聖研に王道なし!?

聖研の前に★文書で表わされた情報


今回は、「序論★情報の目指すところ」のつもりでしたが、聖書研究を始める前に、このことも言っておこう、と思いたち、また『教会用語の基礎知識』が長くなってしまったこともありますので、いきなり予定を変更いたしたいと思います。失礼。

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「光は一秒間に地球を七周半する」という文章があるとします。なにか、小学校時代の科学学習雑誌の付録のかるたみたいですが、これを読んだA君が、もし、「なるほど、光というのは、地球の表面に沿って、弧を描きながら進むのだ」と解釈したらどうでしょう。
いや、笑ってはいけません。文章には、解釈しようと思えばどうとでも解釈できる、という落とし穴があります。

この文章について言えば、おそらく著者は、光が一秒間に約30万q進のだ、ということを表現したかったのです。それで、30万qという漠然とした数字を実感してもらおうとして、周囲約4万qの地球をひきあいに出してきて、「七周半」と言ったのでしょう。
しかし、著者の意図をよみとれず、その表現上の文学的技巧も理解できなかったA君は、とてつもない解釈をもつに至りました。(なお、これは実話です)

もうひとつ笑い話を。ある人が(A君ではない)、聖書を盲滅法に開いて、とにかく目についた文章を読んだそうです。
まず一回目は、マタイ27:5が目にとまりました。ユダの首つり自殺のところです。
二回目に開くと、ルカ10:37『あなたも行って同じようにしなさい』。
びっくりしてもう一回開くと、ヨハネ13:27『あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい』・・・・・・

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この『聖研に王道なし!?』の出発点は、「今、目の前に”聖書”という本がある」ということです。
この本の表紙には著者名がありませんが、前回の前提@Aでかいたように、実は、真の著者は神であり、神は、伊達や酔狂でこの本をかいたのではなく、人間に伝えたいメッセージがあるからかいたのであり、しかも現代の聖書も信頼するに足るものだ、と考えています。
そして、この本をてっとり早く、しかも完璧に理解しようとしています。それは、前提Bにあるように、「読むこと」によってです。

問題は、この読み方なのですが、たとえば前述の”ある人”のような盲滅法な読み方は、”てっとり早く”て魅力的なのですが、”完璧に(正確に)”にはほど遠いようで、残念ながら採用できかねます。

私といたしましては、なるべく落とし穴に陥らないようにしたいので、聖書は文書ですから、文書を正確に理解するための常識的な方法(つまり、文書の背景や目的、その用語や表現形式を考慮して、各語、文章、文脈を正しく理解して、その意味を知る、というような方法)を採用することにしました。

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いざ、お立ち合い!!今こそ偏見や先入観を捨てて、純真無垢な心をもって、この書物をひもといてみようではありませんか。

次回こそ「序論★情報の目ざすところ」