聖研に王道なし!?

序論★情報の目ざすところ


<T> 新約聖書の内容と目的

新約聖書は、初めの4つの福音書で、イエスの生涯と教えが書かれています。
── 使1:1,21〜22,10:37〜42,マタイ28:20,マルコ1:1,ヨハネ20:30,21:25
てっとり早く完璧に、の王道聖研子は、さっそくそれらを”親切に要約してくれている文章”をさがしました。
それは、『私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。』
── コリントT15:3〜5
これは”福音”と呼ばれています。
── コリントT15:1〜2

さて、四福音書の次に、そのあとの弟子たちの様子や、信者たちへの手紙が続いています。その内容は、様々な説教や奇蹟、福音の教理、教会への教え、勧め、注意、励まし、牧会、とりなし、などです。
これらも要約すると、結局はこの”福音”についての説明であると言えると思います。
そして最後に、この世の終わりについて書かれています。

そういうわけで、新約聖書の目的は ── 部分的にはいろいろと書かれてはいますが(ルカ1:1〜4,ヨハネ19:35,20:29〜31,ローマ15:15,コリントU1:13,テモテT1:5,18,3:15,ペテロT1:23〜2:2,ペテロU3:1,ヨハネT1:3〜4,2:1,5:13,ユダ3,黙1:1など)── 結局、キリストの福音を正確に知らせるためのものであると言えると思います。

つまり、それら旧約・新約聖書の内容と目的を、著者である神の見地から表現するならばこうです ── 神は堕落した人類を救うため、御子キリストによるあがないを計画した。その準備として、イスラエル民族を選び、神の計画を教え、計画の実現を予告し、キリストを受け入れる下地をつくった。長い準備のあと、時がきて、ついにキリストをつかわして救いのわざを実行に移した。イスラエル民族は反逆したけれど、選ばれてキリストに教育され、聖霊を与えられてこの救いを受け、この計画を正しく理解した使徒たちと教会によって、神の救いを全人類にもたらされるようにした。そして終わりの日、人類の救いは完成される ── ペテロT1:4〜5,8〜12,ヘブル1:1〜2,2:2〜4など。

つまり、私たちは聖書を読んで、神の救いの計画について知ることができます。まさに、それを知らしめるために、神は聖書を著したのである、と言えます。

ところで、とくに新約聖書は”実体”についての目撃者の証言(ヨハネT1:1〜3など)とも言えますが、このことと、”神が著者である”ということとは、どのような相関関係にあるのでしょうか。
”王道”もやはり、ここを通らなければならないようです。

次回は「<V> 神のことば」