働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

6月28日(土)雨
 3歳の長女は最近お絵かきに凝っている。訳の分からない絵を描いている。自分一人で描いてりゃいいのに、時々こっちに持ってくる。「お父さん、パンダさん描いて」「お父さんウサギさん描いて」しつこいので、とりあえずそれらしく描くと納得する。すると描いた紙を「先生にお土産するの」と言って保育園に持って行っている。妻が保母さんに、描いた絵はどうなっていますかと尋ねたら、教室の黒板に掲示しているとのことであった。恥ずかしいからやめてくれ。

6月27日(金)雨
 当直していると救急隊から連絡が入る。91歳の男性、風邪症状で近医にかかっていたが高熱と嘔吐のため救急車要請があったとのこと。救急入り口で待ちかまえていると、やってきたのは88歳男性。救急車から患者以外に家族が3人、両手にティッシュの箱、タオル、洗面器、着替えの入った袋などを抱えて降りてきた。肺炎の診断で入院となるが、「押し掛け女房」ならぬ「押し掛け患者」だなと苦笑していると家族曰く「あ、エアーマット(寝たきりの床ずれ防止のマット)を持ってくるのを忘れた!」むむむ、この人たち入院のプロだ。

6月26日(木)曇り
 仕事が終わってから、県立中央病院<肝胆膵カンファレンス>(秘蔵写真集はここ)に出かけた。急患があったり、県庁の役人が来ていたりして少し遅くなった。しかし、今日は医師会カンファレンスもある日なので始まりも遅いだろうとタカをくくっていた。ところが、今月限りでKぼかわ病院に移動になる外科のO崎医師の送別会があり、例の如くカンファレンス終了次第、菜園場吾平で飲み会の予定であった。当然カンファレンスは早く終わった。1時間のカンファレンスのために4時間かけての往復である。

6月24日(火)晴れ
 毎週火曜日は整形外科のT田医師が研修で大学に帰るために不在である。最近、T田医師が不在の時に限って怪我人がやってくる。今日もやってきた。転落して川に落ちて意識がない。CTを撮って脳の表面に僅かな出血がある。救急車でKろしお病院に搬送した。途中で何かあったらいけないのでH谷医師が同乗した。無事送り届けてH谷医師が救急車で帰ってきていると、また救急隊の出動要請があり、H谷医師はそのまんま患者を連れて病院に帰ってきた。レントゲンで骨盤骨折が疑わしい。病棟が満床のため他の病院を探すことになった。Kろしお病院は上腕骨骨折の患者がやってくるのでダメだと言われ、新K陵病院は看護婦がストをしているからダメだと言われた(なんじゃそりゃ?)。結局Cひろ病院にお願いした。こんな日もあるのである。

6月21日(土)晴れ
 梼原町に「ライダーズイン雲の上」が完成し、今日は落成式が行われた。式典会場では私の横の席は梼原交番のお巡りさん、その向こうは津野山消防分遣所の所長だった。どうもセットものらしい。神事が終わり餅投げになった。町長に見つかって院長にも餅を投げさせろと係りの職員に言っていたが、丁重にお断りした。だって、投げたら拾えないじゃないか。袋一杯拾ってきて病院で配った。

6月18日(水)曇り
 前事務長およびY本名誉院長が退職することとなり町長主催で送別会が催された。Y本名誉院長は相変わらずの御乱心振りで多くの女子職員が被害にあった。

6月17日(火)晴れ時々雨
 3月末まで勤務していた県立中央病院から連絡有り。昨年の放射線被曝線量が多いので血液検査をしろとのことだった。確かにいっぱい被爆した。げげ白血球が減ってたらどうしよう。すぐ調べたけどWBC7,300あった。ほっ。今年はあまり被爆しないようにしようっと。

6月16日(月)曇り
 PTCDが抜けた患者を再挿入しようと試みるも胆管が細くなっていたので中止。代わりにPTGBDを入れた。カテがなかなか入らず苦労した。しくしく。
 午後9時から勉強会をしていると救急隊から連絡があり、交通事故で怪我人を搬送してくるとのこと。車に乗っていたのは2人。1人は既に息絶えているが、もう1人は足が折れているらしいとの情報。救急車が到着し、レントゲン室へと誘導し、足を見て驚いた。骨が、折れた骨が飛び出してる!すぐ、須崎のKろしお病院に連絡し、患部を止血し、輸液と昇圧剤を使いながら、S田医師同乗のもと救急搬送することになった。S田医師の話によると整形外科医が2人がかりで、えいやっ、ボキボキと治したそうである。整形外科医はすごい。私は、なくなった人を警察と一緒に検屍をした。ご冥福をお祈りします。バタバタしていると別の交通事故の患者がやってきた。頭を打撲しボーとしている。これはH谷医師に任せた。今日は何という日だろう。

6月15日(日)雨
 今日は、町内一斉清掃である。粗大ゴミの回収や溝掃除や路肩の草刈りなどの仕事を梼原町民総出でするのである。ところが、病棟の患者が具合が悪く午前3時にモーニングコールを頂いた。結局そのまま眠らず、一斉清掃に突入。溝掃除は消防のホースを使い水圧で泥を流し出す。雨は降ってくるし、溝掃除で水を掛けられ、ぐちゃぐちゃになってしまった。疲れはてて病棟にいき、PTCDを入れている患者を透視で見たらチューブが抜けてしまっていた。おおまいがっ!
 夜はホタルを見に行った。まだ時期が早いのか少し寂しかった。

6月7日(土)曇り
 内視鏡従事者研修会とかで高知の町に出かけた。ついでに、電池切れの懐中時計の電池交換をした。死んだ父の形見なのである。3歳の長女が懐中時計を珍しがって欲しがった。妻曰く、「お父さんが死んだら貰えるわよ。」げげっ、俺を殺すなよ。

6月4日(水)曇り
 閉塞性黄疸の患者が入院している。94歳である。日に日に黄疸が強くなってくる。痴呆がひどく、暴れて、CTも綺麗に撮れないので原因もよく分かっていない。しかし、超音波、CTからどうやら胆石症のようだ。しんどがって食事もとれないのでこのままでは死んでしまう。M田S二郎先生に相談して、思い切ってPTCDをすることにした。こんなこともあろうかと、一昨日に看護婦の勉強会でPTCD・PTGBDの手技と管理の話をしたばかりだったので看護婦の対応がまずまずだった。やはり看護婦の教育はするべきである。しかし、見事に7mmの胆管に穿刺しチューブを留置した後、「拍手!」と言ってみたが誰も拍手してくれなかったので虚しかった。M田S二郎先生の教育が良いので中央病院では成功すると拍手をしてもらえるが、梼原病院では「ふーん」で終わってしまった。まだまだ教育が足らんかった。

6月2日(月)曇り
 隣村である愛媛県日吉村の日吉診療所のA雲先生、H野事務長、O婦長が見学に来られた。A雲先生とはインターネットを通じて知り合い、お互い隣り同士なので情報交換をしたいと申し上げたところ、早速にお出で頂いた。県境を跨いでるため、何となく行き来が少ないが、今後は患者の行き来、技術面での協力ができたらいいと思っている。

6月1日(日)晴れ
 梼原町太郎川公園で恒例の第11回土佐牛まるかじり大会が開催された。昨年に引き続きH医師(現K知医大放射線科)を御招待したが、H医師夫妻の他に今年は奥さんの実家である三代目T尾石材店(「人類の幸福は祖先の崇拝にあり」のCMで高知県地方では有名)の兄夫婦、弟と一緒にやってきた。師匠のM田S二郎先生が胆石症で手術を受けたばかりなので、弟子は肉を食べることを禁止されているのだが・・・ お土産にケーキを頂きましたので、M田S二郎先生には内緒にしておきますので、H先生安心しておいて下さい。


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