働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

4月28日(月)晴れ
 梼原町議会便りが回覧板で廻ってきた。暇なので読んでいると結構面白い。某議員の町長に対する質問(一部抜粋)「廃校になった旧四万川小学校の体育館のガラス窓が4枚割れていると聞く。しかも、昨年12月から修理されていないとの報告を受けている。時代の流れで使わなくなったものとはいえ、大事にしていくために修繕費を予算として計上するべきではないか?」のどかな町である。

4月27日(日)晴れのち雨
 長女に新しい蒲団を買った。早速夕べから使ったら今朝、寝小便をしていた。妻は怒っていた。

4月25日(金)晴れ
 外来にS元はきもの店のおばさんがやってきた。このおばさん、高知県立中央病院消化器科で研修中のK上医師のおばあさんである。
 おばさん「まあ、先生、久しぶり!」(会うのは一年ぶりである)
 私「ほんま、久しぶりやね。今日はどうしたがぞね?」
 おばさん「ちょっと、風邪引いたがよ。それはそうと、子供はいくつになるぞね?次の子はできたかね?」
 私「上の子は3つになって保育園に行きゆう。去年、下に女の子ができたがよ。それはそうと風邪は・・」
 おばさん「んまあ、はや保育園に行きゆうがかね?下の子も見せてもらわないかんねえ。」
 私「それで風邪は・・」
 おばさん「うちの孫(K上医師)も去年は島におったき子供も作れんかったけど、今年は曾孫の顔が見れるかねえ?」
 私「それで風邪は・・」
 おばさん「S田先生とこは次の子生まれたかね?」(延々と続く)
 結局、長い世間話の末、風邪薬を出したが、これだけ喋れたらきっと元気なのだろう。

4月22日(火)雨
 今日は、後輩のS田医師に第2子が誕生した。母子ともに元気なので、非常におめでたい。ちなみに長女である。梼原町在住の医者で男の子を作った者はいないというジンクスは生きている。ちなみに、私も2人の娘の父親である。前のO院長は3人の娘、宿毛病院に行ったH野医師は娘が一人、自治医大大宮医療センターに行ったK崎医師は2人の娘の父親だった。
 ところで、過疎対策のため、梼原町の住人が出産すると10万円のお祝い金が出る。第3子は30万円である。がんばれS田医師!
 M田S二郎先生のホームページのゲストブックを覗くと、K戸大学放射線医学教室のM本S一先生(その筋では結構有名)が書き込みしていた。げげ、このページで紹介しているM田Y多佳医師の御本家ではないですか!M田Y多佳医師は御本家にこちらでの所業が漏れることを極度に恐れていた。M田S二郎先生のページからリンクしているこのページにもM本S一先生が来てたかも? まずい・・ Y多佳先生、ごめん、許して。

4月21日(月)雨
 今日から一週間のうち5日当直もしくは待機である。早速今日は、普段1〜2人程度の時間外患者が7人訪れ、うち1人は救急車で来院。うち2人は緊急入院となった。病床が一杯になってしまった。病床のやりくりが大変だあ。
 今日は、全結腸ファイバーが10分で終了し、内視鏡的胃瘻造設術の7例目を成功させたので、結構気分のいい一日だった。

4月18日(金)曇り
 今日は、嘱託をしている特別養護老人ホームに診察に出かけた。2ヶ月前から前胸部が痛いと言っているおじいさんの話。大きな呼吸をすると痛い、という訴えは肋骨の痛みのよう。しかし、レントゲンは異常なし。しかも、経過を見ていると場所があちこちに変わっていく。あまり大したことはないのかも知れないと思いつつ、○チック×ノールという痛み止めの塗り薬を処方している。ところがおじいさん、「あの薬を塗ると痛いんじゃが・・」と言う。「そしたら塗るの止めときましょうか?」と聞くと、「そうじゃな、痛くなくなったら塗るとするか。」と答えた。??? おじいさん、あんた何か間違っている、と思う。

4月16日(水)曇り
 今日は、梼原病院の歓送迎会である。梼原病院は、酒豪ぞろいなので、いつも激しい宴会が催される。泡盛の一気飲みで結構犠牲者が出た。Y本名誉院長は、今まで酔って色々な悪行を繰り返してきているため、宴会では敬遠されることが多く、時々寂しさを漂わせている。今日も、二次会には連れていってもらえず、旅館へ連行されて行った。可哀想である。

4月14日(月)晴れ
 梼原病院の元掃除婦のおばさんが患者でやってきた。顔面神経マヒである。このおばさんは、モップをもったままズルズル引っ張って歩くので、通ったあとに一本の線が残り、ナメクジと呼ばれていた。愛すべきおばさん、早く元気になって下さい。
 その夜、T南病院のY田院長が検診の為、雲の上ホテルにやってこられた。官民接待をした。

4月13日(日)晴れ
 色々、雑用もあり県立中央病院に出かけた。秘密の方法で鍵を開け、放射線科に忍び込んでいたが、隣の消化器科のO岡看護婦に怪しい目で見られてしまった。M田S二郎先生に色々な話を伺い、サンプルでメーカーが持ってきているカテーテル類をもらって帰った。メーカーにとって中央病院でカテーテルを購入してもらうことは宣伝効果にもなるであろうし、消費する数も多いので、かなり力を入れている。私自身、メーカーが再々やってきて「使って頂けましたでしょう?」などと聞かれることもしばしばあった。しかし、そのサンプルをもらってきてしまった。メーカーの皆様ごめんなさい。

4月12日(土)晴れ
 中央病院を去るとき「梼原病院院長室に飾りますから・・」とお願いをしてM田S二郎先生に一筆書いて頂いた。色紙額も買い、飾る予定だったが、公費で購入している雑誌、書籍を置いておく書棚がないために、院長室は図書室に変わることになった。M田S二郎先生には申し訳ないが、図書室に飾らせてもらいます。院長室の本棚が病院で唯一空いているのだもの。

4月10日(木)曇り時々晴れ
 某パソコンショップEP高知のY岡君にCD-Rを注文していたが、当初、納期は一週間と言っていたのに全く連絡がない。まだ?とメールを書いたら、入荷の予定すら立たないほど全国的に品薄との返事であった。むむむ。

4月7日(月)曇り時々晴れ
 梼原病院に通院中のてんかん患者さんが、薬をネズミに食べられたとのことである。薬に歯型がついていたようである。てんかんの薬はネズミには強かったらしく、そのすぐ近くで死んでいたらしい。てんかんの薬=ネコイラズ?
 どうも梼原に来ると動物ネタばかりだなあ。

4月6日(日)雨のち曇り
 当直をしていたら、マムシに咬まれたという患者がやってきた。マムシはもう少し温かい時期に多いんだけどね・・・と半信半疑で診たら結構手が腫れている。手背に1cm間隔の歯型がついている。むむむ。本物みたい。処置した後、入院させたら、夕方には肘まで腫れて手が「ドラえもん状態」になっていた。

4月1日(火)晴れ
 梼原町内の神社で屋根板を一枚はずしたところ、上からムササビの赤ん坊が落ちてきた。まだ目も開いてなく、生後間もないようだ。なぜか、病院事務長が引き取り世話をすることになった。すっかり病院のアイドルになってしまった。生意気にちゃんとマントがある。猫用の哺乳ビンとミルクを使っているようだが、我が家の次女が飲む粉ミルクより高価であるらしい。
 医療機器メーカーでもある帝人から電話がかかってきた。梼原病院では帝人の骨塩定量装置であるボナライザーを使っている。帝人でホームページを公開することになり、その中で「あなたの町のボナライザー」というコーナーを作りたいので病院を紹介させてもらっても良いか?という問い合わせだった。別に良いけど、そのダサイ名前を何とかして欲しいものだ。


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