働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

1月30日(土)晴れ
 今朝は6時半に起きて、高知出張である。高知県地域医療学会に出席するためである。昨晩は保健福祉支援センターのO崎所長たちと酒を呑み、その後、家に帰った後も、三国志を読み始め、寝たのは午前3時過ぎと言う有様であった。昨晩の宴席でも「明日の発表の原稿を考えなくては・・」とぶつぶつ言っていたが、結局何もしないまま寝てしまう。高知に行く車の中で考えればいいや、と思っていたが、車の中で寝てしまう。原稿もなしに発表をする。結構うけたりする。ちょろいもんだぜ。午後から、国診協のI井会長の講演がある。また、寝てしまう。国診協の活動の話をされていたのを夢の中で聞いていた。「ええと、このセミナーは梼原病院の阿波谷君におねがいしてまして・・・」「え?」、思わず目が覚める。どうも、先日依頼された来週のシンポジウムの件らしい。あーびっくりした。

1月27日(水)晴れ
 インフルエンザ大流行中である。全国の老人ホームや老人保健施設で死者が何人出たというようなニュースが流れる。「何を言ってるんだ!? インフルエンザが流行すれば、老人などの弱者が重篤化することは当然のことだ。厚生省が予防接種の副反応ばかり強調し、弱腰になったせいじゃないか!」とテレビに向かってぶつぶつ言っていると、横から妻が一言、「あなた、去年も同じ事言ってたわよ。」 そうだっけ? 歳をとった証拠かなあ、同じ話をしているなんて。

1月26日(火)晴れ
 K知医科大学整形外科Y本教授に呼ばれた。先週から嫌な予感がしていたのだが、今日、お会いするとその予感が的中した。詳しい話は出来ないが、私の胃がまた痛くなることは確実である。

1月25日(月)雨のち曇り
 インフルエンザが流行している。町内の全校児童35名のN川小学校では先週の木曜日に欠席が11人、罹患しているけど出席している子もありとのこと。学校医をしている関係で校長先生から電話があった。「今日は木曜ですから、今日と明日を臨時休校にして、月曜から授業をすれば如何でしょう」と意見をいい、そのとおり休みになった。私は子供の味方である。ところが、その授業再開の本日になってみると欠席者が19人に増えていた。また、電話がある。「もう2日休みにしましょう。」と意見を言い、そのとおり休みになった。都合6日の連休になった。N川小学校の子供たち〜、私に感謝するように。
 毎年、この時期になると、天狗高原でスキー競技の国体高知県予選が計画される。計画の段階で関係者から、万が一、事故があった場合によろしくとの電話がかかってくるのがこの時期の風物詩である。ところがこの大会、私の記憶する限り、開催されたためしがない。理由は簡単、雪がないからである。今年も無理だろうなあ。電話もかかってこない。

1月23日(土)晴れ
 訪問看護婦の勉強会に呼ばれた。私のやっている経皮内視鏡的胃瘻造設術の事について講演を頼まれたのである。つまんない冗談も交えながら話をして、これが結構うけたりすると、ついつい話が長くなってしまう。途中で係りの人から「早く終わって」のメモが回ってきた。いやあ、ごめん、ごめん。

1月22日(金)くもり
 近頃、振動病の所見書を作成する作業に追われている。毎年の風物詩ではあるが、一人あたり1時間程度かかる書類が30人分くらいある。締め切りのあるものだけに気が焦って辛い物がある。今月中に済まさないとレセプトもあるし・・・うううう。

1月20日(水)晴れ
 K知医科大学の関連病院会議のために高知市にでかけた。K知医科大学を卒業した医者が大学に入局しないとのことでI田学長先生以下危機感が漂っていた。難しいことはよくわからないが、整形外科Y本教授、眼科U野教授、放射線科Y田教授、精神科I上教授、総合診療部K本教授などの諸先生方とお話させていただき、酒を呑んで家に帰った。

1月18日(月)くもり
 今日、回診後の定例の職員勉強会をしていると、外線電話がかかってきた。電話に出た守衛さん曰く、「東京からなんですけど、急いでるようで名前はよくわかりませんが・・」ははーん。また不動産屋のやろーだな。そのまま断っても良いんだが、何か仕返ししないと気が済まないので、「今、手が放せないので、相手の名前と電話番号を聞いておいてください。」と伝えて勉強会を続けた。さあ、どんな手で嫌がらせをしてやろうか?(わくわく)ところが!!相手の名前を聞いたところ、国民健康保険診療施設協議会(国診協)のY村事務局長から電話で、会長のI井先生が至急、話がしたいとのことだった。冷や汗がたらー。
 勉強会が済んで電話を慌ててしてみた。I井会長はさして怒っている風でなかったので一安心。話は「2月に東京で介護保険のシンポジウムをするからシンポジストになってくれんか」とのことだった。都合が付きそうなので行かして頂くことになった。ふう。

1月17日(日)くもり
 やっぱり風邪ひいた。じゅる。ごほっ。

1月15日(金)晴れ
 別にそう楽しみにしているわけでもないが、ひょっとして当たっているかもと毎年気になるのが、年賀はがきのお年玉くじである。番号の確認作業は結構面倒くさい。東京の郵便局では自動で確認してくれる機械を置いているとか。ぶつぶつ言いながら確認をしていく。少なくとも切手シートは下二桁で3通りあるから、100枚のうち3枚は当たる確率である。全部で250枚の年賀状があるから8枚くらいは・・・結局3枚しか当たってなかった。あれ?

1月14日(木)晴れ
 今日の夕方、病院にいると、私の母校であるJ治医科大学の同窓会の山本と名乗る人から電話がかかってきた。
 山本「実は、同窓会の新しい名簿を作ってまして、平成10年の名簿では先生の自宅の住所と電話番号が空欄になっていますが教えて下さい。」
むむむ、おかしい。だいたい、名簿は同窓会でなく地域医療推進課で作っているはずである。それから、自宅が空欄になっているのは変なセールスの電話がかかってこない為で、そのことは住所の届け出をするときにお願いした上でのことなのである。
 阿波谷「いままで、こんな時期に電話で問い合わせがあったことなど無いのですが、おかしくないですか。」
 山本「ですから、昨年と内容が変更していないかと・・」
 阿波谷「あなた、怪しいですから、同窓会の電話番号を教えて下さい。こちらから折り返し電話しますから。」
 山本「ええと、0285-??????です。」(これは正しかった。しかし、電話を切った直後にかけてみたが誰も出なかった。)
 阿波谷「私は、ちゃんと自宅の連絡先を報告していますが、名簿には載せて欲しくないのでそうお願いしているから空欄なのです。あなたが、本物だったら、聞かなくても知っているはずですが?」
 山本「あなた、失礼ですね。私は大学から掛けているんですよ!(嘘つき)」
 阿波谷「どうして、載せてないか教えてあげましょうか。それは、あなたみたいな迷惑な人が電話を掛けてくるからですよ。」
 山本「私には教えられませんか?」
 阿波谷「あなたが本物の同窓会事務局の人だったら、同窓会長の名前を言えるでしょう?言ってみて下さい。」
 山本「そんな、人はいません。(嘘つき)」
 阿波谷「ほら、嘘ついた、僕は言えますよ。」
ここまで言ったら、ぶちっと電話を切った。自宅の電話を調べて、また不動産のセールスか何かの電話をしてくる気であろうがそうはいかんゾ。偽同窓会の電話の情報を即日、卒業生関係のメーリングリスト3つに掲載した。ざまーみろ。だいたいJ治医科大学の職員はみんな栃木弁なのだ。今度は栃木弁を勉強しておきなさい。かっかっかっか。

1月13日(水)晴れ
 昨日は病院の新年会・新人歓迎会であった。今日は、高幡地区の保健担当者ブロック会議があり、夜は懇親会であった。肝臓が痛い。
 それはともかく、今日、県境を越えた隣村である愛媛県日吉村の診療所長A雲先生から電話がかかってきた。約1年前に、末期の膵臓癌の患者さんのCT依頼の紹介があり、ある治療法お勧めして、日吉村までリザーバーの埋設に出かけた症例があった。その後の経過が非常によく、現在も患者さんは、お元気であり、感激されたA雲先生は私を共著者にして「愛媛医学」という雑誌にこの症例報告を投稿していたのである。この度、採用が決まったのだが、共著者と言えども愛媛医学会の会員でないとダメとのお達しがあったとのこと。4万円払えば、賛助会員と言うことで名前が載せれるようになりますがどうしようかという相談の電話であった。名前一つ載せるのに4万円を取ろうとは・・お断りすることにした。A雲先生は「この症例は半分以上、阿波谷先生の仕事なのに・・」と言って恐縮されていた。しかし、患者さんの主治医はA雲先生であるし、患者さんはA雲先生に感謝されて居られると思う。私は、A雲先生に喜んで頂いて、お役に立てただけで十分ですから。ひゅーかっこいいー(ホントは4万円が惜しかった?)
 さて、今日の懇親会でK幡保健所のK保保健婦さんが来て、「先生のことが「公衆衛生情報」という雑誌に載ってましたよ」と教えてくれた。全然取材を受けた覚えが無いのにどうしてと思って、記事を読んでみた。10月に来町した東京都立大学H助教授と酒を酌み交わし、意気投合して医療の話をした内容だとわかった。H助教授、有り難うございました。

1月11日(月)晴れ
 こういう日を一昔前は天中殺と言ったのだろうか。
 昨日は当直だったのだが、昼間は暇で暇で楽勝かと思われた。ところが、夕方、娘と風呂に入っていると「外来患者さんが来ます。」と当直看護婦からコールあり。冷たい北風の吹く中、風呂上がりの体が冷え切りながら病院に往復する。一休みしていると病棟からコールあり、入院患者さんを診に行く。日付が今日に変わって午前1時を過ぎ、もう患者さんは来るまいとたかをくくっていたところ、「30分後に患者さんがきます。」とコールあり。結局、入院となり指示を出して帰り着いたのが午前3時半であった。また、冷めた布団に潜り込んで束の間の安息に浸っていると午前7時前に通勤途中の交通事故の患者さんが来院し呼び出される。レントゲンを撮り、処置をしていたら午前8時が回ってしまった。今日は松原診療所に行く日だったので、後の処置を整形外科K川医師に任せて遅れて出かけた。一昨日の雪がまだ所々残っており安全運転で行く。途中で、トラックが脱輪して渋滞を作っていた。このままでは松原診療所によけいに遅れてしまうと決心し、旧道の峠道を越えることにした。旧道はさらに雪が残っており、ガードレールもないし路面のアスファルトも所々ないので結構怖い。それでも無事に松原診療所にたどり着き、診察を始める。ところが、診ても診ても患者さんが減らない。インフルエンザが流行し始めたせいだ。それどころか、待合室に座りきれないほどの患者さんが居る。今日だけで松原区の10%の人が診療所に来ている。終わったのは午後1時であった。睡眠不足の体にインフルエンザウイルスを一杯浴びた。いつもは近くのTいや旅館(名物猿料理の宿)で昼食になるのだが、旅館の小母ちゃんもインフルエンザで寝込んでいて今日は食事抜きである。こんな日に限って帰り道に往診に立ち寄る約束をしていたことを後悔しながらも、予定通り往診もして、病院に2時過ぎにたどり着く。帰りに買ったSパーの弁当を事務室に置いたまま、外来で約束していた患者さんの処置をする。20時間ぶりの食い物である弁当を5分で食べて病棟回診を始める。
 たぶん、数日後にインフルエンザになると思うが、それは労災だと思うのだが・・

1月9日(土)雪
 朝6時半に起床した。何を隠そう、今日・明日、病院の当直なのである。雪が降っているので帰れないかも知れない、と顔は笑いながら高知市内の某ホテルを出発。高度が上がるに連れて白い物が見え始め、梼原の手前の東津野村では道路に雪があり、ノロノロ運転となる。それでも8時45分には病院に到着。S田医師に迷惑をかけることなく無事当直に入る。ちぇっ。

1月8日(金)雪
 この冬初めての雪が降った。寒いのは苦手である。病院の軒先にも氷柱が出来ている。
 この雪の降る中、高知出張に出た。地元の民放TV局K知放送の報道部S岡部長のお招きである。報道部の勉強会で介護保険の話をしてくれとのことである。夕方、高知に出て、K知放送の食堂で腹ごなしをする。約1時間半の勉強会であった。報道部といえば、アナウンサーのお姉さんが居るかと思ったら、「今日は、別のところで送別会があってアナウンサーはそっちへ行ってます。」とのこと。S岡部長、そういう大事な事は、もっと早く言ってくれないと・・・結局、懇親会で酒を呑み、歌いに行き、ホテルに帰り着いたのは、真夜中だった。

1月4日(月)晴れ
 何とか、年末年始が過ぎ去り、今日から平常営業である。今日は、松原診療所に出張診療の日であるが、事務長に「年始は患者が殆ど来ませんから、仕事始め式に出て、10時から診察にしましょう」言われていた。まず、病院に行って入院患者を診ることにする。ところが受け持ちの患者さんの様子がおかしく、緊急処置をしたりしてバタバタして仕事始め式に出られなかった。松原診療所に着くと、待合室には患者さんが一杯居た。12時45分まで診察がかかり、その後、往診に出かけた。事務長に騙された。

1月2日(土)晴れ
 昨日から、実家に帰っておせち料理を食べているので胃がもたれ気味である。テレビもワンパターンであまり面白くもない。早く、平常に戻って欲しい。

1月1日(金)晴れ

新年明けましておめでとうございます。

 1999年である。今年は、7月に恐怖の大魔王が降ってくる予定の年である。それでもおめでとうございます。よくわからないけど新年はおめでたい。
 ときどき、20世紀最後の年だと言っている人があるが、それは来年である。梼原町の町会議員であるN宮さんもこの手の人で、先日の町議会で「20世紀最後の予算編成にどういう考えを持っているか、各課長の意見を聞く」という質問をした。私もあらかじめ回答を求められたが、来年の事なんて、、ねえ。


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