働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

2月28日(木)曇り
 夜明けとともに高知空港に向かう。福岡行きのJAC便に乗る。この便は、YS-11である。20年前は、大阪にも東京にも飛んでいた飛行機である。滑走路を歩いて搭乗する。子供の時に初めて見たYS-11はもうちょっと大きい気がしたが、今、見ると命を預けるのが不安なくらい小さい機体である。さぞかし、空席の目立つ便だろうと思っていたら、予想に反して満席である。隣に座っていた人は、プロ仕様のカメラを持っていた。手荷物引渡し場でテレビカメラを受け取っている人が居た。なるほど、福岡ダイエーホークスのキャンプの取材に来ていた報道の人だね。
 空港で明太子を買い付け、クール宅急便で発送した後、ご招待頂いた福岡県国保連合会に向う。地域保健婦研究協議会研修会で講師を引き受けたのである。調子に乗って話しすぎて時間を超過して迷惑をかけた。ちょっと笑いをとることを意識しすぎたか? 会議終了後、飲みに出かける前に病院に電話を入れる。緊急搬送が1件あったとのこと。なんとかもう一日頑張ってチョウダイ。それにしても福岡県の国保連合会の人々には何から何までお世話になりました。楽しい一日でした。

2月27日(水)晴れ
 明日から、2泊3日で出張である。M場副院長が病気療養中であり、留守が不安である。今日のうちに処理できることは出来る限り済ませたが、救急の事態があれば、残されたI井医師とO川医師が心配である。しかし、こういう試練も必要な事であると自分で言い聞かせて後ろ髪を引かれる思いで出かけることになる。

2月25日(月)晴れ
 今日からM場医師が休みである。こういうときに限って、救急搬送が2件あり、自宅での死体検案が1件ある。午後からは、梼原町国保運営協議会に出席。開いた口がふさがらないような議論が交わされる。3月議会では、大論陣をしないとダメだな・・と実感。

2月22日(金)晴れ
 夕べは、急患が相次ぎ、当直のM場医師は疲労困憊の様子である。前々より体調がすぐれなかったこともあり、ちょっとまとめて休みを取ってもらうことになった。
 午後には、県庁の長寿社会政策課I本氏が、シンクタンクの人を連れて来院。何でも、高知県の医療計画を策定するのに、シンクタンクに依頼していろいろ調査しているらしい。その中であちこちにヒアリングに行っているのだとか。全くの私見でいいとのことであったので、視点が違うことを強くアピールする。ただ、こんなことを言っても文章にすることは出来ないだろうな・・と思う。ヒアリングが終わって、帰る時、エレベータのスイッチを押すI本氏を窘め、階段に誘導。だって、経営努力も教えて欲しいって言ったじゃないか?

2月21日(木)曇り
 今日は、特別養護老人ホームFじの家の幹部職員と交流会をした。M場医師は、近頃体調がすぐれず、当直を遠ざかっていたのだが、今日は久しぶりの当直であった。交流会にも出席したものの、急患がありすぐ呼び戻された。もともとノンアルコールですぐ引き上げる予定だったのではあるが、不幸である。

2月19日(火)雪
 また、火曜日に雪が降った。火曜日に来る整形外科T田医師への嫌がらせか?

2月16日(土)晴れ
 昨晩、夜1時すぎに病棟に呼ばれ、ちょっと遅い朝の目覚めになった。病棟回診のあと、不調の院内LANのコンピュータどもの調整をする。ネットワークプリンタの設定も取扱説明書を見ながら、細かく設定する。あ、そうか、こうやって設定するのだったのね。説明書も見ずに適当にやっていた自分に反省。
 午後から、娘を連れて、30年来の馴染みの散髪屋に髪を切りにいく。散髪屋の店主は娘に会うのは初めてだったのだが、親に似て目が大きいと大ウケ。

2月15日(金)晴れ
 西武デパートが、高知店と、宇都宮店の年内閉店を決定したそうである。高知西武は、私が幼少の頃は、『とでん西武』と称していた。高知の路面電車やバスなどの経営をしている『土佐電気鉄道株式会社』(略称:土電)が播磨屋橋に開店した『とでん会館』がその前身であったためである。何時からだったか、西武が土電株を買い取り、『とでん西武』は『高知西武』に改名したのである。だが、昔からの高知市民にとっては、言い馴れた『西武』ではなく『とでん』の方が標準語であった。
 大学時代、栃木に住んでいた私は、友達と宇都宮西武へ行くのに、「おい『とでん』へ行こうぜ。」と言ってしまい、恥ずかしい思いをした。くしくも、その宇都宮店も閉店の憂き目に遭うとは、因果なものである。

2月14日(木)晴れ
 義理の集まる日。一ヵ月後に予定される義理を返す日を思うたびに憂鬱な気持ちになる。家に持ち帰り、子供たちが喜ぶのを見ても虚しさがこみ上げる。ああ、学生時代のあのドキドキ感は、一体どこへ行ってしまったのか。

2月13日(水)晴れ
 今日は、全国自治体病院協議会高知県支部会の臨時総会であった。午後から、高知市に出張である。2年に1回の役員改選があった。結局のところ、全役員が再選ということで、私も監事をもう2年仰せつかった。あと2年後の平成16年度にK立C央病院K知S民病院の統合が予定されているされるだけに、異様な雰囲気の話し合いとなった。

2月9日(土)晴れ
 まだ体調はすっきりしないものの、高知に出張。高知県国保地域医療学会があり、当院のH薬剤師、M場医師が演題発表もあり、また、国保診療施設協議会のI井会長も来高の予定であり、休む訳にはいかないのである。朝、病棟のナースステーションで抗生物質を点滴しながらカルテを見て、その後、病棟回診。7時40分には病院を出発。午前中の一般演題も無事に終わり、午後からのシンポジウムも和やかに進む。突然、助言者のI井会長が一言、「このあたり、先進地の梼原や大月は、どうなっとるかな?梼原の阿波谷君おるか?」 ・・ほら来た。無理して来てて正解。

2月8日(金)曇り
 院内のPHSにみんなまだ馴染んでいない。やっぱり、「○○先生はそっちへ行っていませんか?」と内線で電話をしている。PHSでコールしたらいいのに・・。今日は、M場医師が、外来婦長をコールするのに、PHS番号が分からず、番号一覧表がないかと外来で聞いていた。PHSのメモリの電話帳の呼び出し方を教えていると、当の外来婦長が番号一覧表を持ってきてくれた。意味ナーシ。
 CRPは7.5mg/dlまで改善し随分楽になる。しかし、血液検査もこのくらいにしておかないと、支払基金で査定されそうである。

2月6日(水)晴れ
 まだ、喉は痛いが、何とか仕事に復帰。しかし、朝夕の抗生物質の点滴は続けている。CRPはまだ16.5mg/dlである。丁度、レセプトの時期であり、目の前には遠慮なく、仕事が積まれる。多くの患者さんに「先生がダウンしたって聞いたけど、もう大丈夫なの?」って聞かれる。広報無線放送で放送したのではないかと思うくらいにみんなが知っていた。

2月5日(火)晴れ
 今朝の午前3時を最後に、発熱が38度に達しなくなった。随分、楽になる。37度台前半の体温だったら、背中に羽が生えたように感じるくらい体が軽い。明日から仕事に復帰するゾ。

2月4日(月)晴れ
 悪寒戦慄は全く改善なし。仕事を休むことになった。今日も点滴をした。午前中の採血でCRP(急性反応性蛋白)は17.7mg/dl(正常<0.3mg/dl)であった。この調子では今週一杯くらいかかりそうである。午後から、明日も休むために明日の外来予約の患者さんのお断りを事務に依頼する。頚部のリンパ腺がゴリゴリに腫れている事に気づく。ひょっとして、普通の扁桃腺炎でなく、血液系の変な病気なのではないか? 熱にうなされる頭をK立C央病院のT橋院長の姿がよぎる。そ、それだけはご勘弁を・・。

2月3日(日)晴れ
 本来、今日は当直だったのだが、急遽I井医師と代わってもらった。昨日からの6時間後との悪寒戦慄は全く改善ないばかりか、喉の痛みがひどい。ジュースを飲んだだけで喉が裂けるように痛いのである。鏡に向って口を開けてみると、扁桃腺が真っ白になるくらい膿がついて腫れ上がっていた。午後から、病院に行き抗生物質の点滴をする。
 というわけで、今日、OAだった「大二郎'sワールド」も聞けずじまい。

2月2日(土)晴れ
 どうも機能の午後から熱っぽいと思っていたら、夜中から悪寒戦慄となった。夜中にガタガタ震えながら、なんとか階下にたどり着き、解熱薬を飲み、また階段を這い上がって布団に倒れこむ。これは、流行のインフルエンザとすっかり信じてしまう。病院に行き、インフルエンザの薬を処方してもらい、また家に帰りダウン。しかし、その後も6時間おきに悪寒戦慄とともに39度2-3分の発熱。体調最悪。

2月1日(金)曇り
 先月の、娘の宿題の漢字クイズの答えについて、M田S二郎師匠から問い合わせを頂いた。そうかあ、結構、みんな悩んでるんだろうな・・。というわけで、答えを・・。
「とって、かけて、きるものはなあに?ひとりがきると、もうひとりもきるもの。」という二文字の熟語。→(答)『電話』
「肉も骨もあるのに、からっぽだといわれるものはなあに?」という一文字の漢字。→(答)『体』


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