12月28日(土)晴れ
仕事が休みなので、一ヶ月前の入院中にバージョンアップしていた予約外来システムVer.3.01をサーバーに移植した。平日では、運用中のシステムを止めることが出来ないので、こういう日の作業になってしまうのである。新しいシステムは、開くファイル数も少なく、また、印刷フォーマットの改善、医師の異動などのメインテナンスが容易になったことが主な変更点である。大いなる自己満足。
夜は画像伝送ファイルをCD-Rに焼く。これも年末の風物詩。風呂上りに、腹を見たら、手術の傷から糸が見えたので、自分で抜糸する。
12月27日(金)曇り
今日は、十二指腸ステントにチャレンジする。昨晩の夢にまで出てきて、難しさはシミュレートしていたけど・・・やっぱり失敗。日を替えて、違う方法で試してみることになる。ちきしょー、くやしー。・・で仕事納め。
12月25日(水)曇り
世間ではクリスマスである。病院ではそんな浮かれたようなことはなく、一昨日の当直で鎖骨骨折と診断して手術予定になっていた患者さんが腹痛を訴えて来院。胆石により急性胆嚢炎になっていた。経皮経肝胆嚢ドレナージとなる。今日もバタバタ・・。
12月23日(月)晴れ
当直の空き時間を利用して、褥創患者さんの画像付きデータベースを作成した。褥創対策委員のK西看護師の依頼である。褥創の治療経過が一目で分るなかなかの出来である。K西さん、当然、完成記念パーティーには招待してくれるがやろうね?
12月21日(土)雨
二日酔いで目が醒めた。回診を済ませ、O月病院に出張。PTEG(経皮経食道的胃管挿入術)のお手伝いである。10年ぶりに会う看護婦さんもいて懐かしかった。お礼にモイカの干物を貰った。
12月20日(金)曇り
役場吏員会・議会の忘年会である。160人規模の梼原町の最大の忘年会である。毎年のとおり、今年も病院の芸能の独壇場であった。おひねりが飛び交い、総額5万円近く集まった。打ち上げに使われることであろう。
ところで、今日から高知県土木部道路課のホームページで道路画像情報として梼原町・東津野村の国道197号が閲覧できるようになった。30分おきに更新するようである。須崎市や葉山村などから通勤している職員は、この時期つねに雪道の心配をしているだけに、非常に役立つシステムである。高知県土木部道路課のみなさん、ありがとう!
12月19日(木)小雨
午後から、自治体病院協議会高知県支部の研修会に出かけた。リスクマネージメントの研修会なので、リスクマネージメント委員会のメンバーであるM崎医師、N村薬剤師、I田看護師、U田看護師といっしょに行くことになった。私は、介護認定審査会の研修会もあったので、一時間あまりで退席した。会の最後で、県立C央病院のH見院長に「今日は、山奥の梼原病院からも参加していただいて・・・」とのご挨拶を頂いたとかで、職員が傷ついていた。私の方の会も終わり、待ち合わせて一緒に帰ることになった。夕方の混雑した土佐道路を西進していると、突然の渋滞が発生。運転手のM崎医師が道路の真ん中で人が倒れているのを発見。交通事故である。車を降りて駆けつけると、偶然近くで弁当を買っていた救急隊員が心臓マッサージを始めていた。倒れているのは10歳くらいの男の子で、既に心肺停止状態である。医師であることを告げて、いっしょに蘇生を開始した。間もなく救急車が到着した。救急車内から、挿管セットを出してもらい、路上で気管内挿管。人工呼吸をしながら、行きがかり上、一緒に救急車に乗って、救命救急センターに搬送。救急時の対応としては、最善が尽くされているのだが、翌日の朝刊でその子が間もなく死亡したことを知った。私も同年代の子の親であり、心の痛む事件であった。
12月18日(水)くもり
病院の忘年会でデジカメを紛失した。朝起きてみると何処にも見当たらない。2次会、3次会で行ったところに電話もかけてみたが、忘れてはいないようである。もう諦めかけていたが、今日になって支援センターの私の椅子の上にポンと置かれていた。誰が持って来てくれたのかも、どこにあったのかも不明である。不思議なこともあるものである。
12月14日(土)晴れ
高知諸診医会・地域医療振興協会高知県支部の勉強会&忘年会で高知に行く。二日酔いが酷い。昼ご飯にY野屋の牛丼大盛(ツユダク)を食べたら吐きそうになった。勉強会のあと忘年会に参加するが昨日の疲れを引きずっており、一次会で退散。
12月13日(金)晴れ
病院の忘年会が開催された。今年は、N子、C恵子の飯母小町・大町ペアが幹事であった。飯母とは、町内の部落の名前で、梼原では結構住宅の密集しているところである。幹事の特権で、忘年会はその飯母の集会所で行われた。景品をかけてのゲーム大会は異様な盛り上がりを見せる。パンツをかぶっている人、にごり酒をコップに注いでカルピスのごとく飲んでいる人、セーラー服で踊っている人、座りながら吐く人。もう無茶苦茶。私は、トイレで用をたしていたら、K西看護師に戸を開けられた。2次会の記憶なし。
12月11日(水)曇り
長女のクラスで、サンタが本当にいるか?の論争になったそうである。
サンタがいる派と、サンタはいなくて親がプレゼントをおいているんだ派に分かれての論争は決着が付かず、担任のT橋先生に相談したそうだ。先生の説明は、「いい子には、サンタさんがプレゼントを持ってきます、そうでない子にはお父さん、お母さんがプレゼントをくれるの。」とのよくわからない?説明に
一同、納得をしたそうです。長女は家に帰ってきて、妻に「お父さん、お母さんは、私の枕元にこっそりプレゼントを置いたことがある?」と真剣に問いただし、妻も大真面目に「いいえ、そんなことは一回もないよ。」と答えたそうです。「そうかああ、やっぱりサンタはいるんだあ。」と納得していたようです。いつになったら気が付くのか?
12月10日(火)雪
雪が積もった。雪が積もったら、予約の患者さんもキャンセルになるだろうとタカをくくっていたら、一人もキャンセルなし。東京ではちょっとの積雪で大騒ぎで交通網も麻痺しているのに、さすが、梼原の人は寒冷地仕様である。
12月8日(日)曇り
今日は休みのはず・・であったが、職員採用試験の面接をした。午後からもレセプトの点検作業をしてもう少しで終わり・・というときに外来に重症の患者さんが運ばれてくる。当直のM崎先生の手伝いをして・・・はあ、休みたい。
12月7日(土)晴れ
今日は病み上がりで当直である。相棒のY田看護師は初めての休日勤務であった。看護師さんが始めて休日当番をするときは、だいたい事件が起こるのであるが、今日は夕方まで静かな土曜日。ところが、夕方に入院があるとともに、老人ホームに入所している老人が重症の脳出血を発症。緊急に搬送となる。てんてこ舞いである。ね、婦長さん、酷い目に遭ったでしょ。
12月4日(水)晴れ
今日から、仕事復帰である。いつものとおり、医大の学生が実習にやって来た。朝のオリエンテーションをして、外来に連れて行っていると、学生から質問。「先生は、先週、中央病院で手術を受けていませんでした?」お? 聞くと、この学生諸君は、先週、県立中央病院外科で臨床実習を受けており、私の手術にも入っていたのだとか・・。彼らは、来週の梼原での実習は大丈夫だろうか?と密かに心配していたようである。大丈夫だもんね。術後5日目でもこの通り。夜は民生委員さんたちとアルコール消毒(いわゆる忘年会)。
12月2日(月)晴れ
今日は、予定通り、めでたく退院である。迎えに来た妻子と一緒に病院の食堂で昼食をとる。食券売りのオバちゃんに「まあ、阿波谷先生、お久しぶり」と声をかけられた。5年以上行っていないのに良く覚えてくださっており感激である。「まあ、先生、お元気でしたか?」と聞かれ、「そ、それが、入院してまして、今、退院したばかりなんです・・。」
梼原に帰って病院に顔を出すと、あまりにすぐ帰ってきたので職員がびっくりしていた。私宛の書類、郵便物がダンボール一箱あった。それを整理するだけで、3時間かかってしまった。
12月1日(日)晴れ
昨日と比べると、痛みも随分楽である。背中を伸ばした状態で歩くことも出来るようになった。咳をしたり、笑ったりしたら痛い。「笑っていいとも!増刊号」を見ていると、き、傷に響くぅぅ。午後から、梼原町の人々が次々とお見舞いに来てくれる。