『 ザアカイさんの味方 』 

 

クリスマスが近づいたある日曜日の昼下がり、教会の一室で学生たちが、クリスマス祝会の出し物の準備をしています。

「あーあ、なんでクリスマスの出し物は毎年ザアカイさんの劇なの? なんか今年こそ、ちがうことやらない? ねえ、ルッちゃん」

「出た。ナオちゃんの決まり文句! 毎年一回は言うよね。でも結局、ザアカイ劇をやっちゃう」

「そうそう、ルッちゃんの言う通りよ。でも言わずにはいられないのよ、毎年」

「毎年って、いったいどれくらい続けてるんですか?」

「ははは、それを聞くと笑っちゃうよ。ゴトウ君は教会に来て間もないから知らないだろうけど、なんせ教会開拓以来三十数年っていう歴史あるザアカイ劇だからね、おいそれとはやめられない。うちのオヤジもやってたんだから」

「マキトのおやじさんだけやないで。ナオとこも、ルッちゃんとこもそう。この教会のクリスチャンホームの親たちはたいがいそうや。うちのおやじもようザアカイ役やってたもんやから、今年は誰がザアカイ役なんやって、けっこううるさかったりするねんで」

「ヨウジのお父さんのザアカイ役なら、迫力あったんじゃない? 税金取り立てはやっぱり大阪弁よね。『おまんら、なめたらあかんぜよー』とかさ」

「ナオ。それ大阪弁とちゃうで、言うとくけど」

「ま、とにかく、セリフや状況のマイナーチェンジは多少あったけど、大筋ではこの脚本で三十数年やってきたっていう、この教会の定番の出し物ってわけなんだ」

「へえ、すごいんですねえ。じゃあ、こんなこと言ったら怒られるかなあ・・・」

「なになに、何でも言ってみなよ。他の人はいないんだから誰も怒ったりしないよ、ねえ、ルッちゃん」

「そうね。それに何か新しい視点が加わったら、ちょっと脚本を書き換えられるかもしれないしね。ゴトウ君、言ってみてよ」

「じゃあ、ちょっと気になっていることがあって。この脚本によると、ザアカイさんって、イエスさまに出会って回心するまでは血も涙もない極悪人で守銭奴だったように書かれていますけど、本当にそうだったんですか?」

「ん? 本当にそうだったかって、なんでそう思ったんやろな?」

「あの、ぼくザアカイさんが出てくる聖書の箇所を読んでみたんです。確かルカの福音書の十九章一節から十節でしたよね。そこ以外にはザアカイさんは登場しない。で、この十節分の記事から、どうしてあんな脚本になるんだろうって、ふと疑問に思ったんです」

「たとえば、どんなところが?」

「そう、たとえば、幼い頃から背が低いのをバカにされて、コンプレックスのかたまりになって、バカにした人たちを見返すために取税人になって大金持ちになったけど、町中の人の嫌われ者で友だちもいなかったとか、税金を払えない家に押し入って、鬼のような顔で病人のふとんをはぎ取っていったとか、夜な夜な部屋の扉に鍵をおろしてランプの明かりで取り立ての勘定をして、余計に取り立てた分を自分の金庫に入れてほくそえんでいたとか、そういうところですね」

「ふーん、でもザアカイさんってさ、取税人でしょ? 取税人っていえば悪人よね、ねえルッちゃん」

「そうね。確かに、日曜学校や礼拝メッセージではそう聞いてきたし、オトナたちがみんなそう言うから、別にそういうもんなんだって思ってきたけど、ひょっとしたら違ってたりして」

「それ、おもろいな。取税人やからって、みんながみんな悪人やったとは限らへんわけやから、ひょっとしたら善人やったかもしれへんしな。善人のザアカイさんなんて、こら画期的やで。オヤジの驚く顔が目に浮かぶわ」

「ちょっと待てよ。でもそれじゃ、マイナーチェンジじゃすまないぜ。根本からして変わっちゃうんだから」

「あ、そっかあ。今さら脚本書き換えるなんて大変よね、ねえ、ルッちゃん」

「そうね。でもいいじゃない、考えるだけ考えてみようよ。無理だとわかればやめちゃって、今まで通りの悪人ザアカイをやればいいんだから。ちょっとだけ、みんなでザアカイさんの味方をしてみようよ」

「そやそや、やってみようや」

「えーっ、マジかよ」

「あのー、すいません。ぼくが変なこと言ったばっかりに・・・」

「あら、気にすることないのよ。あたしたちもね、毎年おんなじでつまんないなあって思ってたのよ。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。それに、もし善人ザアカイの方が真実の姿に近いとしたら、今まで極悪非道の大悪人のレッテルを貼られ続けたザアカイさんを、その不当な取り扱いから救うことができるかもしれないしね」

「あら、ルッちゃん、かっこいい!」

「おいおい、ふざけてる場合じゃないよ。クリスマスは近いんだからあんまり時間はないし、変なことやると牧師や親たちが何言いだすかわからないからな、裏付けだけはちゃんと取っとかないとヤバイってもんだよ」

「せやな。けどおれたち、教会には長いこといてるけどあんまり知識あらへんしな。せや、ヤマウチさんやったら相談できるかもしれへんで」

「それいい。ヤマウチさんってさ、神学生なのに牧師や親たちみたいに、あたしたちのこと頭ごなしに叱ったり決めつけたりしないもん。ちゃんと話も聞いてくれるし親身になって考えてくれるし、ねえ、ルッちゃん」

「そうね。私たちが真面目に取り組んでいれば、きっとそれに応えてくれる人だと思うわ」

「よっしゃ、善は急げや。ちょっと呼んで来たるわ」

「おい、くれぐれも他の人たちには感づかれないように、注意しろよ」

「わかっとるがな、まかしとき」

「あーあ、すっとんで行っちまったよ。しょうがないなあ。じゃあふたりが来るまで、聖書読んどこうぜ。ヤマウチさんに言われてから、『そんなこと書いてあったんですか』なんてことになったら恥だからな」

「そうね、しっかり読んどかないとね。ねえ、ナオちゃん、声に出して読んでみてよ」

「えっ、あたしが? えーっと、えーっと、ねえゴトウ君、どこだっけ?」

「ルカの十九章一節から十節です」

「ナオ、おまえなあ、ゴトウ君に教えてもらうなんて、どっちが初心者なんだよ」

「いいじゃない、わかんなかったんだからしょうがないでしょう? うるさいなあ、マキトは」

「はいはい。いいから読んでよナオちゃん。私、今までザアカイさんは極悪人だったっていう先入観があったから、今回はそれを取り払って聞いてみることにするわ。しっかり読んでね」

「さすがルッちゃん、いいこと言うわ。マキトも見習いなさい!じゃあ十九章一節からね。『それからイエスは、エリコにはいって町をお通りになった。ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。それで、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します」イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」』さあ、ルッちゃん、どうだった?」

「そうねえ。ひっかかる点がふたつあるわね。ひとつは、ザアカイさんがみんなに罪人って呼ばれていること。もうひとつは、ザアカイさん自身が、だまし取った物があるって言ってることね」

「確かにそうだ。この問題をクリアしないと、まず善人ザアカイは無理だな・・・。あ、帰って来た」

「力強い味方を連れてきたで。ヤマウチさん、ちょうど今、奇蹟的に時間があいたんやて」

「やあ、なんだかおもしろそうなことやってるね。話はヨウジ君から聞いたよ」

「すいません、忙しいのに。僕たちもできるかどうかは自信ないんですけど、とにかくやってみようということになって。それで、アドバイザーとしていてほしいんですけど」

「ああ、喜んで。ぼくもこういうのは大好きなんだ。でも、なるべく自分たちで考えて話をすすめてみてよ。それで、ぼくは君たちの役に立ちそうな時だけ口を出すことにするよ。それでどう?」

「それでいいです。よろしくお願いします。じゃあ、始めてみようか。なあ、ヨウジ。今四人でルカの十九章を読んだんだけど、ひっかかる点がふたつあるんだ。で、ひとつめが、ザアカイさんがみんなから罪人って呼ばれていたことなんだけど、どう思う?」

「ふーん、なんでひっかかるんや?」

「なんでって、おまえひっかからないのか?」

「ああ、別に。せやかて、『罪人と呼ばれていた』っちゅうのと、『ザアカイさん自身が罪人やった』っちゅうのは、ちがうことやろ?」

「ヨウジ、さえてるわね。本当にそうよ。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。確かにそうだわ。そう言えば取税人って、取税人っていうだけで村八分にされたって聞いたことがあるわね」

「あらルッちゃん、それってどういうことなの?」

「そうね、たとえば取税人はユダヤの公共事業に参加できないとか、宗教職にはつけないとかいうことなのよ」

「法廷で証言もでけへんかったらしいで」

「そうそう。だから、ユダヤでは取税人になったらそれだけで差別されて、一人前の市民と認められずに罪人呼ばわりされていたってことなのよ。だからザアカイさん自身が本当に極悪人だったかどうかは、このことからはわからないってことね」

「もうひとつあるで」

「え、なになに?」

「住民感情っちゅうやつや。エリコの人たちにとってはザアカイさんは、ユダヤ人のくせにローマ帝国の手先になって自分たちから税金を巻き上げて大金持ちになったわけやろ。そらボロクソに言われるわ。ローマには恐くて文句言えない分、ザアカイさんの風あたりはえらいきつかったんとちゃうやろか」

「きっとそうねえ。ザアカイさん、かわいそう。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。でもザアカイさんは、取税人になったらそういう立場になることはわかってたと思うけどどうしてわざわざ取税人になったのかしら。脚本かくには、そのへんは押さえとかないといけないわね」

「そうだな。今までの脚本なら、ザアカイさんは自分をバカにした町の人たちを見返してやろうとして取税人になったってことになってるけど、やっぱりそうだったのかなあ」

「うーん」

「あのー、ぼくはこう思うんですけど・・・」

「なになに、言ってみて」

「仕事を選ぶときって、自分の適性とか、その仕事の安定度や将来性とか考えますよね」

「そやそや。それで?」

「ザアカイさんは体が小さくて肉体労働には向いてないから、何かデスクワークを、と考えたんじゃないんですか? そして、当時最も安定して将来性があるのは、ローマ帝国に雇われることですよね? 養わなければならない家族もいたことでしょうし、バカにされたことへの恨みつらみより、そういうことの方が大切じゃないですか」

「そっかあ、ザアカイさんって、案外冷静に職業選択したのかもね。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。でもそうだとすると、ザアカイさんは、ユダヤ民族を裏切ってローマの手先になるっていうことも冷静に選択したってことになりそうね。恨みつらみじゃなかったとしたら、彼はユダヤ教やユダヤ民族主義には熱心じゃなかったってことかしら」

「ていうより、そういうものに嫌気がさしてたんだろうな、きっと」

「え、なんで、なんで?」

「ほら、宗教に熱心な人ってのは、たいてい口うるさいもんだろ? だからたとえば、おせっかいなやつがいて、ザアカイさんに 『あなたの背が低いのは何か罪を犯したせいです。悔い改めなさい』とか責めるわけよ。または、逆に必要以上にあわれんで同情してくれたりしてさ、ホントうっとうしいよな、そういうの。ザアカイさんもけっこうそんな目に遭ってきたんじゃないかな」

「ありえるわ。そいでな、ザアカイさんがそれに応えんかったらな、自分たちの押しつけがましさには気付かんと、今度はザアカイさんのことこきおろすねんで。ザアカイさんのこと 『罪人、罪人』って言うてたんは、そんなやつらとちがうか?」

「十分考えられるね。よし、これでザアカイさんが罪人と呼ばれていたっていう問題はクリアできそうだな。ヤマウチさん、今までのところで何か意見ありますか?」

「そうだね。ひとつ付け加えると、取税人のかしらの地位っていうのはローマ人に高いお金を払ってその権利を買うものだったそうだよ。たぶんザアカイさんはもともと金持ちだったんだ。そして取税人のかしらは、下請けに仕事をまわしたり、集金人を雇ったりして実務にあたらせていたけど、その諸経費はローマが出してくれるわけじゃなかったから、勢い、取り立てる税金はローマの税額以上のものになったようだね。だから、ザアカイさんは、財力も、実務を切り盛りする才覚も、人を管理する能力もあって、金もうけに成功したってわけだ。彼が頭のいい冷静な人なら、たくさん投資をしたんだから、もうけるのは当然だって思ってたかもしれないね」

「なるほどな。で、マキト、ふたつめのひっかかる点は何や?」

「ああ、ザアカイさんがだまし取った物があるって言ってることさ。これは自分で言ってるんだからまちがいないだろうね」

「そやな。八分の一っていうのは、多いんやろか? 少ないんやろか?」

「え? ヨウジ、八分の一ってなあに?」

「なあにって、ザアカイさんが他の人からだまし取った物のことやで。全財産の八分の一やろ?」

「なんでそんなことわかるの?」

「ナオ、おまえ計算したことないのんか? え? ルッちゃんやマキトは?」

「いや、何のことかわからないんだ」

「私も。説明してよ。どうして全財産の八分の一なの?」

「やっぱり、おまえら金に苦労したことあらへんからなあ。おれなんか、小さいとき親が大阪からこっちに来て商売始めたやろ? もう金にはごっつい不自由したからな、金の計算だけは敏感やで。あんまり自慢できることやないけど」

「あのー、ぼく八分の一っていうのわかります」

「おっ、ゴトウ君、なかなかやるやん。ほな、この育ちのええ人らに説明したってや」

「はい。つまり、こういうことです。ザアカイさんは自分の財産の半分を貧しい人たちに施す、と言ってますよね。それを実行すると彼の財産は残り二分の一になります。そして次に、だまし取った物は四倍にして返す、と言ってますから、それを実行するには、だまし取った物の四倍の財産が残っていなければなりません。ですから、彼が無一物になったとしても、だまし取った物は全財産の二分の一の四分の一、つまり八分の一なんです」

「ゴトウ君、すごーい!」

「ナオ、すごいのはゴトウ君だけやないで。もうひとり、ほめたらんかいな」

「ヨウジはえらそうに言うから、ほめてあげないよ。でもよく気が付いたね。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。でもきっと八分の一よりは少なかったでしょうね。無一物になったら生活できないわけだから。八分の一より少ないかあ。私、ザアカイさんって、守銭奴っていうか、ふくらんだ財布がこの世のすべてみたいな人で、税金を不正に取り立てて、どんどん私腹を肥やしてたようなイメージがあったから、八分の一もなかったなんて、なんだかすごく少ない気がするわ」

「確かにそうだな。ザアカイさんが自分の地位や能力を悪用したら、いくらでもだまし取るチャンスはあっただろうからな。結局さ、善人とか悪人とか言っても、パーフェクトな人はいないんだから、要するに比較の問題で、ザアカイさんの立場で八分の一以下なら、これはけっこう善人なんじゃないかな」

「ていうことはさ、病人のふとんをはぎ取ったり、夜な夜なだまし取った金を勘定してほくそえんだりっていうのもなかったのかしら、ねえ、ルッちゃん」

「そうね。新しい脚本ではカットでしょうね」

「じゃあさ、このページのここんところは? 『ザアカイという名前は、きよく正しい、という意味で、彼の両親はわが子がそういう人になるようにと願って名付けただろうに、ザアカイはお金がすべてだ、という人になってしまって両親を悲しませただろう』とかね、他にはね、えーっと、ここ。『見も知らぬはずのイエスからいきなり、「ザアカイ」と、その悪と孤独にすさんだ心に染み渡るやさしい声で呼ばれて、驚きとともに、全てを知りたもう神の存在とその愛にふれ、まさにそのザアカイの名の通り、きよく正しい生涯へと変えられた』とかいうところも?」

「そうね、考え直さないとね」

「あたし、ここのナレーション、好きなのになあ。何だかドラマチックで泣けてくるんだもの」

「せや、それや! わかったで!」

「なによ、大声だしてさ、びっくりするでしょ。何がわかったのよ、ヨウジ」

「あのな、今考えてたんやけどな、なんで三十数年、だれもザアカイさんが善人かもしれんって気付かんかったんやろうって。それに脚本でマイナーチェンジしてんのは、だいたいザアカイさんの悪党ぶりのところやろ? それもどんどんエスカレートしとる。それで、なんでそうなったんやろうって考えてたんや」

「うん。それで、何がわかったの?」

「ナオが、ドラマチックで泣けてくるって言うたやろ。それでわかってん。要するに、ザアカイさんを思いっきり悪人にしといて、こんなどうしようもない極悪人がイエスに出会って回心し、善人に生まれ変わりました、イエスはすばらしい、ていう方がドラマチックでおもしろくてわかりやすいからやねんな」

「そりゃそうでしょうね。でもそれが、大声あげるような大発見なの? ねえ、ルッちゃん」

「そうね。ドラマチックにするために悪党に仕立てあげられたザアカイさんはかわいそうだけどね」

「おまえら、何にもわかってへんなあ」

「どうせあたしはバカですよーだ。ほっといて」

「なあ、これはヨウジが言うように、けっこう重大な問題だと思うな。ウチの教会ってさ、何だかドラマチックで感動的ってのが喜ばれてないか? たとえばほら、牧師のあかし」

「ああ、『優等生と信じていた自分が万引きしたことから、罪意識にさいなまれ、失望して自殺まで考えたが、ふとしたきっかけで立ち寄った教会で、そんなどうしようもない自分をありのままに受け入れ、赦して下さる神を知り、涙ながらに悔い改め、喜びと平安に満たされた。伝道者になろうとしたが両親に反対され、勘当され、無一文から開拓を始めて、神の愛とあわれみによって教会をたてあげてきた』 とかいうあれね。そうねえ、婦人会の人なんて、聞くたびに涙ぐんでる人がいるわね。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。牧師だけじゃなくて、親たちの救いのあかしって、そう言えばみんな似たり寄ったりよね。そうか、私、ヨウジやマキトがどうしてドラマチックでわかりやすいことを問題にしてるのか、わかるような気がするわ」

「え? ルッちゃん、どうしてか教えてよ」

「ねえナオちゃん。あなたよく、『救いの確信がない』って言ってるでしょう?」

「そう、よく不安になっちゃうのよ。自分は本当にクリスチャンなのかなあって。そうね、さっきみたいなドラマチックな救いのあかしなんか聞くと、余計にそう思っちゃうのよね」

「それはどうしてだと思う?」

「そうねえ。たとえば牧師だったら、クリスチャンになる前にいろいろ悩んで、そして何年何月何日に救われたって言えるわけでしょ? それに、それまではキリスト教に何の関係もない生活をしていたのに、それからはキリスト教一辺倒の生活になったわけで、クリスチャンになったことがはっきりしてるわけよ。でもあたしはね、別に大きな悩みとか、人生の壁とかにぶつかって、そこから救われた、みたいなこともないし、いつ決心したのかもはっきりしないし、決心はしたけれど生活の変化はなくってあいかわらず以前のままだし、教会も聖書もお祈りも小さい頃からの習慣になってるから、『本当にクリスチャンなのか』って問いつめられたら、何かあいまいな気持ちになっちゃうのよ。ルッちゃんだって、今、急に死んでしまっても必ず天国に行けるという確信があるかって聞かれて、何の迷いもなく、『はい』って言える?」

「そうね、言えないわ。私たちは多かれ少なかれ、その不安を感じてるのよ。それで、なぜそう感じるのかというと、それは、牧師みたいなドラマチックな回心の体験者こそが、本物のクリスチャンだっていう印象を持っているからなのよ。」

「あら、ちがうの? あたしクリスチャンってそういうものかと思ってたわ」

「あのー、実は、ぼくもそう思ってました」

「あら、ゴトウ君、どういうこと?」

「ですから、クリスチャンっていうのは、やっぱり人生について真面目に悩んで自分をつきつめて考えて人生の壁にぶち当たったような人がなるんだって。ぼくは今までそんなふうに悩んだことはないし、今の人生にもけっこう満足してるんで、クリスチャンにはなれそうもないかなって感じてたんです」

「ほれ、見てみい。ゴトウ君はまだキリスト教に好意的やから、『クリスチャンにはなれそうもない』って言うてくれるけど、そやなかったら、『クリスチャンなんかなりたくもない』って言うてるとこや。ザアカイ劇かてどんどんドラマチックな回心劇にされてきてるけど、これ、ほんまにあかんと思うで」

「そうだよな。教会でよく言われるじゃないか。人間は何か善行や難行苦行や律法的行為をしたから救われるんじゃないって。でもさ、教会じゃ、人間は何か悪行をし、悩みに陥り、挫折し、自殺しかけたから、また、孤独で淋しかったから救われるんだって言ってるみたいだよな」

「そうね。ほんとにそうだわ。でも、それも違うとしたら、人間はどうやって救われるの? 救いって何なの?」

「うーん」

「そうだなー」

「ねえ君たち。そのことも、まずザアカイさんのことから考えてみたらどうかな。ザアカイさんが、今までの脚本のような極悪人でもなく、孤独で淋しい人でもなかったとしたら、ザアカイさんはどのように救われたのかって。新しい脚本書くには、避けて通れないことだしね」

「そうね、ヤマウチさんの言う通りよ。そうだ、もう一回、ルカ十九章を読んでみましょうよ。きっと聖書の中にヒントがあるのよ」

「せやな。読んでみよ」

・・・・・・

「ねえ、何かわかった?」

「うーん、ここじゃないかな。最後にイエスさまが言うだろ、『きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。』って」

「どういうこと?」

「だから、ザアカイさんはアブラハムの子、つまり、神さまが救おうと選び定めた、選びの民のひとりだったのに、失われた人になっていた。そこで、イエスさまはザアカイさんを捜して救うために、わざわざエリコまでやって来てザアカイさんのところに来た、というわけさ」

「九十九匹の羊を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩く羊飼いのようにってことね」

「なるほどな。それでイエスさまは、『あなたの家に泊まることにしてある』って言うたわけや。イエスさまにとっては、ザアカイさんに会うのは予定の行動やったわけやからな」

「じゃあ、イエスさまが木の上の見知らぬはずの男にいきなり、『ザアカイ』って呼びかけたのは、今までの脚本のように、イエスさまが全知全能の神さまだったからと言うよりはむしろ、自分の羊をその名で呼んで連れ出す良い羊飼いだったから、ということね」

「ヨハネの福音書十章三節やな。その通りやろな」

「言い換えればイエスさまは、ザアカイさんのことをあらかじめ知っていて、あらかじめ救いに定めていて、そしてザアカイさんを招くためにザアカイさんのところまでやって来た、っていうことだな」

「あのー、すいません。話がよくわからないんですけど・・・」

「ああ、そうか。今の話はね、要するにザアカイさんが救われたのは、イエスさまがザアカイさんを救おうとしてやって来てくれたからだって話なんだよ」

「そうですか。何だか全然違いますね。今までの脚本だと、ザアカイさんは富も地位もあって表面的には強がっていても、本当はむなしく孤独で、神の救いや愛に飢え渇いていた。それで、救い主と噂されるイエスさまを一目でも見ようとして危険を冒していちじく桑の木によじ登った、ってことになっています。これはつまり、ザアカイさんの方が一生懸命救いを求めていて、その思いが通じてイエスさまに救われ、めでたしめでたしっていうことでしょう?」

「今までの脚本がそこんとこを強調しすぎてたんや。そら確かに、むなしさ、孤独感、神を求める思いはあったと思うで。木登りまでしたんやから。せやけど、たとえば、あの時ザアカイさんが家に閉じこもっていたとしても、イエスさまは、きっとザアカイさんの家の戸口まで行ってザアカイさんを訪ねて、『きょうは、あなたの家に泊まることにしてある』って言うてたと思うな」

「そうそう。だけどゴトウ君、そういうイエスさまを受け入れるかどうかは、人間の方にまかされているんだよ。訪ねてきたイエスさまを招き入れないで、戸を閉ざしたままでいることもできる。イエスさまは信仰を強制はしないのさ。だから確かに、ザアカイさんにはザアカイさんなりの、イエスさまを受け入れるに至った理由っていうか、ドラマっていうか、そういうものがあったとは思うけど、今までの脚本は、それをあまりにもおもしろおかしく作りすぎてるよ」

「なるほど、そうですね」

「救いとは、人間が神を捜し求めて獲得するものではなく、神が人間を捜し求めて見出すものである」

「お、ナオ、何や急に?」

「牧師の決まり文句じゃない。だけど脚本をおもしろくした中心人物は牧師だって聞いてるわよ、何だか変ね。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。まあ、それはそれとして、じゃあ、『救いの確信』はどうなるのよ。ドラマチックな回心劇がなくても救われるとしたら、どうやって自分がクリスチャンだって確信するの?」

「うーん・・・」

「ねえ、ザアカイさんってさ、救いの確信があったのかしら?」

「せやな、あったんやないかな。せやかて、イエスさまが目の前で、『きょう救いがこの家に来ました』って言うてはるんやから。ザアカイさんに、あなたは救われたって言うのとおんなじようなもんやろ?」

「イエスさまの保証つきなら確実だな。これ以上のものはないよ」

「ザアカイさん、いいなあ、うらやましいなあ。ねえ、あたしたちにもそういうのってないの?」

「うーん、そうだなあ、たとえば誰かがイエスさまを信じたとしても、目の前に神さまが現われて、『あなたは救われた』って言ってくれるわけじゃないし、または、次の朝、聖書を開いたらその人の名前が記されていて、この人は救われたって書いてあったりするわけじゃないからなあ」

「やっぱりないのお?」

「ねえ、でもザアカイさんだって同じだと思わない? 確かにその時は救いを宣言されたけど、イエスさまがいつも目の前にいて宣言してくれるわけじゃないんだし、信仰を失うってことだってあるわけだから、私たちと条件はそう変わらないと思うのよ」

「あら、じゃあザアカイさんをうらやましがらなくてもいいのね」

「ねえ、君たち。その救いの確信がないってことについて、だれかに相談したことはあるの?」

「ありますよ。牧師とか、日曜学校の教師とか」

「で、どうだった?」

「えーっと、なんて言われたんだっけ? ねえ、ルッちゃん」

「こういうことよ。救いの確信は、神のみことばに対する信仰からくるのであって、何か特別な体験のあるなしではない。だから、聖書をしっかり読んで、信じる者は神の救いの内にあり、神の子どもとしての特権が与えられていることをはっきりと知りなさい。そして、このことについてよくよく祈って、確信が与えられるように神に求めなさい」

「それそれ、よく覚えてるのね。さすがルッちゃん」

「で、それについてはどう思ってるの?」

「そんなん、的ハズレやわ。信じる者は救われるってことやったら、小さい時から、そらもう耳にたこができるほど聞かされてるんやから。問題なんは、この自分が、その信じる者なんかどうかってことなんや」

「そうそう。自分が本当に信じてるかどうか、これでいいのかどうかが不安なのにね」

「そのことを牧師先生たちに言ったことはあるの?」

「そんなの、とても言える雰囲気じゃないわよ。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。そんなこと言ったら余計に、もっとしっかりしなさい、真面目に考えなさい、とか言われるのがオチよね。私たちだって真面目なのに」

「牧師や親たちは、自分たちみたいなクリスチャンじゃなきゃクリスチャンじゃないって思ってるのさ。だから彼らから見ればぼくたちは、いつまでたっても不安定で迷っていて、しっかりした歩みができない、半人前のクリスチャンってわけ」

「そうそう、祈祷会なんかでさ、よく、『学生たちが確信を持てますように』なんて祈ってるものね。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。変なこと言ったらたちまち、『霊性が落ちています』なんて言われるものね。こんなことで祈りの課題なんかにされたりしたらたまらないわ」

「えげつない言い方やな、霊性が落ちてる、やなんて。まるで信仰ってもんに何段階かのランクがあって、自分たちはそのランクの上の方で、あんたたちは下の方や、なんて言うてるようなもんやないか。そんなん、どうやってわかるねん」

「もっとひどい言葉があるよ。ゴトウ君の目の前で悪いけど、『未信者』って言い方さ。それって、まだ信者じゃないとか、まだ信じていない者って意味だろ? まるで信じている者こそ正しくまともで、『未信者』はまだそうなっていない者のことじゃないか」

「クリスチャンにあらずんば人にあらず、よ」

「そうそう。だから、『未信者』はまだ救いも真理も知らないでこの世の力に翻弄され、さまよい、ついには地獄に行くあわれな人たちで、自分たちは造り主を知り、真理のことばである聖書を持ち、救われているから、この人たちを救いに導かなければならない、なんて思ってるんだ。えらそうに」

「あのー、すいません・・・」

「あ、ゴトウ君ごめんね。教会に来て間もない人の前で、何だか教会のイヤなこと聞かせるようなことになっちゃって・・・」

「いえ、そんなことはいいんです。教会はキリスト教を信じてる人の集まりでしょ? 別に宗教に限らず他のものでも、ひとつの価値観を信奉する人間の集団には、今言ったようなことはよくあることじゃないですか」

「へえーっ、ゴトウ君ってオトナやなあ」

「それよりぼくは、さっき言ってた、救いの確信が持てるのかどうかっていうことを聞きたいんです。話を戻してもらえませんか?」

「ああ、それねえ。どうなんだろうねえ・・・」

「せやなあ・・・」

「あたしね、さっき話してて思ったの。救いの確信なんて、なくてもいいんじゃないかって」

「え? ナオちゃん、どうして?」

「だってね、確信があるばっかりに、人を信仰のあるなしで区別したり、ランク分けしたりして偉ぶってるじゃない? あたし、そんな人間になりたくないわ。ねえ、ルッちゃん、そうじゃない?」

「そうね。私もなりたくないわ。ねえ、ヤマウチさんは救いの確信を持ってますか?」

「今、急に死んでしまっても、必ず天国に行けるっていう確信? それは、ないね」

「えっ!? ホンマに!? 神学生やのに!?」

「どういうことですか? わかるように教えてください」

「いや、簡単なことだよ。だって、天国に入れるかどうかを決めるのは、人間じゃなくて神さまでしょ? いくら、『私は天国に入れる確信があります』って大声で主張しても、神さまが、『ダメです』って言えば、どうしようもないからね」

「あ、そうか、そうだよな。人間なんて、他人はおろか自分自身をさえ救えないんだから、『私は天国に入れます』なんて言うのは、おこがましいっていうか、越権行為っていうか、要するにナンセンスなんだよ」

「いや、ナンセンスどころやないで、百害あって一利なし、や。その確信のために、人が信仰で区別されたり、ランク分けされたりして見下されてるんやからな」

「ちょっと待って、じゃあ、クリスチャンであるっていうことはどういうことなの? ねえ、ヤマウチさんは、救いってどういうことだと思ってるんですか?」

「そうだね、もしだれかが、『あなたは救われていますか、天国に行けますか?』って質問したら、ぼくはこう答えるだろうね。『ぼくには、わかりません。でも、ぼくの信じ慕っている神さまは、とてつもなくあわれみ深いお方なので、よもやぼくのことをお忘れになるとは思いません。でも万一、天国に入れなかったとしても、ぼくはもともと天国にふさわしい者ではないのですから、とてもつらいことですが、致し方ないことと思います。ですからぼくは、天国に行けるかもしれないというその希望を、ただ神さまの一方的なあわれみに頼っている者です。このお方が、いわば、ぼくの唯一の希望の星なのです。』ってね」

「うーん、それはそうかもしれないけど、じゃあ十字架はどうなるんですか? イエスさまの成し遂げられた贖いのみわざを信じる者が救われるんじゃないんですか?」

「確かに、十字架の教理とその信仰は、もちろん欠くことのできないものだよ。でも、天国に入る者の決定的要素は、十字架信仰のあるなしじゃないと思うよ」

「えっ? それって、ちょっと問題発言じゃないんですか?」

「そんなことはないよ。じゃあ尋ねるけど、弟子たちが、『天国では、だれが一番偉いんですか?』ってきいた時、イエスさまがなんて答えたか覚えてる?」

「あっ、それってどこの箇所だっけ?」

「マタイの福音書十八章一節からです」

「ゴトウ君、すごーい!」

「いえ、実は今朝、家で読んだばかりのところなんです」

「じゃあゴトウ君、そうだな、十節まで読んでみて」

「はい。『そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか」そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。・・・」

「ゴトウ君、ちょっと待って!」

「なに、マキト、どうしたのよ?」

「そうか、『決して天の御国には、はいれません』って書いてあるなあ、『決して』って。『悔い改めて、身を低くしない限り』ということなんだ。そうか、ぼくは今まで、人間はイエスさまを信じてクリスチャンになれば神の子どもで天国に入れるんだって聞いてきたし、そう思ってきたけど、どうもそればっかりじゃないみたいだな」

「確かに、主を信じ、主の名を呼び、他人に伝道し、主の名で奇蹟まで行なったような人たちでも、天国に入れないってことがあるみたいだね」

「聖書にもそう書いてますよね。どうしてそういうことになるんですか、ヤマウチさん?」

「君たちには、もうわかってきてるはずだと思うけど。じゃあゴトウ君、五節から続けて読んでみて」

「はい。『また、だれでも、このような子どものひとりを、私の名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだ方がましです。・・・」

「ゴトウ君、ちょい待ち!」

「今度はヨウジなの、いったい何なの?」

「いや、なに、イエスさまもなかなかえげつないこと言うなあと思てな。『大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだ方がましです』やて。実は昔な、関西でよう言われてたんやけど、大阪や神戸のこわい人たちとトラブったらな、ドラム缶にコンクリート詰めにされて、大阪湾に沈められるってな。イエスさまの言うてんのも、それとおんなじことやろ?」

「ほんと。イエスさまもけっこう言うわよね、ねえ、ルッちゃん」

「そうね。つまずきを与えるってことが、それほどの重大事なんだってことでしょうね。だから、よく気をつけなさいって言われてるわ。ゴトウ君、七節からまた読んでくれる?」

「はい。『つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちにはいるほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです』」

「なるほど、つまずきをもたらす者は忌まわしいとまで言ってるし、ひとりでも見下げたりしないように警告されてるよ。それに、つまずきを与えるものが自分の手足や目なら、それを切り捨てろなんて、すごいよな」

「うー、あたし、やっぱり救いの確信なんてもういらないわ。そんなもののために高慢になって、人を見下して、ランク分けして、つまずきを与えたりしたら、とてもこわいもの。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。私は今の話をきいて、イエスさまがした、たとえ話をひとつ思い出したわ」

「あ、おれも。あれやろ? パリサイ人と取税人がお祈りしたってやつ」

「そう、それよ」

「あのー、それってどんな話なんですか?」

「ねえ、ナオちゃん。ゴトウ君のために読んであげてよ。ルカの福音書の十八章九節から十四節よ」

「おやすいご用よ。じゃあ読むわね。『自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」』どう、ゴトウ君?」

「あのー、義と認められるってどういう意味ですか?」

「神さまが、正しいと認めるってことよ」

「そうですか、じゃあ神さまは、この自信満々で自分を自分で正しいと認めて他人を見下しているパリサイ人ではなくて、すっかりおちこんでただあわれみにすがっているこの取税人の方を正しいと認めて喜んで受け入れるということなんですね。さきほどヤマウチさんが言われた、自分の救いをただ神さまの一方的なあわれみに頼っているってことが、やっとわかりました。そして、ひょっとしたら、ザアカイさんを罪人呼ばわりしていたのも、このパリサイ人のような人たちだったのかもしれませんね」

「ゴトウ君、あんたホンマに初心者とは思えんわ。ところでな、ほな牧師や親たちはどないなるんやろな? あの人ら、天国に入れるんやろか?」

「そうよねえ、けっこう人を見下してたり、つまずかせたりしてるわよねえ。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。でも、そんなふうに考えるのはやめましょう。それこそ、このパリサイ人になってしまうわ」

「お、せやな。危うくおれも、コンクリート詰めで大阪湾に沈んだ方がましなやつになるところやったで」

「なあみんな、正直言ってさ、義と認められたのがこのパリサイ人じゃなくて取税人の方で、ほんとうによかったって思わないか?」

「そうそう、あたしもすっごく安心したわ。さっき、救いの確信なんていらないって言ったけど、ほんとはね、確信がなくて迷ったり不安になったりするのは、やっぱりいけないことなんじゃないかなって思ってたのよ。でも、そうじゃないんだってわかったわ。ねえ、ルッちゃん」

「そうね。迷ったり、不安になったり、おちこんだりしてもいいのよ。ただ神さまのあわれみを信じる、これよ」

「ねえ君たち。一言だけ付け加えておくとね、神さまはそういう人たちの味方になってくれるんだよ」

「え、味方?」

「そう。もしそうでなかったら、イエスさまは、貧しい人や悲しむ人、飢えた人や泣いている人、迫害されたり憎まれたりしてる人を、『幸いだ!』なんて決して言わなかったと思うよ」

「せやな。パウロさんかて、弱い時こそ神の力が現われるとか、私の弱さを誇ろう、なんて言うてるもんな。それも神さまがあわれんで味方になってくれることがわかってるからそう言えるんやな」

「わかった! わかったわ!!」

「なんやナオ、何がわかったんや?」

「あのね、あのね、実はイエスさまこそが、ザアカイさんの味方なのよ! それで救いに来てくれたんだわ。なーんだ、簡単なことじゃないの。ねえ、ルッちゃん」

「そうね、そうだわ。私、とてもうれしいわ。だってイエスさまはきっと、私たちの味方にもなってくれるんだもの」

「よし、そうとわかれば、脚本書き換えだ!」

「よっしゃ、オヤジたちをびっくりさせたるで、なあ、みんな!」

「おーっ!」

                (おわり)

 

〜ちょっとCM〜

『ザアカイさんの味方』は、クリスチャン新聞主催第21回あかし文学賞の入選作です。この作品が収録された第21回あかし文学賞入選作集『心はうちに燃えて』がクリスチャン新聞社から発刊されています。

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