働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

2月28日(金)晴れのち雨
 今日は動注リザーバー留置で<阿波ちゃん>してしまった。<阿波ちゃんする>とは、(1)胸肩峰動脈の穿刺に失敗すること (2)アンスロンのカテ先をつめるフラワーコイルを飛ばしてしまうこと (3)カテを強く結紮しすぎて内腔をつぶしてしまうこと、の3通りの意味があるが、今日は(1)であった。

2月26日(水)雨
 M田Y多佳医師の妻は昨晩、寝言で「ああ、お腹がすいた」と一晩中いい続けたらしい。

2月25日(火)晴れ
 今日の血管造影で、どうしても選択的に細径カテーテルが入らず、我々が2時間やったところでギブアップし、M田S二郎先生にバトンタッチしたら20分で5.5FrのRLGカテーテルを入れてしまった。実力差を見せつけられてちょっとアンニュイになる。M田S二郎先生曰く、「第4世代よりも第2世代の抗生物質の方がいいことがわかったろう!新しけりゃいいってもんじゃないぞ」我々はMRSAだろうか?

2月23日(日)晴れ
 午前2時半に起床してHale-Bopp彗星を見に出かけた。月明かりがあるのであまり好条件ではないが、先週天気が良くなかったので見損ねていた。物部川河口近くの海岸に望遠鏡を据えたが、まわりはアベックとおぼしき車ばかり。午前4時にはパトカーがやってきた。ともかく、Hale-Bopp彗星の姿を堪能した。月明かりの中でも尾が見えるから、条件がよかったらもっと立派な尾が見えただろう。2週間後の新月の頃にもう一度見たいと思いながらフィルム一本撮り終わって家に帰った。

2月22日(土)晴れ
 はっくしょんっ! 花粉が飛び出したらしい。杉の木が嫌いだ。

2月20日(木)晴れ
 今日は朝から、こじゃんと仕事があった。昨日から予定通り仕事がはけるかどうか不安だったが、どうにか終わった。肝胆膵カンファレンスにいくと消化器科の学会土産とおぼしき「利休まんじゅう」があり、外科のH見部長は食べ過ぎて気分が悪くなっていた。なぜか、赤飯がおいてあったが、謎なので手を付けなかった。だれか、めでたかったのだろうか? 消化器科T崎医師は遠慮なく食べていた。

2月19日(水)晴れ
 3歳の長女の最近の口癖は「お父さん、今日は来るかな?」だそうである。娘から見ると私は時々遊びに来ていると思えるのであろうか? 娘よ、世間体が悪いので保育園で言うのはやめてくれ。

2月17日(月)晴れ
 今朝、事務から連絡があり、今年の6月からブラジル人留学生が放射線科にやってくることが知らされた。36歳独身女性で放射線医学と超音波医学をしている医学博士らしい。履歴書のFAXのコピーが廻ってきていたが、顔写真は黒く潰れており、長髪であるらしいことしかわからなかった。まるでメキシコから来るプロレスラーのようなレアな情報である。ともかく、オーベン(指導医)は独身のN田医師に決定。しかも、忘年会の芸はサンバで決まりだという話まで出ている。楽しみである。
 今日は、動注リザーバーの埋設を執刀させてもらった。以前より、スムースに行えるようになってきて嬉しい!しかし、まだまだ修行が必要であると感じている。ううん、IVRistの道は遠く険しい。
 夕方、久しぶりに医局会に出席した。最近の市民運動の盛り上がりの影響だろうが、出張旅費やタクシーチケットなどの公金を使う時の手続きが煩雑になるらしく、事務屋さん対医師の不毛な論争が面白かった。また、当直室の蒲団や浄水器がもう何年も交換されていない事実が問題となった。24時間風呂よりもよっぽどレジオネラ菌が居そうである。
 M田Y多佳医師は歯の詰め物がはずれて飲み込んでしまった。

2月16日(日)晴れのち曇り
 内科のN村医長はゲームの鬼である。N村医長は休日も朝から中央病院のゲームセンターであるへき地医療センターで座っている。N村医長がへき地医療センターにいることは有名らしく、院内ポケットベルのスイッチを切っていても病棟から電話がかかってくる。昨日、MacPipesの公式記録マシンでの記録が消化器科の研修医T医師によって更新されているのを発見したN村医長は、根性で記録をさらに更新した。「見たか、オーベンの力!なめんなよ!」と捨てぜりふを残してへき地医療センターを後にしたN村医長の背中は満足そうだった。

2月14日(金)晴れのち曇り
 今日はバレンタインデーである。バレンタインデーはチョコレートを山ほどもらってしまうのでうっとうしい。こんな行事は早くやめて欲しいものだ・・と一度言ってみたいと思っていたが、今年はそうなった。紙袋一杯のチョコレートを持って帰った。顔が広いのが良いことなのか悪いことなのか、ともかく3月14日が心配である。
 M田S二郎先生はチョコレートをたくさんもらってしまい、一度家に帰って再び車で取りに返ってくるほどだった。チョコレートはシュウ酸を多く含むため尿路結石が再発したりしないか心配である。

2月13日(木)晴れ
 M田S二郎先生は風邪を引かれ、しんどいようだ。M田Y多佳医師嘔吐下痢のため体調がすぐないようだった。

2月11日(火)晴れときどき雪
 今日は用事があって大月町に出かけた。大月病院で用事を済ませたあと、M場医師とその娘のM子ちゃん、T中医師と私とでベルリーフ大月に食事に行った。
 往復7時間の車の運転は疲れた。ちょっと腰が・・

2月9日(日)晴れ
 昨晩懇親を深めすぎたので寝不足で少々疲れ気味である。
 午前中の研究会ではN田医師も発表がつつがなく終わり、20個ものドーナッツを返さなくて良いように質問にも立った。M田S二郎先生は昨日目を付けていた大骨董市でバッタものの腕時計を買った。
 昼食後、松江駅で土産(どじょうすくいまんじゅう)を買って揺れる電車に乗った。同じ車両に乗っていた女子高生は嘔吐した。高知に着いたのは夜7時を過ぎていた。明日は仕事である。

2月8日(土)雨のち晴れ
 松江市で中四の血管造影IVR研究会があり、発表に出かけた。朝7時に高知駅発のバスに乗り岡山でJRに乗り継いで松江まで行く。片道6時間の旅である。M田Y多佳医師に留守番をお願いしてM田S二郎先生とN田医師と共に出かけた。朝御飯代わりに岡山駅前でミスタードーナッツをM田S二郎先生に奢ってもらった。しかし、研究会で一日一つは質問に立ち、達成できなかった場合5倍にして返すという条件付きである。N田医師と私で計4個のドーナッツを奢ってもらったので最大20個返すことになる。
 松江までの電車は振り子式のためよく揺れる。気持ちが悪くなった。松江駅について駅周辺で昼飯でも食べようかと思ったが、良さそうなところが見つからず寂しかった。そのまま会場に行き研究会に出席し私はつつがなく発表を済ませ、M田S二郎先生は同じ会館内の別のフロアーで開催していた怪しげな大骨董市がお気に召したようだ。
 懇親会で金沢のM井助教授にサインを頂いた。懇親会が終わってから川崎医大、香川医大、山口大学の先生方と懇親を深めに二次会に出かけた。二次会が終わってからさらに懇親を深めるために三次会に出かけた。M田S二郎先生は大切な用事がホテルであるので三次会へは行かず、ローソンで肉まんを買ってホテルに帰り、たまたま出くわした島根医大S村教授の誘いも振り切られたようだ。

2月7日(金)晴れ
 来月末にリザーバー研究会が東京である。私は引越の予定なので残念ながら出席できない。N田医師はお留守番。M田S二郎先生とM田Y多佳医師と放射線科外来ナースたちが出席する予定である。道案内をさせる目的もあろうかと思うが、ナースたちはM田Y多佳医師に一緒に行くように勧めるが、M田Y多佳医師は、自由に行動したいらしく独りでいくと言い張っている。
 本日、PTCD5例目に成功した。成功したときに、M田S二郎先生の指揮のもと、消化器科医師団に拍手してもらったが、患者さんはきょとんとしていた。消化器科T崎医師は前厄らしい。

2月6日(木)晴れ時々曇り
 今週末の中四血管造影IVR研究会にM田S二郎先生と私とN田医師の三人で出かける。私とN田医師は演題発表があるので、今日は発表の予行演習を肝胆膵カンファレンスの時におこなった。来週末の消化器内視鏡学会中四地方会で発表する後輩のS田L医師(独身女医)も一緒におこなった。私とN田医師の発表は若干の手直しがあった。S田医師の発表は「総胆管結石を合併した膵体尾部欠損症の一例」という内容だったが、膵体尾部欠損症の分類のスライドで膵短小症という用語が出てきた。カンファレンス参加の各医師より、「短小という言葉は差別用語だ」とか「自分の事を言われているようで嫌だ」との非難が相次いだ。
 外来のエコー様が不慮の事故で入院してしまった。

2月5日(水)晴れのち曇り
 私のゲストブックに神戸大学放射線科の山路滋先生から書き込みがあった。山路先生はM田Y多佳医師の医局の2年先輩になる。M田Y多佳医師夫婦の噂は神戸でも有名らしく、事実であることが確認できて非常に感動していただいたようだ。呉々もK野教授の耳には入らないように陰ながら切に願うばかりである。神戸大の先生方へM田Y多佳医師の名誉のために申し上げますが、正月にK野教授宅への年始の御挨拶に妻が同行しなかったのは、決して夫婦仲は悪いわけでなく、体調が悪かったためです。M田Y多佳医師の家庭は実に円満です。

2月4日(火)晴れ
 M田S二郎先生の御指導のお陰を持ちましてPTCD4例目に成功しました。4mmの胆管にone step 法で成功しました。(単にone puncture access set とone step を聞き間違えてしまったのだけど・・)そろそろbeginner's luck もなくなるころだろう・・次が恐い。
 仕事の後、O谷先生とK松先生と放射線科4人の計6人で「イノシシを語る会」が催された。PTCDの後はビールがうまい。イノシシもシカ肉も美味しかった。

2月3日(月)晴れ
 今日から、放射線科は平常営業である。M田Y多佳医師はグアム行きの4泊5日のうち、妻と3回喧嘩したらしい。よく飽きないものである。喧嘩の原因はドッグレースに9ドル(1,200円相当)をつぎこんだことらしい。まあ、以前、自転車の空気入れが原因で喧嘩したこともある夫婦であるから、喧嘩の原因としてはまともな方だろうか?私とN田医師が日本で働いているときに何をやっているのだか・・・

2月2日(日)曇りのち雨
 長女と二人でキタムラカメラに出かけてアルバム、スライドファイル、ISO3200のフィルムを買ってくる。帰りに病院によると医局でグアム帰りのM田S二郎先生が仕事をされていた。放射線科は明日から平常営業である。ああよかった。
 鳥取の大学の時の同級生からカニが送られてきた。どうして?と思って電話をした。何でも、ロシアのタンカーのナホトカ号の重油流出事故でカニの売れ行きが良くないらしい。実際は深いところにいるカニには影響はないらしいのだが、値段が下がっているので送る気になったらしい。御礼に鰹のタタキを送る約束をして電話を切った。今週末の松江行きが楽しみになった。

2月1日(土)晴れ
 今日は長女を連れて近くの小児科に出かけた。私も田舎医者だった頃は小児科を標榜していたような気がするが・・・ 長女は一時のインフルエンザからすっかり立ち直ったが、中耳炎になっているらしく、もう一度見せに来いと言われたのである。診察待ちの間、長女は妻に任せて、私は次女と車のなかで昼寝をした。たっぷり1時間半は待たされた。


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