしようと思ったら、機械が止まっている。係員に聞くと、強風のため飛行機が飛んでいないという。ええっ!? モノレールで羽田まで行こうということになったが、羽田から来るモノレールはガラガラに空いている。羽田空港の出発ロビーでは殆どの便が搭乗手続停止中であった。結局、3時間待って新幹線で帰ろうかと考えていた矢先に搭乗手続再開になった。それでも混乱しており係員も何が何やらわからんという状態だった。やっとのことで高知空港に帰ってきたが、よせばいいのに帰りに今日開通した高知自動車道南国−伊野間を通ってみようということになった。伊野の料金所で1.2kmの大渋滞であった。ぜんぜん早くなかった。
3月19日(木)晴れ
今日から東京に出張である。国保の健康管理センター長会議である。朝5時に起床して空港に向かう。睡眠不足であるが運転手はO崎次長なので寝てりゃあいいやとタカをくくっていた。ところが、まったく眠れない。東京行きの飛行機の中でも熟睡しているO崎次長を横目にMacの雑誌を読んでいた。会議まで3時間以上時間が余ったので、元梼原町職員のA山さんのいる農林水産省に行ってみたが会議中であえず、梼原町東京PRセンターに電話してみたが所長が留守とのことであえず。結局、ブラブラしただけとなる。会議はつつがなく進行し、私の発表も好評のうちに終わった。他の施設の所長さん方は、口頭で話すだけなので、スライドを使用した発表は結構うけた。懇親会は全国の施設と仲良くなって、視察の依頼も結構あった。O崎次長あとよろしく。
3月16日(月)晴れ
月曜日に応援に来てもらっている県立中央病院へき地医療センターのY井先生の送別会を催すことになった。4月からの内科医の増員によりへき地医療センターの応援も今月限りとなったのだ。高級居酒屋Yすぎ谷に行ったが、H谷医師が来ないので待つことにした。待っていたら病院から呼び出しの電話が・・そのまま続けざまに4人の患者があり2時間かかってしまった。戻った頃にはT田医師はすっかりできあがっており、昔のアイドルだの特撮物だのの話を饒舌に語っていた。こいつ、意外とオタッキー。そういや、医局にマジンガーZの超合金おいてるもんなあ。なつかしー。
3月15日(日)強風
Hンダのセールスマンがやってきた。とうとう、Oデッセイに決めてしまった。昨年の見積もりより、今乗っているRVRの査定が3万円下がったのは悲しいが、値引きは7万円増やし、F1ジャンバーとF1バッグと座席の間につけるテーブルを付けさせることに成功した。ボディの色は僕としては黒にしたかったのだが、RVRの洗車の状況が悪いのを指摘され、あえなく妻の気に入ったクリスタルシルバーになった。納車は4月上旬とのこと。はやくこいこい。
3月14日(土)晴れ
日赤と保健所から災害救急医療の講習会をするから来なさいと呼ばれたので、S元次長とN越N子看護婦と一緒に須崎市に出かけた。会場の須崎市民文化会館に着いたが、おばさんからばあさんが溢れており、どうも災害救急とはあまり関係なさそうな人がいっぱいいた。同じ時間で隣の会場で松井誠という女形のショーがあるらしかった。その観客の中にいた梼原町から遠征してきているオバサンたちに発見された。「先生も、こういうのが好きなんだねぇ。」と感心された。ちがうぅ、僕は仕事だ。そのまた隣の会場に高知県地方で有名なコンビニの「Kいしんぼ如月」の面接会場があり、有名な社長がうろうろしていた。
3月13日(金)くもり
先月のバレンタインデーのお返しに朝からお菓子を配って回る。
福祉センターで、新婚のT恵さん曰く、「先生、いつもすみません。」おいおい、バレンタインデーのお返しなんですからね!お菓子が余って持ってきたわけではないんですから。そこの所をよーく、理解しておくように。
昼休み医局前で、老人ホーム、身障者療護施設の看護婦さんにお菓子を持っていこうとしていた。S田医師に呼び止められる。「僕、準備してなかったんで、お金払いますから、そのお菓子、先生と僕からということに・・」武士の情けで黙っているつもりだったが、S田医師のホームページで自ら暴露していた。
3月10日(月)雨
特別養護老人ホームFじの家の看護婦さんと酒を飲みに行った。かなり飲んで久々吐いた。
3月9日(月)曇り
やっと長女がインフルエンザから復活。今日から保育園に通えるようになった。ところが今度は妻が発熱している。とうとう全滅である。
3月7日(土)曇り
以前、Iプサムを見に行ったためTヨタビスタから再三にわたり電話がかかってくる。気持ちは、HンダのOデッセイに傾いているのである。Oデッセイにするつもりらしいですと妻がTヨタに言うと、担当のセールスマンは直接来ると言い出した。15日にはHンダのセールスマンを呼んでいるのだがダブルブッキングにしてみようか?
3月5日(木)曇り
町長と保健医療福祉行政についての意見交換をした。議論が白熱し、2時間くらい話した。疲れた。手を出しすぎても財政的な面がついてこなければ逆に町政に不利益を与えかねない。ともすれば、医者はそういうことを考えない傾向があると思う、反省。
3月4日(水)晴れ
今日は愛媛県日吉診療所に依頼されてIVHリザーバーの埋設にお伺いした。慣れていない所でやるのは難しいのであるのだが、かえって色々なことに気がついて良い経験になるようだ。無事、手技が終了し、医局で一休み。所長のA雲先生とはインターネットを通じて知り合いになった。お互い抱えている悩みは同じようなものがあり、色んな面で仲良くできそうである。
3月2日(月)晴れ
愛媛県日吉診療所に依頼されて内視鏡的胃瘻造設術のお手伝いに行った。愛媛県ではあるが車で15分くらいの距離にある小さな村である。普段、私が使っているBストン社のキットとは似て非なるBード社のキットが用意されていた。Bード社の担当者もわざわざ松山から説明に来ていた。今度、うちにもサンプルのキットを持って来ると約束した。収穫!
3月1日(日)晴れ
出張から家に帰ると、長女が熱を出して倒れていた。次女はまだ元気であるが、咳をし始めており時間の問題であろう。我が家でインフルエンザになっていないのは、あと妻だけである。