王様の一章

マタイの福音書 四章


イエスとサタンの三番勝負。旧約聖書を引用したイエスがサタンに勝利したことから、聖書のことばがサタンに対する最も有効な武器であるとよく言われますが、不思議なのは、サタンの方も大胆にも聖書を引用していることです。(6節)
みことばの、武器としての性質は、ドラキュラに対するニンニクの性質とは異なるものなのでしょう。というのは、ドラキュラはニンニクを利用することができないからです。

みことばはよく、武器として”剣”にたとえられますが、この”剣”には”使い手次第”という性質があり、その点♪あ〜る時は正義の味方、あ〜る時は悪魔の手先♪の鉄人28号と似ています。
すなわち、”使い手”の方にも大きなウェイトがかかっているわけで、その点でも、誰が使ってもドラキュラに対して有無を言わさぬ絶対的効果があるニンニクとは異なっています。

では、イエスとサタンの”使い手”としてのちがいは、いったい何でしょうか。
よく指摘されるのはサタンの聖句引用の誤りですが、もっと重要な、根本的な事柄があると思われます。それは、イエスはみことばを実践するが、サタンはそれをしない(または、できない)ということです。

人間にしても、聖書の吟味にたえられず、自分の現実を棚上げにしてからでないと聖書を語れないものであったり、右のページの下の段のまん中あたり、などとやってしまうものであったりするのですが、イエスはこの三番勝負の引用聖句で、自分自身をも吟味し、しかもすべてにおいて完璧であったのでしょう。なぜならイエスは、まさに聖書のみことば通りに生まれ、みことば通りに生き、みことば通りに死んだ人でした。

これは驚威です。神ならぬ身の悲しさ、などという私の逃げ口上をこえて、そこには生半可な信仰生活やあいまいな聖書理解をバッサリと打ち首されるような恐怖があるではありませんか。

次回は「マタイの福音書 5章」