ゲゲゲの鬼太郎に思う(2000年12月)


私には、以前から気になっている歌がいくつかありますが、そのひとつがアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌です。

ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ
朝は寝床で グーグーグー
たのしいな たのしいな
おばけにゃ学校も 試験もなんにもない

ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ
夜は墓場で 運動会
たのしいな たのしいな
おばけは死なない 病気もなんにもない

ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ
みんなで歌おう ゲゲゲのゲ

何が気になるのかと言いますと、歌詞はこんなにもお気楽なのに、メロディーがなんとも暗く、おどろおどろしいので、そのアンバランスがどうも私の中の何かに触れるらしく、心にひっかかってしまうのです。

子どもの頃は、試験も病気もないなんて、なんてうらやましいんだろうと思い、メロディーが暗いのはただ単にお化けのお話だからだろう、と考えていました。

しかし大人になってくると私は、お化けたちの背負った悲しい運命がわかるようになってきました。

私はこう気づいたのです。
運動会が楽しいのは、それが年一回のイベントだからであって、毎日やっていればすぐにあきあきしてしまって、ちっとも楽しくなんかなくなるんだと。
また、寝床でグーグーが楽しいのは、いやでも起きなければならない事情があるから、たまの日曜日のグーグーが貴重なのであって、試験も学校もない、毎日が日曜日のお化けたちにとっては、実はうれしくも楽しくもないのだと。

そうです、お化けたちは毎日が日曜日で朝寝坊し、毎晩運動会をやる生活にあきあきしているはずなのです。
でも、病気がないので仮病を使って運動会を休むわけにもいかず、また、この生活が死ぬほどイヤでも、死ぬことがないので、この生活から逃れる最後の手段さえないというわけです。
こう考えてみると、お化けたちはなんともきびしく悲しい運命を背負っているといえるのです。

でも、それを「苦しい」と言ってしまったら何ともやりきれないので、彼らは「楽しい楽しい」と言っているのです。それでメロディーがあんなに暗くなっているわけです。
こう気づいたとき私は、お化けたちをうらやましいと思わなくなりました。

「そんなに運動会がイヤなら、運動会なんてやめればいいじゃないか」と思いますか?
そりゃ、やめてもいいでしょう。でも、やめたらそのあと、どうするんですか? 永遠にボヤーッとして過ごすのですか?

そういうわけで、あるお化けたちは、死も病気もあるうらやましい人間たちにちょっかいを出してきます。人間たちを怖がらせたり、いじめたりして、うっぷんばらしをしようというわけです。

そして、少し頭のいい別のお化けたちは、そういう低レベルなことではなく、そういうお化けたちから人間たちを助けるみたいな、ちょっと高尚な目的や目標をもった大義名分のあることをやろうとするのです。
鬼太郎とその仲間たちは、そういうお化けたちなのかもしれません。

ここで私は、天国のことを思うのです。

聖書を見ると、天国は純金や宝石でできています。夜がなく、病や死もない、悲しみのない世界です。絶えず神を礼拝し、白い衣を着て棕櫚の葉を持って、神を賛美する日々なのです。
これだけを考えると、ばちあたりな言い方かもしれないけど、なんだかすぐに退屈しそうな世界です。

まあ、こんなことを考える私が愚かなだけで、たぶん神様は想像を絶するすばらしい世界を用意してくださっていると思いますが。