働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

7月29日(火)曇りのち雨
 今日は夏休み最終日である。今日のパスポートは、ディズニーシーでもディズニーランドでも自由に選べる。昨日、親子で相談し、昨日、抽選に外れたリベンジを果たすためランドにする。開園と同時に乗り込み、私は昨日の抽選会場に並び、妻子は『ミッキーの家』に並ぶ。30分並んだ末、見事、『ミッキーのギフトオブドリームズ』に当選! 今年の運を使いきった気分である。指定席券を手に得意満面で妻子と合流。ショーの開始の15分前にシンデレラ城前の観覧席に向かう。そのとき、小雨がパラパラ降っていたが、ショーのためなら、我慢、我慢。しかし、我々を不幸のどん底に突き落とすキャストの叫び声。「天候不良のため、本日の『ミッキーのギフトオブドリームズ』は中止とさせて・・」 やはり、運を使い切っていたのか・・。気を取り直して買い物して午後の飛行機で帰宅。

7月28日(月)晴れ時々曇り
 朝から西本願寺の東京ディズニーランドへ行く。20周年の記念イベントをやっていた。5年前に15周年のイベントを見たのは気のせいではない。20周年のスペシャルショーの『ミッキーのギフトオブドリームズ』、『ブレイジングリズム』は観覧席が抽選である。今日は、まずその抽選会場に向かう。お、この建物は去年まで『ミートザワールド』だったのに・・諸行無常。40分抽選で並んで見事にハズレる。その後、『プーさんのハニーハント』のファストパスに40分並ぶ。この間、妻子は『空飛ぶダンボ』に行っていた。手に入れたファストパスを持って合流したときに、ハタと気がつく。文庫本は随分読み進んだが、私はまだ何一つ乗っていない。とりあえず、疲れたので、涼しい上に必ず座れる『ミッキーマウスレビュー』に行く。ここ大好き! 昼食後、いくつかのアトラクションをこなし、昼のパレードまで一時間・・と思ったそのとき、一時間前の場内放送が流れた。すると、どうだろう。それまで何気なくその辺に立っていた人々が一斉にレジャーシートを広げて座る。その様は、まるでよく訓練された軍隊のようだった。我が家も最前列で座る。ちょうど日差しがきつくなり、たまらなく暑い中、一時間耐える。頑張った甲斐があって、パレードが始まり、ミッキーの乗ったフロートが目の前で止まり、ダンスになる。人間、頑張れば報われるものである。

7月27日(日)晴れ
 本日から夏休みである。始発の飛行機で東京へ向かう。毎年恒例の東京ディズニーリゾートである。オリエンタルランド教の信者として、毎年一回の総本山への参拝の修行旅だと思えば、人の混雑も長蛇の列も我慢しやすい。今日は東本願寺のディズニーシーに直行。夜のショーのために一時間場所取り。

7月26日(土)晴れ
 当直明けで高知に向かい第一回へき地医療支援会議に出席。その後、自宅に帰り、妻のiMacが不調とのことで診察。電源を入れると?マークが出て起動できない。システムCDを入れて起動してもハードディスクが行方不明である。これは、いわゆるハードディスクのクラッシュだなあ・・。エレクトリックパーツ高知に連れて行き、そのまま入院。

7月24日(木)曇り
 製薬会社からのダイレクトメールの中に花の種と栽培セットが入っていた。事務のY村さんがそれを育て事務室の窓際に置いていた。先日、芽が出てカイワレ大根のような状態になっていた。ところが、そのうちの何本かがポキッと折れていた。私がいぶかしんでいたら、事務のM佳ちゃんが誤って物を落としてしまったことを教えてくれた。M佳ちゃん曰く「自然は厳しい。」 いやいやすごく不自然。

7月22日(火)曇り
 世界水泳選手権バルセロナ大会で平泳ぎの北島康介が世界新で金メダルを獲得した。確かにすごいのだが、古館伊知郎の実況はやめた方がいい。彼の実況は、どうも新日本プロレスのイメージが払拭できない。猪木や長州が目に浮かんでしまう。

7月20日(日)曇り
 今日は、恒例のカルスト高原マラソン大会である。毎年、救護班のスタッフを出すのだが、今年は医師が一人減ったこともあり、厳しい。先週のへき地医療協議会で、久しぶりに会った沖ノ島診療所のO川医師を誘ってみた。O川医師はこの3月まで梼原病院に在籍しており、平成13年、平成14年とカルストマラソンの救護スタッフをやっていたのである。O川医師は快く引き受けてくれた。有難いことである。一昨年は、うなぎ弁当を2個もらえたのでO川医師はゴキゲンであったが、昨年はうなぎ弁当が無くなっており、O川医師はアテが外れたという過去がある。今回の協力は純粋に梼原病院の窮状を察してのボランティアだと確信するが、とりあえず、主催者の教育委員会に弁当を2個構えておくように事務長が電話をしていた。O川医師は今年はうなぎ弁当を2個手に入れたらしい。O川先生、来年もよろしくね。

7月19日(土)曇り
 院内LANのサーバーのバックアップをより信頼性が高く冗長性を持たせるために、内蔵ハードディスクを増設することにした。エレクトリックパーツ高知に行き、ATAのハードディスクを物色していてた。同じ時間帯に店内に入り、店員と親しげに話をしていた男性がどうも気になる。どうも高校のときに同じクラスだったH山君じゃないかと思うのだが、なにせ20年会ってないものだから自信が無い。声をかけようかどうしようか悩みつつ結局かけれずじまい。おーい、H山君、7月19日午前にエレクトリックパーツ高知でスキャナを買っていたのは君ではないですか?

7月17日(木)曇り
 血液センターから病院に電話がかかる。「明日、献血に梼原に行くんですけど、輸血の注文があれば、お持ちしますがいかがでしょう?」 最近、血液疾患の患者さんの関係で輸血を注文することが毎週のようにあるとは言え、血液センターが御用聞きもするとは驚きである。かくして、明日、献血バスで輸血製剤が届く。産地直送?!

7月16日(水)曇り
 巳年生まれの職員を集めて酒を飲んだ。誰が呼んだか、ミドシーズ。出席者の最大年齢差は24歳。二次会でカルスト会N宮理事長宅を襲撃。散々ビールを飲んで解散。巳年はシツコイ。

7月15日(火)曇り
 ちきん館のローストチキンが届いた。早速、M田看護師の引っ越し祝いで宴会である。着きたてのチキンとビールを持って道路を歩いていたら、近所のU原さんに声をかけられた。「飲むんだったら、鮎を焼いてきてあげようか?」 かくして鮎も手に入れてしまった。絶品のチキンを食べながらビールが進む。

7月13日(日)曇り
 最近、救急車が来ない。10日の夕方、救急隊員のN森君が非番で歩いているところにバッタリ会った。
 「最近、救急出動が少ないんじゃない?」
 「そうなんですよ。6月から激減です。」
 「仕事が少ないと、ボーナス出無いんじゃないの?あはは・・」
 ・・などと軽い冗談を言っていたのが運のつき。その晩から救急出動がバンバンある。今日の私の当直でも、2件の救急搬入がある。
「先生が余計なことを言うからですよっ!」
 N森君に怒られた。

7月12日(土)曇り時々雨
 町長、N村支援センター長とともに高知に出張である。へき地医療協議会の総会なのである。そのまま引き続き、懇親会。午後3時半から宴会。昨日も飲んでたし、今朝は二日酔いだし、しんどいなあ・・こんな時間から飲めるかねえ・・と思っていた。ところが飲み始めると平気でやっつけてしまう。

7月11日(金)曇りのち雨
 K知医大I田学長に梼原町にお出で頂いた。明日の健康文化の里づくり推進員講座でご講演頂く為である。ということで、夜は懇親会。ご同伴の奥様にはご迷惑だったのかも知れないが、梼原流のご接待。

7月9日(水)晴れ
 阪神にマジック点灯?え、なにそれ? 「すみませんねえ・・」と上機嫌なU田医師。感じ悪いゾ!
 あ、そうか。阪神好調に浮かれて関西を中心に消費が増えるので景気がよくなるんだ。そうだ、きっと国の景気対策なんだ、これは。T中金融担当大臣の陰謀だ!

7月7日(月)晴れ
 突然、昼食途中に、ちきん館のローストチキンが食べたくなる。K澤理学療法士、M場医師らとともにチキンを仕入れて一杯やる話になる。話の流れで、本人の許可も取らずにM田看護師の引っ越し祝いという名目になる。M田看護師の知らないところで、日時、場所などが決まっていく。恐ろしい・・と思いながら、ちきん館のホームページでローストチキンを注文。

7月6日(日)曇り
 病院の前の梼原川の河川敷で消防演習をしていた。ワイヤーにぶら下がった缶を水銃で両方から押し合い、相手の陣地に押し込んだ方が勝ちというエンターテイメント性のある演習もある。病院駐車場あたりが見物の特等席になるため、多くの町民が集まっていた。田舎は娯楽が少ないのでこういう催しでも多くの人が集まる。ここまでは毎年のことなのだが、今年は、たこ焼きの屋台が出ていた。商魂たくましい。

7月5日(土)晴れ
 永田町の全国町村会館で朝早く目覚める。N村センター長、S岡ケアマネと約束した朝食の時間まで、ボーっとテレビを見る。和久井映美が離婚したのか・・。結婚するときに、『ヤメときゃいいのに・・』と言ったでしょと、ツッコミを入れても知ったこっちゃないわね。
 午前10時に、再び日比谷の国立社会保障人口問題研究所に移動し、ともにゲストで招かれていたF島県T岩村の方々とともに、意見交換などをする。正午に終わり、時間があるので、汐留に歩いていきブラブラ。食事をとりながら、話し込んでいると、飛行機の時間まで1時間を切っていることが判明。慌ててJR、モノレールを乗り継いで、羽田に着いたのは、出発の15分前。もはや自動チェックイン機は受け付けてくれず、カウンターでチェックイン。トランシーバーを持ったお姉さんにチケットをにぎられて先導され、搭乗口までダッシュするハメになる。飛行機の座席に着いたときには我々3人とも完全に息が上がっていた。というわけで、お土産を買い損ねた。反省。

7月4日(金)曇り
 昨日、そのまま高知市に泊まり、今日から東京出張である。国立社会保障人口問題研究所の会に招かれたのである。N村支援センター所長と、S岡ケアマネージャとともに出席することになった。車で迎えに来てもらい、高知空港から飛行機に乗る。日比谷にある国立社会保障人口問題研究所にお伺いし、A藤所長にご挨拶。3時半から、大学のときの講義を思い出すような、統計学、経済学の話を伺った。会議のあとに、別席の中華料理店H珍楼に移動。家族連れではとても入れそうにない高級そうな店だった。入り口付近にハーブを生演奏しているお姉さんがいるし、窓から汐留再開発の高層ビル群の夜景が見えるし・・。いいのかな、こんなに接待してもらっちゃって。

7月3日(木)曇り
 午後から、高知出張である。「国保直診のあり方に関する検討委員会」の第一回目の会だった。新しい医師臨床研修制度、市町村合併に向けて、まだまだ国保直診(国民健康保険直営診療施設)の課題が山積していることを確認する。

7月1日(火)曇り
 役場の朝礼で、企画課長から職員へある指示が下った。K知新聞社が募集しているずっと残しておきたい「土佐の音百選」への応募を呼びかけるものであった。梼原町として、何としてもこの百選の中に2つくらいは梼原の音を組み込ませたいのだとか・・。そんなことをして何になる?という素朴に疑問に対する回答は唯一つ。「梼原はそんなことが好きなの。」


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