名作没ネタ

「あるサラリーマンの告白」


これは、第3号の教会用語の基礎知識「あかし」のためにつくりました。「(A)信者としてのふさわしい言動」の「砂漠の中の青々とした木」のたとえの後にこの話を入れて、それを元にして4段階の説明をするつもりでしたが、長くなりすぎることに気づき、泣く泣くカットしました。もうすでにイラストもできていたのに・・・
とても気に入っている作品なので、ここで紹介したいと思います。

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まず、あるサラリーマンの告白をききましょう。

「俺の同僚で、一風変わった男がいた。と言っても変な意味じゃない。はじめて会った時、もの静かで清潔そうな印象があった。なんとも柔和そうな顔をしてるから、こんなやさ男に仕事ができるのかなあと思っていたが、仕事ぶりはマジメだし、実際、優秀な人材だった。上司にも同僚にも部下にもウケはよかったし、期待もされていた男だ。じゃあ、何が変わってたかというと、なんというか、やつの生き方全般みたいなものなんだ。

俺は金使いも荒い方だし酒もタバコもやる。女やバクチももちろんだ。でも、やつはそんなことには興味がないようだった。服装も趣味も俺みたいにハデじゃないから、よく『そんなこっちゃ、女にモテないぜ。人生もっと楽しもうぜ。』とか言って無理に女や酒をすすめて、遊び半分にいじめたりしたもんだ。そんなときでもやつは怒ったりしないで、あいかわらずあの柔和な顔で『これはぼくのどうしてもゆずれない一線なんだ。いつか君もわかってくれる日が来ると思う。』とかなんとか、わけのわからないことを言ってたっけなあ。

俺みたいに上司におべっかも使わなかったし、かげで悪口も言わなかった。エロ話やバカ話にものってこないし、部下にあたったりもしなかった。俺はやつを見てて、こういうのが”聖潔・節制・克己の生活”っていうやつかなあ、と感心したりあきれたりしたが、まだ「もしかしたら家では暴君、ってことがあるかもしれないぞ」と思って、さそわれるままにやつの家に行ったことがある。
その時、俺は少々酒が入っていたのに、やつの奥さんはイヤな顔ひとつせずに俺をもてなしてくれたっけ。ウチのヤツとは大ちがいだ。おまけにやつの息子や娘ってのが、なかなか人間のできた子供たちで、親のいいつけにも従順だし、これまたウチのガキ共とはえらいちがいだ。
それに、その奥さんや子供たちってのが、まあ、とりたてて美人とか美男とかいうんじゃないけど、明るくってなんとなくミリョク的なんだな。やつの家が小さいながらも掃除も行き届いてて清潔だったからそう見えたのかもしれないけど。おまけに家庭の雰囲気ってのが何ともイイんだな。俺も何かっていうと、よくやつの家に遊びに行ったもんさ。
それで俺は思ったんだ。”なるほど、こいつは本物だ。裏表がないし、信用できるやつだ。イザというときは頼りになりそうだ。”ってね。

実際、俺が事故って入院したとき、何度も見舞に来てくれたし、ウチのヤツやガキ共が不自由してるんじゃないかって奥さんともども親切にしてくれたもんだった。俺は口では強がり言ってたけど、やつの心づかいにはホント感謝してたんだ。
あ、そうそう。俺が入院してる頃のことだった。『暇なときにどうぞ』って、ある日やつと奥さんが聖書や讃美歌や説教のテープを置いていったっけ。俺もうすうすは感じてたけど、やつはクリスチャンだったんだ。そういえばその頃だったな、ウチのヤツとガキ共が教会に通い始めたのも。俺はっていうと、宗教ってなんとなくうさんくさいし、趣味じゃないってかんじで、教会にはクリスマスとかに義理で行く程度だった。

ところで、”イザというとき”がホントにきたのはやつの方だった。やつが大きな病気にかかって死んじまったんだ。俺のオヤジが同じ病気で死んだからよくわかるんだけど、そりゃあ、すごく苦しい病気なんだ。尋常な痛みじゃないから、オヤジなんか『いっそ、ひとおもいに殺してくれ』なんて暴れまわったもんさ。
ところがやつときたら、これが大ちがいなんだ。痛みにもがんばって耐えてるし、痛みがひいてるときは、いつもの顔でニコニコしてるんだぜ。俺はなんとなく気おくれしてあんまり見舞に行ってやれなかったけど、たまに行ったら『あんまり心配しないでくれ』って、かえってやつに励まされる始末だった。
あるとき俺が『おまえはあんなにマジメに生きてきたし、キリスト教だって熱心だったのに、なんでこんな目にあうんだ? キリストさんをうらみたくならないか?』ってきいたら、『いや、これも神の意志なんだから、ぼくはそれを甘んじてうけとるのさ。死ぬことだって恐くないよ。だって永遠の喜びへの門出なんだからね。』って答えたもんさ。俺はほとほとまいったね。

ところで、やつは俺のことを『彼は会社でのぼくの一番の親友だ』って皆に紹介してたもんだから、俺はやつの臨終にたちあうことができたんだ。他にはやつの奥さんと子どもたちと親類数人、それに教会の牧師や教会員数人だったから、俺はなんとなく肩身のせまい思いをしたけど、世話になったやつだし、最期くらいはしっかりと見取ってやろうと思ってたんだ。

やつはその時、断末魔の苦しい息の中で、まわりにいる人たちにお礼をいったりしたあとに俺にこう言ったんだ。『君と友だちになれてよかった。いろいろありがとう。ぜひキリストを信じてくれ。天国で君のために祈ってるよ。』・・・・・・大往生だった。俺は不覚にもオイオイ泣けたもんだった。オヤジが七転八倒して死んだときも、そりゃ悲しかったけど、”これでやっと看病しなくてすむ”なんて鬼みたいな心があったもんさ。昨日、やつの教会で葬式があったけど、そのときも俺は泣けてしかたなかったよ。

俺はこれからマジメに教会に行こうと思うんだ。だって、やつがあんなにりっぱに生きてりっぱに死んだのは、神のおかげだし教会のおかげなんだろう? 俺だってなれるもんならやつみたいになりたいのさ。こんな厳粛な心持ちになったのは俺の人生はじまって以来だぜ。やつのおかげだな・・・・・・。」

この話は、「信者としてのふさわしい言動」によるあかしのさまざまな要素を再構成したフィクションです。