ダメなクリスチャンはダメなままなのだろうか


2003年、あるクリスチャンの友人からもらった年賀状に、こんなことが書かれていました。

『ああ、私はもうだめだ → 私は何て幸せなんだろうか

こんな変化が、すでにクリスチャンになっている私にも起こらないかなあ・・・

ダメなクリスチャンはダメなままなのだろうか。

それとも、奇跡はやって来るのだろうか』

これに対して私は、以下のようなおせっかいな手紙を出しました。

○○××様

 ○○さんが年賀状に書いていたことがどうも気になってしまって、どうしようかなあ、余計なことかなあ、と思ったけど、結局書いています。

 ○○さんがダメな人間なのかどうかは僕にはわからないし、また、僕には○○さんを変える力はありません。しかしただ、自分のことを考えるとき、自分がクリスチャンであることをどうしたらいいのか、その点についてちょっとアドバイスみたいなことができれば、と思っているのです。
 それは、一言でいえば、「神さまのことは気にしないようにしましょう、自分がクリスチャンであることは忘れるようにしましょう」ということです。

 なぜなら、神さまの考えていることは、私たちにはわからないからです。神さまは人知を超えた方ですから、私たちはどんなに考えても、その思いには遠く及びません。私たちの現実が良くても悪くても、それにどんな深い意味や意思があるのか、私たちには到底わかりません。到底わからないことについてあれこれ考えても、これはもう仕方のないことです。どうしようもないことです。到底わからないことについて悩んだりするのはやめにしましょう。
 神さまの思いは私たちにはわからないのです。ですから、もう気にするのはやめましょう。神さまのことは気にしないで考えていくのです。自分の思考の中から神さまのことは取り除いてしまいましょう。そうして、自分の人生と自分の生活を、そして自分の本質や人間性を見つめ直してみるのです。

 あなたがクリスチャンであるということも、ここでは一時、忘れてしまいましょう。というのは、あなたはクリスチャンになりましたが、でもあなた自身は何も変わらないからです。
 あなたはクリスチャンになりました。あなたは滅びにむかっていたものが、永遠のいのちにむかうものとなりました。神さまの選ばれた家族の一員になりました。迷い出ていたものが、本当の主の元に戻りました。それはすばらしいことです。あなたの立場、あなたの地位、あなたに与えられた約束、神さまの前におけるあなたの尊さ、それはすばらしいものです。でも、あなた自身は何も変わっていないのです。
 クリスチャンになったら、あなた自身やあなたの本質が変わりますか? いいえ、変わりません。ですから、「私はクリスチャンなのになぜ?」と考えるのはやめましょう。クリスチャンであることは、あなたの方向性や立場や関係の問題であって、あなた自身の本質や人間性の問題ではないからです。
 たとえば、クリスチャンになる前に怠け者であったら、クリスチャンになっても怠け者です。でも、どんなひどい怠け者も、クリスチャンなら、神さまの愛と選びのうちにあります。ですから、クリスチャンであるとか、神さまのこととかは忘れていいのです。あなたが忘れても、あなたがクリスチャンであることは変わらないし、神さまの方は忘れないのです。

 ですから安心して忘れましょう。思考から取り除くのです。
 聖書も教会もお祈りも忘れましょう。いや、それらを「するな」と言っているのではありません。聖書を読んでもいいし、祈ってもいいし、教会に行ってもいいし、子どもたちをCSに連れて行ってるなら連れていっていいのです。でも、そのことを、あなたの本質や人間性を考えるときに、その思考の中に入れてはいけない、ということなのです。
 先ほども言ったように、あなたがクリスチャンであること、またあなたがクリスチャンのする行動をしていることと、あなたの本質や人間性とは関係がないからです。
 クリスチャンの思考の中には、「クリスチャンは〜であるべき」みたいなものがこびり付いていて、自分のことを考えるときの思考のじゃまをするのです。ですから、自分のことを考えるときには、思い切って自分がクリスチャンであることさえ忘れてしまいましょう、ということなのです。思考から取り除きましょう。このことが、「教会に行かない」とか、「お祈りしない」とかいうこととは異なるということはわかっていただけますよね?

 「奇跡」のこともそうです。奇跡は起きない、と考えましょう。
 奇跡とは何ですか? 神さまの介入によって現実が大きく変わることでしょう。それは、まずありません。というか、非常に稀です。稀だからこそ奇跡なのです。日常茶飯事になってしまったら、奇跡ではありません。
 稀です。しかも、ごく稀です。自分には起こらないと考えましょう。この点でも、あなたの思考から取り除いてしまいましょう。
 今も生きて働く全知全能の人格神を知っているクリスチャンですから、奇跡に期待してしまうのは当然のことです。しかし、万一、もし万が一奇跡が起こっても、あなたの本質や人間性は変わりません。ですから、奇跡も思考から取りのけてしまいましょう。

 「神さま」や「クリスチャン」や「奇跡」が自分を変えたりはしません。ですから、自分のことを考えるとき、これらのことは抜きにして考えましょう。忘れましょう。
 大丈夫、神さまの方は忘れません。神さまの前におけるあなたの立場も変わりません。

 では、ご健闘を祈ります。

2003年 1月14日